トップページへ戻る

住吉平田神社
大阪府四條畷市南野2-18
祭神--住吉大神・平田大神
                                                      2020.01.13参詣

 JR学研都市線・四条畷駅の東北東約1.2km の飯盛山山腹に鎮座し、四條畷神社の北にあたる。
 四条畷駅から東・国道170号線へ出て、四條畷神社前の交差点から東へ四條畷神社へ向かって進み、同社石段下を左折して小路を道なりに北上した右側(東側)に鳥居が立つ。

※由緒
 石段下案内板の略記によれば、
 「神社由緒記によると、寛平・延喜(880--901)より飯盛の麓に座し給うとあるも、その往昔を知らずとある。
 したがって創建は詳らかでないが700~1000年前の創建と推定せられる。
 南野村改邑鑑(1815)によると、文化12年(1815年)住吉大明神の神主、京都吉田家より元和文甲中(1730年)受領せるとあり、そのころ住吉神社と平田神社を合祀して改名せられたものと推定される。(住吉平田神社となる)
 伝承では、住吉神社は飯盛山麓、現在地よりやや西の方に、平田神社は楠公社の北側、現呼称南野平田に各々所在していたという」(案内板の文字がかすれていて読みづらく、推測あり)

 大阪府神社庁第三支部HPには
 「当社は飯盛山腹字前堂にあり、平田氏(後醍醐天皇の牧師)を祀るため平田神社と称し、それ以前から当地に鎮座していたと考えられているが、不詳である。
 文化年間(1804--18)に三牧氏神官となるに及び、住吉平田神社と改称したと伝えられている」
とあるが、簡単すぎて要を得ない。

 当社は19世紀初頭頃に住吉神社と平田神社とが合併した神社らしいが、資料となるがほとんどなく詳細不詳。
 上記案内・ネット資料等を勘案すれば、
 ・略記は、平安前期の寛平延喜(889--923)の頃に飯盛山山麓に鎮座していたというが傍証となるものはない

 ・南野村改邑鑑にいう“文化12年住吉大明神の神主云々”が何を意味するのか不祥
  中世以降の京都・吉田家は、当時の神道界に強い権限を持ち、神官就任などはその認可を得ることが必要だったというから、改邑鑑がいう“受領”とは神格就任の認可をうけたことを意味するのかもしれない
  ただ、元和文甲中(1730)が何を指すのかは不明(年号かと思われるが、年号・元和はあるが文甲はない)。因みに1730年は享保15年にあたる
  なお、改邑鑑には、「当社は現在まで三牧大和と、その子伊織、孫大和が神職となっているが、それまでは社家がなかった」とあるという

 ・略記には、この文化12年頃に住吉・平田両社を合併して社名を住吉平田に改称したというが、これも吉田家の承認を受けてのことであろう
 ただ、両社合併に至る理由・経緯等は不明。

 ・住吉神社は、昔から飯盛山麓にあったというが、海の神が当地に祀られる由縁、創建時期等は不明
 ・平田神社は、もとは南野村字平田にあり、南野村庄屋重右衛門扣帳(控帳、1853)には、
  「慶長年間(1596--1615)の頃(大坂冬夏の陣の何れか)、この地で討死にした平田という人の御霊を祀る祠があった」
とあり、HPに「この平田氏を祀る」とあるが、この平田氏が如何なる人物かは不明。

 ・当社は平安前期頃には実在したとする資料もあるが、それを証するものはない。
 ・また、大坂の陣(1614・15)のとき、当地で討死にした平田という人物(大坂方の武将か)を祀ったのが平田神社とすれば、年代的に整合しない。

 当社は、その創建由緒・年代・両社合併理由等はっきりしない神社である。

※祭神
 社頭の案内には
  ・住吉神社--底筒男尊・中筒男尊・表筒男尊(所謂・住吉三神)
  ・平田神社--平田大神

 平田大神が如何なる神かは不詳。
 あるいは当地で討ち死にしたという平田氏の霊かもしれないが、その平田氏と当地との関係は不明。(HPに醍醐天皇の牧師とあるが、それが何を指すのかは不明)


※社殿等
 道路東側に、まだ新しい鳥居が立ち、その奥に境内への長い石段が続く(190数段)
 なお、鳥居の左からやや緩やかな坂道があり境内左側(北側)へ至る。


住吉平田神社・鳥居 
 
同・石段 

 石段を上った上が境内で、石垣上の白壁に囲まれた社殿域正面に、豪壮な唐破風向拝を有する朱塗りの拝殿(切妻造平入り・瓦葺)が西面して建ち、その奥、弊殿を介して、
 朱塗りの柵に囲まれて切妻造妻入り・銅板葺きの本殿が鎮座する。
 当社が住吉大神・平田大神を祀ることから、本殿内には二つの社殿が鎮座するのかもしれないが、本殿へは接近できず実見は不能(また資料もない)


同・拝殿 
 
同・本殿 

 拝殿の向かって右に切妻造・瓦葺き・朱塗りの境内社が西面して鎮座し、
  左--誉田別尊
  右--天照皇大神
との扁額が掛かっている。
 社頭の案内にいう神明社(天照大神)、八幡社(神功皇后)が是だろうが、勧請由緒・時期等は不明。
 社殿の中にそれぞれの小祠2宇が鎮座するが、暗くてよくわからない。

 また、境内左手、叢林の中に八坂神社との小祠が南面して鎮座する。
 案内には祭神・素盞鳴尊とあるが、江戸時代までは牛頭天王を祭神とする祇園社であったであろう。


同・境内社 
   
同・八坂社

 なお、社頭の案内には、上記以外に稲荷社(倉稲魂命・猿田彦命・大宮女命)があるというが、それらしい小祠は見あたらず、八坂神社に合祀されたのかもしれない。

トップページへ戻る