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高柳神社(高柳天満宮)
大阪府寝屋川市高柳3-19
祭神--菅原道真
                                               2019.12.19参詣

 京阪電鉄・寝屋川市駅の西約1.2km、駅北の府道16号線を西へ、高柳交差点を左折、府道149号線を南下し2つ目の信号を左(東)へ進んだ北側に鎮座する。小道を挟んで南側に第九中学校がある。

※由緒
 境内に案内はなく詳細不明だが、大阪府神社庁第三支部HPに、
 「当神社の創建年次は不祥であるが、貞享3年(1868)の調査によれば往古より鎮座されていたと伝わり、社殿は江戸時代、ことに菅原道真への崇敬篤かりし当時の領主永井氏により宝永7年(1710)に再興され、明治5年(1872)村社に列せられ、同年11月大字葛原の氏神社を合祀せり。
 明治13年(1880)に社殿の改築造営がなり、同年6月1日盛大なる正遷宮を執行されたとされる。先に合併された氏神社は『葛原之復旧』により分離された。

 神社名については、元氏神社と称せしが、明治初年代、神社調査の際、当地近隣所在の神社は普く氏神とせられたりしを、紛らわしきを以て大利神社・菅原神社等に改称せしあるも、猶 氏神社と称するもの三社あり、何れも隣接地に紛らわしく不便多きを以て、鎮座地の地名を採り高柳神社となすを適当とす」
とあるのみで、他に当社関連の資料は見当たらない。

 HPに宝永7年に再興とあるから、それ以前から氏神社と称していたと思われるが、その創建由緒・年次・祭神等は不明。

 当社を再興したという永井氏とは、江戸初期、徳川秀忠に近侍した譜代大名・永井信濃守尚政(1587--1668、淀藩主10万石)の一族で(子か孫)、永井家は尚政以来菅原道真への信仰が篤かったというから、再興時に学問の神としての道真を勧請したと思われ、当社の俗称・高柳天満宮とは道真を祀ることによるものであろう。


※祭神
 今の祭神は、中井氏一族が勧請したという菅原道真だが、それ以前、氏神社だった頃の祭神名は不明。
 今の当社に氏神社の痕跡はなく、道真一色に染められている。


※社殿等
 府道16号線から入った小道の北側に鳥居が南面して立ち、傍らの社標に『高柳天満宮 皇紀二千六百年記念事業』(皇紀2600年は昭和15年)との社標柱が立つ。
 また、鳥居前の石灯籠にも『天満宮』とあり、当社が菅原道真を祀る天満宮であることを誇示している。


高柳神社・社頭 
 
同・鳥居

同・境内 

 鳥居を入った境内正面に、唐破風向拝を有する入母屋造・銅板葺きの拝殿が、その背後に、切妻造・銅板葺きの本殿が南面(正しくは南西向き)して鎮座する。
 社殿は、薄茶色に彩色されているが木造ではなくコンクリート造と思われ、近年の改築であろう。

 
同・拝殿
 
同・拝殿(側面)
 
同・本殿(側面)

 境内には数本の巨木(殆どがクスノキ)が聳えているだけで、境内社等はない。
 社務所は無人だが、清掃等は行き届いていて清楚な神社である。

[付記]

 大利神社から当社に至る道路(春日町内の小道)沿いに『九個莊村(町)役場跡』との案内(鉢かづき姫)があり、そこには
 「河内十七箇村のうち、池田村・葛原村・大利村・高柳村・神田村・対馬江村(ツシマエ)・仁和寺村(ニワジ)・黒原村・占野村(シメノ)の9ヶ村は、江戸時代から九(莊)と呼ばれ、淀川堤防の水防と古川の悪水について共通の利害を持っていました。
 明治22年(1889)の町村制施工の時、9村が合併して九個莊村が成立し、村役場は高柳のこの地に置かれました。
 九個莊村は、もとは茨田郡に属していましたが、明治29年(1896)、茨田郡・讃良郡・交野郡が合併した北河内郡の成立に伴い北河内郡に属し、昭和18年(1943)2月1日、町制施行で九個莊町となりました。
 そして、同年4月1日、九個莊村・友呂岐村(トモロギ)・寝屋川村が合併して寝屋川市が成立し、昭和26年(1951)5月3日、市制施行により寝屋川市が誕生しました。
 また、昭和36年(1961)6月26日、水本村を編入して現在の寝屋川市になりました」
とある。
 当社には直接関係はしないが、寝屋川市成立の経緯として面白い案内である。
 
明治22年~昭和18年の
寝屋川市

(案内より転写)

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