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八 坂 神 社
大阪府門真市御堂町4-28
祭神--素盞鳴尊
                                                 2020.03.18参詣

 京阪電鉄・古川橋駅の東約350m、駅北を線路沿いに通る府道158号線を東進した北側に鎮座する。

※由緒
 境内に案内なく社務所不在。
 大阪府神社庁第三支部HPによれば、
 「当社の創建年代は詳らかでないが、所在地は門真庄としては最も早くから村里を形成していたので、当社の創建も古いと思われるが、文献の徴すべきものは見当たらない。恐らく普賢寺が付近に建立された頃、すでに存していたものと推測される。

 長弓寺大般若経中に『応永14年(1407)11月、摺字功経、河州茨田郡普賢寺庄内古林宮御経地』とある古林寺は当社の宮寺で、古くは盛大であったと思われる。
 氏地は旧一番上村・同下村、現在の御堂町・垣内町・末広町・寿町・速見町・大倉町と一番町の一円である。(以下略)

 また、大坂府全志(1922)
 「八坂神社は旧一番上村の字古前にあり、素盞鳴尊を祀れり。創建の年月祥ならず。
 明治5年村社に列せらる。境内は171坪を有し、本殿の外に拝殿及び絵馬舎を存す。氏地は旧一番上村・同一番下村なり」
というが、いずれも創建由緒・時期についての記述はない。


 社名・祭神からみて、古くは行疫神(ギョウヤクシン・疫病神だが、これを祀ることで疫病を鎮めてくれるとされる)・牛頭天王(ゴズテンノウ)を祀る神社だったと思われ、牛頭天王が明治初年の神仏分離に際して仏教色が強いとして排斥されたことから、京都・祇園の八坂神社と同じように、社名を八坂に祭神を牛頭天王と同じ神格をもつ素盞鳴尊に変更したと思われる。
 ただ、最初から牛頭天王社として創建されたのかどうかは不明。

 第三支部HPは、当社創建を付近にあった普験寺に結びつけて推測しているが、普験寺とは平安末期頃から室町初期頃まであっとはいうものの詳細は不明。
 ただ、当地一帯は平安末から室町初期までは普験寺莊と呼ばれ、戦国時代には門真荘と変わったというから、当社創建が普験寺と関係ありとすれば、その創建は室町時代以前かとも思われるが、それを証する資料はない。


※祭神
  今の祭神は素盞鳴尊(スサノオ)だが、江戸時代までの祭神は牛頭天王であろう。


※社殿等
 鳥居を入った境内正面、低い石段を上がった上に入母屋造・銅板葺きの拝殿が南面して建つ。

 
八坂神社・鳥居
 
同・拝殿
 
同・境内

 拝殿の背後、弊殿で繋がった入母屋造・銅板葺きの本殿が南面して鎮座するが、外からは側面が見えるだけ。
 ただ、拝殿内陣の奥に一間社らしい社殿がみえ、これが本来の本殿であろう。

 
同・拝殿内陣

同・本殿 
 
左:本殿 右:拝殿

◎境内社
 境内の右側に簡単な覆屋があり、中に小祠2宇が西面して鎮座している。
 軒先の提灯からみると、祭神は左:地主大神、右:罔象女大神(ミズハノメ・水神)らしいが、如何なる由縁で祀られたのかは不明。


2社合祀殿(左:地主社、右:罔象女社) 
 
地主社・小祠
 
罔象女社・小祠

 境内左側、拝殿の左前に注連縄を廻らしたご神木があり、根元の小祠には「白龍大神」との提灯がさがり、中には朱塗りの小さな鳥居が納まっているだけ。
 白龍大神との神名からみて水神(龍神)と思われるが、その白龍大神とご神木との関係は不明。
 また、鳥居を入ってすぐの右手に稲荷社があるが、珍しく朱色の彩色がない。

 
ご神木(根元に白龍社あり)
 
白龍大神社
 
稲荷社

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