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八 坂 神 社
大阪府寝屋川市八坂町11-13
祭神--素盞鳴命・住吉大神・産土大神
                                                     2020.01.06参詣

 京阪電鉄・寝屋川市駅の北東約270m、駅東側広場の北東角・早子町交差点を北へ少し行った右手に一の鳥居が立つ。
 周囲を民家に囲まれ、境内は狭い。

※由緒
 頂いた参詣の栞には、
 「当社の創建年次は証らかでないが、伝承によれば第35代皇極天皇2年(643)の頃と伝えられる。 
 昔、第16代仁徳天皇、浪速高津之宮におわせし頃、茨田の堤を築かれたため、ここに河内平野東部を南北に走る山脈丘陵に源を発し、高宮台地に迫り南流したる水は此の地に滞留し広大なる池となり、人呼んで茨田池と云う。

 皇極天皇2年7月、池の水腐敗し口黒く身白き小虫わきて池を覆い、翌8月に入って、その虫死して死骸は水面十糎から十五糎の厚さ二なりしという。
 その為池の水藍汁の如く変じて魚類死滅、悪疫発生し住民死亡する者多し、ここに於いて里人困窮し、播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行う。霊験著しく、日成らずして終息す。
 人々これを忘れざるため、神恩報謝の心を以て、其の年、廣峯神社の分霊を播州より勧請し、池の辺りに小社を建立し、これを祇園社と称え里の守神として斎き奉る。

 その後爾來年月を重ね、池の水渇き芦原となりしを以て開墾し数十町歩の農地を生ず、処々に五穀豊穣を祈願し豊受姫の命住吉大神を合祀し相殿斎き奉る」
とあり、

 大阪府神社庁第三支部HPには、上記由緒に加えて
 「住吉大社の合祀については分明ならざるも、当時の交通は殆ど舟により行われたるを以て、水利の恙なきを祈りて水路交通を掌る神・住吉の四神を迎え相殿に斎祀った。年代は徳川初期と推定される。

 前記伝承の通り当神社奉斎の起源は、病気・災難・厄(厄歳の厄)を含めた厄除けと、五穀豊穣の守護神とした社であり、同時に生まれた土地、住まっている土地を守る産土神的な性格をもって栄えてきた」
と追記している。

 皇極2年の池の水が腐敗し云々について、書紀・皇極天皇2年条に
 ・7月 この月、茨田池の水がひどく腐って、小さい虫が水面を覆った。その虫は口が黒く体は白かった。
 ・8月15日 茨田池の水が変わって藍汁のような色になった。死んだ虫が水面を覆った。水路の水は凝りかたまり、厚さ三・四寸ばかりで、大小の魚の腐ったようすは夏の時期に腐れ死んだのと同じようで、食用とはならなかった。
 ・同19日 この日大雨が降って霰(アラレ)になった。
 ・この月 茨田池の水はようやく白い色になって、臭い匂いもしなくなった。
とあり、今にいう、水の滞留・炎天などによって起きる水腐り現象が実際に起こったのであろう。

 なお、播州・廣峯神社については別稿・廣峯神社参照。


※祭神
  素盞鳴命・住吉大神・産土大神

 今の主祭神は素盞鳴命となっているが、嘗ての当社が播州・廣峯神社から勧請した祇園社であったことから、本来の祭神は防疫神・牛頭天王(ゴズテンノウ)であったと思われ、
 それが明治の神仏分離に際して、牛頭天王は仏教色が強いとして排斥されたことから、同じ神格をもつとされる素盞鳴命に変更され、合わせて社名も祇園社から八坂神社へと変更されたのであろう。

 因みに、神仏分離に際し、江戸時代までの祇園社(牛頭天王社)の殆どが、京都の祇園社(現八坂神社)にみるように、その祭神を牛頭天王から素盞鳴命に変更し、社名を八坂神社他に変更している(播州・廣峯神社は祭神のみを変更)

 住吉大神は、西に大河・淀川を控え近くに寝屋川が流れるという立地から、この辺りは一朝事あるときには氾濫域となったと思われ、そこから流路の安定と氾濫防止及び農業用水の安定供給などを願って祀られたのであろう


※社殿等
 広い道路の東側に一の鳥居が立ち、その前に幾つかの提灯が下がっている。
 参詣したのが正月のことで、初詣と染め抜いた赤い幡が立ち並ぶ参道の奥に二の鳥居が立ち境内に入る。
 境内は楠の巨木を主体とした森となっているが、周囲一帯には民家が密集している。


八坂神社・一の鳥居

同・参道 

同・二の鳥居 

 境内正面に、入母屋造・瓦葺きの拝殿が西面して建ち、その前に2本の矛柱が立っている。
 拝殿向かって左(北面)に、拝殿に接続して控え室らしい部屋が連なっている。


同・拝殿(正面) 
   
同・拝殿(北面)

 拝殿の裏、弊殿を介して入母屋造・瓦葺きの本殿が西面して鎮座している。
 本殿の形からみて、これは覆屋で、中に本殿となる社殿が鎮座しているかと思われるが、内部を伺うことはできないし資料もない。


同・本殿(北面) 
 
同・本殿(南面) 

 境内北東隅、本殿の左に朱塗り鳥居を立ち連ねた稲荷大明神社が西面して鎮座し、
 境内の一画には注連縄を張ったご神木・楠の大木が聳え、その根元に小さな石祠が祀られ供物が供えてあり、
 傍らの案内(鉢かづき姫)には
 「ここ八坂神社の境内には、寝屋川市が保存樹に指定した4本のクスの木の他にも15本のクスが育っています。
 最も大きなものは高さ約15m、周囲約7m、樹齢は650年以上と推定されますが、1000年を越えるという説もあります。(中略)
 また、神社の創建を伝える史料は現存しませんが、明治元年(1868)に八坂神社と改称する以前は、牛頭天王社や祇園社などと呼ばれていました。寝屋川市
とある。

 参道・二の鳥居手前に恵美須神以下七福神の石像が並び、神名を染め抜いた赤い幟が立っているが、如何なる由縁で祀られたかは不明。

 
境内社・稲荷大明神社
 
ご神木・楠木
 
七福神・石像

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