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越木岩神社/磐座の社
西宮市甑岩町5−4
祭神:蛭子大神(えびす大神)
                                                             2008.07.01参詣

 阪急神戸線・夙川で甲陽線に乗り換え、苦楽園口から北西約1.2q北上した六甲山系に連なる北山の麓にあり、周囲を高級住宅地に囲まれた叢林の中に鎮座する。敷地(7700u)のほぼ全域が鬱蒼たる雑木林に覆われ、「越木岩神社社叢」と呼ばれ兵庫県指定の天然記念物となっている。

 今の祭神はヒルコ大神(エビス神)だが、これは明暦2年(1656)に西宮・円満寺の僧・教順が、エビス信仰の総本社・西宮神社から勧請して『蛭子(ヒルコ)太神宮』と称してからのもので、
 元来は、「摂津名所図会」(1836)
  『甑岩(コシキイワ)神祠は越木岩村にあり、祭神巨石にして倚畳(イジョウ)(コシキ)の如し。この地の産土神とす』
とあるように、社殿背後の山中にある巨石をご神体とする古来の磐座(イワクラ)磐境(イワサカ)信仰の社である。

 ヒルコ大神勧請後は境内末社・『岩社』へとおとしめられ、今、ご神体の巨石は“甑岩”と呼ばれている。
 阪神間の北に連なる六甲山系の山々は、昔から良質の花崗岩(御影石)の産地として知られ、当社の巨石もそのひとつである。
 コシキとは、当社由緒に『その形状が酒を造るときのコシキに似ているから、甑岩と名づけた』とあるように、酒米などを蒸すのに用いる器で、蒸籠(セイロウ)ともいう。
 因みにイワクラとは、カミが降臨するとされる巨石で、古く、カミを招いて祭をおこなった自然の祭場を指し、祭祀を繰りかえす中で岩自体も聖なる物として祀られるようになった。イワクラが自然石を指すのに対して、複数の石を人工的に組み合わせた祭祀施設をイワサカという。

※甑岩(コシキイワ)
 社殿左手から叢林の中を進むとちょっと開けた処へ出る。
 「甑岩大神」の神額を掲げた鳥居の先に小祠・岩社があり、その奥に巨大なイワクラが鎮座している。
 2ヶ所あるイワクラのひとつ“南座”(下座とも)で、高さ10m周囲30m(神社由緒)、幾つかの岩が積み重なったように見える。
 一番上の岩は縦に大きな割れ目があり、その間から樹木が生えている。

 イワクラ・南座の右手から北へ80mほど登った上に、“北座”(上座とも)と呼ばれるイワクラがある。
 注連縄を張った中央の立石を数個の石で支えたように姿で、高さ2mほどとこぢんまりとしている。
 イワクラを囲む聖域は低い石組みで囲まれ、イワクラ前には一対のシキミが供えられている。

越木岩神社・岩社
岩社(背後に磐座が見える)
越木岩神社・イワクラ・南座
イワクラ・南座
越木岩神社・イワサカ・北座
イワクラ・北座

 このふたつのイワクラは、北座を“陽石”、南座を“陰石”と見立てることもできる。北の立石を男根、南の割れ目を女陰と見立て、ふたつ合わせて子孫繁栄・五穀豊穣を祈る祭場ともいえる。
 陰陽石を多産・豊穣・安産の神として祀る習俗は全国各地、というより世界各地にみられる古信仰で、当社由緒に、甑岩大神を『安産・子育ての神』というのも、そのひとつである。
 また、岩社の祭神・甑岩大神にあわせて厳島神社から勧請した女神・イチキシマヒメを祀るのも、南座を陰石と見立ててのことであろう。

 当社のイワクラは、上・中・下の3ヶ所あると記す資料が多い。確かに、北座のすぐ下にやや壊れかけた大きな岩組があり、これをイワクラ・“中座”というのだろうが、
 社務所の話では『ご神体とするイワクラは北と南の2ヶ所だけ』とのことで、この岩組は境内各処にみられる巨石群の一つである。
越木岩神社・岩組
巨石岩組(中座といわれるもの)
越木岩神社・巨石岩組
巨石岩組

 イワクラ・南座を右に回った岩の表面に十字形の刻印が見える。横の説明には『池田備中守長幸家紋』とある。
 江戸初期・徳川幕府による大阪城修築(1629完成)に際して、六甲山系の山々から必要な石材を切り出したといわれ、当社の甑岩もその対象になり、備中松山藩主の池田備中守長幸(1587〜1632)が切り出そうとして記した刻印という。

 伝承では、石工が矢穴を入れて岩を割ろうとしたとき、岩の割れ目から鶏鳴がおこり、真っ白い煙が立ちのぼったため、驚いた石工は石片ととも転げ落ちて命からがら逃げ帰った。この岩を切り出そうとすればカミの祟りがあると畏れられ、切り出せなかったという。

 今、イワクラの背面に廻ると、岩を割るために入れた矢穴の跡がはっきりと見え、うしろに、その時切り出されたという石片が置かれているが、そこにも矢穴の跡が見える。矢穴の位置が一致するため、小さな石片は切り離されたらしい。
越木岩神社・池田家家紋

※社殿
 由緒によれば、『正保年間(1644〜48)に社殿が再建され・・・』とあるが、正保年間とは教順によるヒルコ大神勧請以前にあたり、それ以前からイワクラを祀る神祠があったと思われる。
 ただ、その神祠が今の位置のものか、南座前の小祠を指すのかは不明。

 また、由緒に『延喜式神名帳(摂津国菟原郡)にある大国主西神社が当社ではなかろうか』とあり、とすれば相当古い社ということになる。
 ただ式内社・大国主西神社(祭神:オオナムチ・スクナヒコナ)を西宮神社の境内末社とする説もあるように、旧所在地のはっきりしない神社で、当社を大国主西神社とする根拠ははっきりしない。

 現在の社殿は、本殿が昭和11年、拝殿が同58年造営という。阪神大震災で被害をうけたというが、綺麗に修復されていて、一見したところでは震災の跡は見えない。

越木岩神社・社頭
越木岩神社・社頭
(鳥居・玉垣は平成8年建立)
越木岩神社・拝殿
同・拝殿
越木岩神社・本殿
同・本殿

※末社
 当社には、本来の神祠・岩社を初めとして幾つかの末社が祀られている。

越木岩神社末社・六甲山社
末社・六甲山社
越木岩神社末社・稲荷社
末社・稲荷社(左:白玉稲荷、右:大崎稲荷)
越木岩神社末社・貴船社
末社・貴船社(雨乞社)
越木岩神社末社・土社
末社・土社
越木岩神社末社・遙拝所
伊勢神宮遙拝所

◎六甲山社−−祭神:菊理姫大神(ククリヒメ)
 イワクラ・南座の左にある石祠。祭神・ククリヒメとは、イザナギが死んだイザナミを取り戻しに黄泉国を訪れ、見るなの禁を犯して逃げ帰る途中、追ってきたイザナミとヨモツヒラサカで争ったとき、イザナミの代弁をした神(書紀)。夫婦の間を取りもったことから夫婦円満の神・縁談の神ともされる。中世以降、加賀の白山の主祭神ともされシラヤマヒメと同体とされる。
 当社では、「武庫山(六甲山)を拝む東麓第一の社で、山の神を鎮め祀る。農業守護・延命息災」とある。白山の神・シラヤマヒメ(山の神)の流れをひくものか。

◎稲荷社−−祭神:白玉稲荷大神(左の社)・山崎稲荷大神(右の社)
 イワクラ・南座の右には稲荷社2祠が並ぶ。説明では、白玉稲荷は伏見稲荷から勧請したもので、衣食住・商売繁昌の神、山崎稲荷は火災・家の災いを祓い除く神で、除災招福・鎮火の神という。
 稲荷神には鍛冶の神の神格があることから、火を司るとされたものか。

◎貴船社−−祭神:貴船大神・龍神
 通称イワクラ・中座の脇にある石祠。貴船大神・龍神は水を司る水神。
 説明では、水に縁のある諸業を守護し、炎旱霜雨・豊作・海上安全の神。当社の奥宮は六甲山石宝殿で、雨乞いに霊験あらたか、とある。
 六甲山石宝殿は六甲ドライブウェイの東端にあり、慶長年間の創設、白山信仰と関連して、雨乞い行事で有名というが、未見のため詳細不明。
 石の宝殿と呼ばれるものは、古墳に埋葬されていた石棺が地表に露出したものが多い。

◎土社−−祭神:大地主大神(オオトコヌシ)
 参道脇にある石祠。説明には、我らが立つ大地を祀るもので、土や地や住居・生成を守護す。地鎮祭の神でもある、とある。ちょっと珍しい社といえる。すべてのものにカミが宿るとする古信仰を受けたもの。

 上記以外に、末社として水神社・不動明王社を記すが参詣時に気がつかず未見。

◎遙拝所
 伊勢神宮・宮中三殿・神宮神社を遙かに礼拝するところ。脇殿に天照皇大神宮をまつる、とある。宮中参殿とは、皇居にある賢所・皇霊殿・神殿を指す。

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