トップページへ戻る

熊野の神々

 平安・鎌倉の昔から、熊野には12柱の神が坐すとされるが、それは次の神々から成っている。

社殿名 祭  神  別  名  備  考 
 [三所権現]      
  証誠殿    家津御子大神   素戔鳴尊  熊野本宮大社の主祭神 
  中御前(速玉宮とも    熊野速玉大神   伊弉諾尊  熊野速玉(新宮)大社の主祭神 
  西御前(結宮とも)   熊野夫須美大神   伊弉冉尊  熊野那智大社の主祭神 
 [五所王子]       (摂社)
  若宮   天照大神      若一王子  イザナギ・イザナミの御子 
   禅師宮   天忍穂耳尊   アマテラスの御子 
  聖 宮   火瓊瓊杵尊   アメノオシホミミの御子 
  児 宮   彦火々出見尊   ウガヤフキアヘズの御子 
  子守宮   鵜葺草葺不合尊   ホノニニギの御子 
 [四所明神]      (末社) 
  一万宮・ 十万宮  豊斟淳尊・国狭槌尊
   (軻遇突智命)--別説 
    トヨクムヌ・クニノサツチ
 (カグツチ・火の神)
  勧請宮    泥土煮尊 
  (埴山姫命)
 ウヒヂニ
 (ハニヤマヒメ・土の神)
  飛行宮    大戸之道尊
  (彌都波能売命) 
 オオトノヂ
 (ミズハノメ・水の神) 
  米持宮    面足尊
  (稚産霊命) 
 オモダル
 (ワカムスヒ・穀物の神) 
 [別宮]      (那智大社のみ) 
  瀧 宮    飛瀧権現   大己貴命  出雲の国土造成の神 

 これらの神々のうち、主となるのは、本宮の家津御子大神(ケツミコ)・速玉(以下「新宮」という)の熊野速玉大神(クマノハヤタマ)・那智の熊野夫須美大神(クマノフスミ、熊野牟須美大神・クマノムスビともいう)で、これら3神を「三所権現」と総称したのは、神仏習合が進行した平安中期の後一条天皇(1016--36)の頃だという。

 明治の頃までは、これらの神々は“十二所権現”と総称されていたが、これについて、紀伊続風土記・那智大社条(1910・明治末)には
  「三山の祀神十二所権現と称す。然れども十二所権現を祀る事は中世以後の事にして、其初は三山共に古く鎮まり坐せる三座の神を祀る。是を熊野三所権現と称す」(本宮・新宮大社条には「やや後の事にて」とある)
とあり、若宮以下の9神は中世以降の奉祀だという(十二所権現の初見は平家物語という-同)

 なお、三所権現に五所王子のうちの若宮を加えた4社を上四社、若宮を除いた五所王子を中四社、四所明神を下四社と呼ぶ場合がある。
 また、別宮とされる“瀧宮”とは、那智の滝(一の滝)を神格化したもので、那智大社では瀧宮を地主神として第一殿に奉祀している。

 今の3社は、まず各神社それぞれの主祭神を祀り、他の2柱を相殿神として合祀しているので、何処に行っても3柱の神に祈りを捧げることになる。

◎家津御子大神
 熊野以外にケツミコと称する神は見えない。
 本宮発刊の“参詣の栞”に
  「ケツミコ命の別名・カムロキ クマノクシミケヌ命」
とあるが、このクマノクシミケヌとは出雲国造が奉齊する出雲熊野大社(鳥取県八束郡)の主祭神・熊野大神のことという。

 出雲の熊野大神とは、出雲国造神賀詞(イズモノクニノミヤツコカンヨゴト、新任の出雲国造が朝廷に奏上する寿詞、元正天皇霊亀2年-716年が初見)に、
  「イザナギの日真名子(マナコ・愛し子、日は尊称)、加夫呂岐(カブロキ=カムロキ・尊称)熊野大神 櫛御気野命(クシミケヌノミコト)
とある神で、イザナギの眞名子(愛児)とは素戔鳴(スサノオ)ということから(根拠不詳)、ケツミコもまたスサノオの別名というのだろうが、
 出雲のクシミケヌをイザナミの別名とする根拠ははっきりせずで、また出雲の熊野大社で、クシミケヌをスサノオの別名としたのは平安初期の頃といわれることから、本来は別神とみるのが妥当であろう(別項「熊野大社」参照)

 出雲のクシミケヌとは、本来は“奇(クシ)+御食(ミケ)+主(ヌシ=ヌ)”すなわち“穀神”であって、出雲で最も早く開けた意宇川(オウガワ)流域で崇拝された豊穣神だという。

 熊野のケツミコが出雲のクシミケヌの別名ということは、ケツミコもまた“食(ケ)+の(ツ)+御子(ミコ)”・穀神であって、季節の順調な巡り、年ごとの豊かな稔り、それによってもたらされる人々の豊かな生活を見守る豊穣神・稲魂を人格化した神といえる。

 ケツミコ・クシミケヌはその神名からみて、両神は食物にかかわる神・穀神と解されることから、両神を同神とするのだろうが、この両神が古くか一体とされていたかどうかははっきりしない。

◎熊野速玉大神
 ハヤタマ神の“タマ”は“霊魂”を指し、これに“速い”を意味する“ハヤ”を冠したハヤタマとは、“霊魂の素早い動き”あるいは“霊魂の躍動する動き”を意味し、“魂が抜けた亡骸に霊魂を呼び戻し再生させる大いなる呪力”を意味するという。

 このハヤタマ神の出自について、日本書紀(5段)
  「亡くなったイザナミを尋ねて黄泉国を訪れたイザナギが、蛆のたかったイザナミをみて逃げ帰るとき、追ってきたイザナミに対して『お前とはもう縁を切ろう』と離縁状を突きつけ、『貴方の民を日に千人殺す』というイザナミに、『私は日に千五百人を生もう。貴方には負けないぞ』といって、吐かれた唾から生まれた神を名づけて速玉之男という」(大意)
とあり、唾に潜んでいる霊魂が化生した神で、相手の呪いを無力化する強力な呪力を持つ神ともいう。

 一方、この神は熊野地方の土着神とする説もある。
 即ち、新宮の浜に打ち寄せる黒潮の波、その波の穂先に生じる泡を神格化したもので、その昔、遠い異境の地からこの地へやってきた海人たちが、故郷への追憶を込めて奉じてきた神ともいう。

 なお、この神を“御子速玉神”と称する場合があるが、何故かは不詳。

◎熊野夫須美大神
 夫須美(フスミ)は“産霊”(ムスヒ)と同意で、ムスヒについて、本居宣長が
  「産霊とは凡ての物の生長することの神妙な神霊を申すなり」(古事記伝・1798)
といい、折口信夫氏が
  「ムスヒとは、ものの発生・生産を掌る霊性の霊力を然(シカ)申すのである。即ち、産(ム)す霊力の発現するを“ムスブ”と言ひ、その霊性を“ムスヒ”と言ふ。単に発育の力を与えるばかりでなく、物に霊を密着せしめて、それによって発育させる威力なのである」(即位御前記・1940)
というように、万物の発生・成育を掌る霊力で、いいかえれば、万物特に穀物の生成・成育を掌る霊力を神格化した神といえる。

 因みに産霊(ムスヒ・ムスビ)を名乗る神は、天地開闢神話(古事記)で最初に成り出た造化三神のうちの、高御産巣日神(タカミムスヒ)・神産巣日神(カミムスヒ)をはじめとして生産霊(イクムスヒ)・足産霊(タルムスヒ)・火産霊(ホムスビ)・和久産霊(ワクムスヒ)など数多くみられる。

 これらからみると、熊野3神は、家津御子という穀神と、その速やかで豊かな成熟を助ける速玉・結神という3神で成り立ち、それによって五穀豊穣・天下安泰をもたらす神々ともいえる。


 公的記録にみる熊野神の初見は、新抄格勅符抄に引用する大同元年牒(806・奈良朝以降の社寺へ与えられた封戸の記録)
 ・熊野牟須美神 四戸 紀伊 天平神護2年(766)奉充
 ・速玉神 四戸 紀伊 神護2年9月24日奉充
とある記録で、これによれば8世記にあったのは確実といえる。
 なお、この記録は、一見して、速玉神社と那智神社に対する神階綬叙記録とみえるが、ネットにみる“牟須美神の項に、熊野坐神(熊野本宮大社の神を指す)”との注記がある。

 一方、延喜式神名帳(927)には
 ・紀伊国牟婁郡 熊野坐神社 名神大--熊野本宮大社を指す
 ・   同      熊野早玉神社 大
とあり、そこにあるのは本宮大社と早玉神社の2社で那智大社の名はない。

 また、熊野権現御垂迹縁起(1164・平安後期)には
  「(熊野神は)始め結速玉家津御子(ムスビ ハヤタマ ケツミコ)と申す、二宇社也」
とあり、3柱の神名はあげるものの、“二宇社也”と記すことからみると、家津御子を祀る本宮と、結・速玉二神を祀る速玉宮(新宮)の二社を指したものと思われる。

 これによれば、熊野三山は古くは2社体制だったようにとれ、これについて、紀伊続風土記は
  「式の熊野早玉神社は二神の名にして、熊野といふは本国神名帳の熊野夫須美大神にして・・・早玉といふは御子速玉大神なり。此の二神元一殿に祀りし故熊野早玉神社とといふ」(那智大社条)
とあり、古くは、夫須美神・速玉神を一社(新宮大社か)に併せ祀っていたらしい(今、本宮でこの2神を一殿に合祀するのは、これをうけてのことか)

 熊野那智大社は那智の滝を神格化して祀ったのが原姿といわれるように、他の2社とやや趣を異にすることから、熊野神は、まず本宮と速玉の2社体制(祭神は3座)として成立し、それに那智が別に社殿を造営することで現在の三社体制となったと思われ、それは11世記後半から12世記前半にかけての頃ではなかったかという。


◎五所王子・四所明神
 これら9柱の神々は、おおまかにいって主祭神の眷属神・護法善神であって、古資料に現れる初見は「伊呂波字類抄」(12世記中葉)からで、平安時代になっての奉齊と思われる。

 この神々については諸説がありはっきりしないが、先学の諸説を参照すれば次のようになる。
[五所権現]
 ・若宮(若一王子・若王子ともいう)
   王子とは“荒魂”(アラミタマ)のことで、荒々しい猛々しい働きをもつ神という。特定の名を持つ神ではなく、神仏習合後は修験道と習合して山伏や行者の守護神として崇敬されたという。
  熊野では、各地に○○王子を名のる小祠が点在し、ここでの若一王子はイザナギ・イザナミの御子・アマテラスとされるが、その根拠は不明。若とは御子をあらわすとしてギ・ミ両神の御子アマテラスとしたのかもしれない。

 ・禅師宮(ゼンシ)
   禅師とは古代の山岳に入って修行する行者(山伏)に対する敬称を指し、当宮は熊野那智の山々で修行する行者一般を祀ったものと思われるが、熊野に関係の深い永興禅師を祀ったのかもしれない。

 ・聖宮(ヒジリ)
   聖とは、本来は“日知り”“日を知る”ことで、太陽信仰にかかわる司祭者・呪術者を指すが、仏教では学徳の高い僧を指すが、浄土信仰が広まるにつれ、念仏聖というように、念仏を広めて回る僧(官許を得ていない私度僧が多かったという)を聖と呼ぶようになったという。

 ・児宮(チゴ)
   稚児(チゴ)とは神霊が依り付く霊媒・尸童(ヨリワラ)のことで、ここでは、堂内に坐った尸童のまわりを巡り、尸童に憑く神の託宣を求めたのかもしれない。

 ・子守宮
   字面から子供の守護神とされるが、本来は“隠宮”(カクレノミヤ)で、参詣者が参籠する処だともいう。
 注--このうち、禅師宮から子守宮まてを“中四社”という。

[四所明神]
 ・一万宮・十万宮
   山に坐す山霊・水霊・木霊・草霊といった諸々の神霊を祀ったもので、まず一万宮が祀られたが、足りないとの託宣があって十万宮を祀ったのであろうという。

 ・勧請宮
   勧請十五社ともいわれ、熊野修験に連なる英彦山・遊鶴羽山・切部山・阿須賀山・神倉山などに坐す諸神を祀ったものという。

 ・飛行宮(飛行夜叉宮とも)
   所謂・天狗を護法善神として祀ったものと思われる。護法善神は天狗または鬼・夜叉として現れ、飛行するという属性があるという。

 ・米持宮(米持金剛童子)
   神や高僧などに奉仕し、修験者を守護する神という。修験者が唱える「懺悔 懺悔 六根清浄 お注連に八大金剛童子」にいう八大金剛童子とは、首にかける結袈裟(ユイゲサ)の八つの結び目に宿って修験者を守護する神を指すという。

 ただ、この4社祭神を豊斟淳尊以下の神々とする由縁は不詳。
 注--この4社を“下四社”という。

 これら9座の神々については上記以外にも種々の解説があるが、いずれにしろ推測にすぎず、その勧請由緒・時期等は不明。

◎神仏習合
  神仏習合とは、日本固有の神と伝来の仏・菩薩が一体と見做されたことを指し(習合)、神に特定の仏・菩薩を当てはめ、これを“本地仏”と呼び、当てはめられた神を“垂迹神”という。

 江戸期までは、神と仏・菩薩を一体とみるのは常識であって、どちらかといえば、庶民は神社に祀られている神を、より身近にあって親しみやすい仏・菩薩として信仰していた。
 その庶民の神仏観念は、明治初年の神仏分離令によって強制的に別けられ混乱を招いたが、終戦後、一部の社寺、特に世俗的な信仰対象としての神社では神仏習合的なものが復活している。

 熊野の神々に対する本地仏は次のとおりだが、その組み合わせに必然性はない。
 ・家津御子大神(スサノオ)--阿弥陀如来
 ・速玉大神(イザナギ)--薬師如来
 ・夫須美大神(イザナミ)--千手観音菩薩
 ・若 宮(アマテラス)--十一面観音菩薩
 ・禅師宮--地蔵菩薩
 ・聖 宮--龍樹菩薩
 ・児 宮--如意輪観音菩薩
 ・子守宮--聖観音菩薩
 ・一万宮--文殊菩薩
 ・十万宮--普賢菩薩
 ・勧請宮--釈迦如来
 ・飛行宮--不動明王
 ・米持宮--毘沙門天
 ・瀧 宮--千手観音菩薩

 これらの組み合わせの根拠となるものは不明だが、
 ・家津御子(スサノオ)=阿弥陀如来
   ケツミコの別名スサノオが冥界の王とされることから、同じような性格を持つ阿弥陀如来としたとみれば何となく解せる。
 わが国では、死者は永年にわたる子孫の供養をうけることで祖霊へと昇華するとされるが、仏教で死者の赴く先は阿弥陀如来が坐す西方浄土であり、この西方浄土が冥界と一体化することで、冥界の王・スサノオが阿弥陀如来と習合したということであろう。

 なお、平安時代から本宮大社が熊野三山の本社・本宮として人々を集めたのは、その祭神が家津御子大神であるというよりも、それは阿弥陀如来という認識が広まり、此処に詣ることで阿弥陀の極楽浄土への往生が決定するという信仰によるものだったという。

 ・夫須美王神(イザナミ)=十一面観音菩薩
   イザナミと十一面観音との関連性はみえないが、那智が観音の補陀落浄土とされたことからみて、夫須美大神を観音菩薩とするのは解せる。ただ、それが何故十一面観音なのかは不明。

 ・速玉大神(イザナギ)=薬師如来
   この組み合わせもわからない。あえていえば、薬師如来とは病人を助ける仏として知られることから、魂の再生・活性化を具現する速玉大神に充てたのかもしれない。

 いずれにしろ、熊野三山の本地仏は単独でみるのではなく、三山は一体のもの、即ち、阿弥陀による来世救済と薬師・観音による現世利益、三山に参詣すれば現当二世(現世と来世)の救済が得られるということかもしれない。

トップページへ戻る