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産田神社
三重県熊野市有馬
祭神--伊弉冉尊・迦具土命
                                                     2007.10.参詣

 花の窟の西方約1.5kmにある古社で、民家が点在する田園地帯にあって、神社の周りだけが鬱蒼たる森となっている。

※由緒
 社頭に掲げる由来書には
 「イザナミ尊がカグツチ命をお産みになって崩御された地に、御魂を大神としてお祀りした神社。
 社殿付近の地下50cmほどに白石を敷きつめた一画があり、その辺りから太古の祭祀土器などが出土しており、名実ともに日本最古の神社ということができる」
とある。
 明治の頃まで、地元の人々は当社を氏神社とし、花の窟を神陵としてお祀りしていたというから、花の窟と対となった神社であろう。

 当社の創建年代は不詳だが、地下から太古の祭祀土器が出土し、古い祭祀施設である磐境(イワサカ)の跡が残っていることからみて、日本最古はいざ知らず、相当古くからの聖地であるには違いない。

※社殿等
 道路脇の鳥居を入り森の中の参道を進んだ先に拝殿が、その奥、白石を敷きつめた神域の瑞垣のなかに本殿が鎮座する。


産田神社・鳥居 
 
同・拝殿
 
同・本殿

◎磐境(イワサカ)--熊野市指定文化財
 本殿をとりかこむ瑞垣の左右に、大小の石を敷きつめた一画がある。
 古代の祭祀施設。磐境の跡かと思われ、ほぼ原形を留めているのは極めて珍しいという。
 向かって左のそれは整然と残っているが、右のそれは樹木によって壊されかかっている。

 
左磐境全景
 
磐境(左)
 
磐境(右)
 
右磐境全景
(方向は左と逆)

 わが国での神マツリの場としての神社の発祥は、おおまかにいって6世記後半から8世記前半の頃といわれ、それ以前は、祭の都度、臨時の祭祀施設を設けて神を迎え祀り、終わって神をお送りした後、祭祀施設を取り壊したという。
 その神を迎えるために石などを用いて設けられたのが磐境で、その上に設けられた祭壇を神籬(ヒモロギ)という。
 今の地鎮祭などで設けられる祭祀施設は、この名残という。

 当社でも、この磐境の上に棚(神籬)を設け、神の依り代として榊などの常緑樹を立て、周りに祭具・供物などを並べて神を招き祀ったのであろう。
 ただ、これらの磐境が本殿の左右にあるのが解せない。あるいは今の本殿のあたりに主体となる磐境があり、この2基は副次的なものだったのかもしれない。

◎特殊神事
*おとう神事
  当社には、“おとう神事”と称する珍しい神事がある。
 その詳細は不詳だが、社頭の案内によれば、
 「太古の昔、当地に漂着した稲籾の詰まった椰子の実を拾いあげて米作りをはじめたイザナミが、はじめてとれた米を雑炊にして食べ、豊かにとれたときには小魚の骨付き姿飯として食べて、米に感謝し喜びあった」
とある。
 この神事は、この伝承に基づくもので、一腕の汁かけ飯と骨付きサンマの姿寿司、それに御神酒という簡単な食事を神に捧げ、氏子たちが相伴するというもので、新嘗祭の原形を偲ばせるものという。
 なお、“おとう”とは“尊い御飯”が訛ったものという。

*弓引き神事
 毎年1月10日、奥有馬・口有馬の両地区から各一名ずつ選ばれた射手によっておこなわれる神事で、社頭の案内によれば、
 「射手は、前日、花の窟前の浜で身を浄めた後、参籠殿に籠もって一夜を過ごし、当日の朝も、産田川で身を浄めたのち式典終了まで参籠殿に籠もる。
 式典終了後、弓引き神事がはじまり、まず、的に向かって交互に2度矢を射る。次ぎに4回ずつ矢を放って腕前を競う」
とある。

 正月に矢を射る神事は各地でおこなわれているが、それは、放った矢が的に当たるかどうか、あるいは当たった本数によって、その年の農作物・特に稲の豊穣、あるいはその年の吉凶を占う予祝神事であって、案内にいうように射手の腕前を競う競技ではない。
 当地での神事は、両地区の勝敗の如何によって、その年の農作物と漁業のいずれが豊かかを占うものかもしれない。

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