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離 宮 八 幡 宮
京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷
祭神−−応神天皇・比淘蜷_(三座)・酒解大神(別名・大山祇神)
                                                        2012.0104参詣

 JR東海道線(JR京都線)・山崎駅の西南すぐの一画に鎮座する。周囲は住宅等に囲まれている。

※由緒
 当社参詣の栞には、
 「平安時代の初め、清和天皇(858--76)が、太陽が我が身に宿る夢を見給うた時のお告げにより、九州宇佐八幡宮から神霊を奉じて帰京した僧・行教が、山崎の津で夜の山に霊光を見た。そこで此地を掘ると岩間に清水が湧き出したので、国家鎮護のため“石清水八幡宮”を貞観元年(859)此処に創建。
 ここは嵯峨天皇(809--23)離宮の地なので、現在は離宮八幡宮と号している。
 (八幡神は)当社へ鎮座後に対岸の男山にも分祀され、こうしたことから、毎年4月3日には勅使が先ず当社に詣った後、淀川を船渡りして男山へ参拝する。これが“日使頭祭”(ヒノトウサイ)である」
とあるが、
 離宮八幡宮遷座本紀(1348)には、やや詳しく
 「貞観元年(859)、清和天皇が夢告を受けて像・行教と山城守紀御豊を宇佐八幡宮に派遣した。すると両人の夢に八幡神が顕れ、『都に近い場所に移って国家を守ろう』と告げた。
 二人が大山崎まで帰ってきたとき山上に光があったので、村人に『ここらにご神体を移せる場所があるか』と問うと、『山の麓に嵯峨天皇の離宮跡がある』と答えたので、行教がその地に赴き独鈷で地を穿つと清水が湧き出した。
 行教と御豊がこの旨を奏聞したところ勅があり、ご神体を遷し社殿を建てて離宮八幡宮と称した。
 その後、また行教と御豊に夢告があり、八幡神の分霊を男山に遷した」
とある(日本の神々5・2000)

 この由緒によれば、当社は対岸の男山山頂に鎮座する石清水八幡宮の元宮ということになり、上記由緒は、石清水八幡宮のそれと似かよったものとなっている。

 なお当社がその跡地に造営されたという嵯峨天皇の離宮とは、天皇が弘仁4年(813)に造営した“河陽離宮”(カワミナミリキュウ)のことで、貞観3年(861)に廃止されたという。
 これは史実だと思われるが、とすれば、遷座本記にいう貞観元年に帰京した行教に、村人が「嵯峨天皇の離宮跡がある」と答えたとすることと矛盾し(離宮は貞観元年には存在していた)、上記由緒は、男山の石清水八幡宮との間で所謂本家争いをした後世になって作られたものかもしれない。

 一方、石清水八幡宮の創建由緒を略記すれば、
 ・清和天皇・貞観元年、宇佐八幡宮に参籠していた僧・行教に、八幡神から「都近くに移座して国家を鎮護せん」との神託があった。
 ・神託を奉じて帰京した行教が山崎の地に着いたとき、再度、「石清水男山の地に移座したい」との神託があり、男山の山頂が光り輝いた。
 ・行教からの奏上を受けた朝廷が、直ちに勅命を下し男山山頂に社殿を造営し、宇佐八幡三神を祀った。
というもので(別項・「石清水八幡宮」参照)、貞観元年に、行教なる僧が宇佐八幡神を勧請して創建したという大筋では同じだが、それに至る経緯などの細部には差異があり、また、そこには当地への鎮座を示唆する記述はみえない。

 ただ、一つの解釈として、行教が山崎の地で“石清水男山に移座したい”との神託を受けていることから、男山山頂での社殿造営鎮座まで、当地にあったといわれる式内・自玉手祭来酒解神社(タマテヨリマツリキタルサカトケ・大山崎町天王・別項「酒解神社」参照)に仮鎮座していたとも考えられ、それが、その後の八幡信仰の隆盛化に伴って独立し、離宮八幡宮と称したのかもしれない。
 これを示唆するものとして、酒解神社の由緒に「離宮八幡宮の勢力が強大となり、酒解神社は天王山頂上に遷座した」とあるが、他に、同種の資料はみあたらない。

 当社創建後の経緯は不詳。参詣の栞には
 ・山崎は三川が合流して淀川となる地峡であって、京都を目指す水陸交通の喉元に位置する要衝の地であった
 ・当社は灯油として用いられたエゴマ油の発祥の地で、当社神人たちが独占的に油の製造販売をおこない、財力があった
 ・南北朝期(1334--92)の昔から、天下取りを目指す武将達は競って此の地を占拠し、当社を篤く保護し神のご加護を願うとともに、エゴマ油販売による富の獲得を図った。
 ・幕末の“禁門の変”(1864・蛤御門の変ともいう)で長州藩屯所となったため兵火にかかり焼失したが、それまでは水無瀬川より円明寺におよぶ広壮な社殿を構えていた。
 ・明治初年、東海道本線開通(明7・1874)のため社地の大半がその用地と化し、今日僅かに南部の築地塀・高麗門・東門が昔の面影を留めている。
とある。

※祭神
 当社祭神と宇佐八幡宮・石清水八幡宮のそれとを対比すれば、応神天皇・比淘蜷_(タゴリヒメ命・イチキシマヒメ命・タギツヒメ命)は同じだが、宇佐・石清水の神功皇后に替わって酒解大神(サケトケオオカミ=大山祇神-オオヤマツミ)となっている。

 酒解大神とは、当地にあったという式内・自玉手祭来酒解神社の祭神で、それが天王山山頂に移った後も、その分霊を当社に祀ったものであろう。
 なお、サケトケ神とはオオヤマツミ神の別名で、オオヤマツミが本邦最初の酒造りをしたという伝承にもとづく呼称。

※社殿等
 社地東南角の寺門と見間違うような正門(栞にいう東門か)から入ると、右側に大鳥居が立ち、その奥、中門(切妻造・銅板葺)と透塀とで囲まれた境内に入る。
 境内中央に唐風破風を有する拝殿(切妻造・銅板葺)が、その奥に本殿(三間社流造・銅板葺)が鎮座する。資料なく建造年など詳細不明。

離宮八幡宮/正門
離宮八幡宮・正門
離宮八幡宮/鳥居
同・鳥居
離宮八幡宮/中門
同・中門
離宮八幡宮/拝殿
同・拝殿
離宮八幡宮/本殿
同・本殿

 境内には、摂末社として若宮社・武内社・天照皇大神宮・気比社・鹿島社・住吉社・腰掛天神社・稲荷社・他多数の小祠が祀られている(参詣の栞)

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