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大神神社/末社
                                                             2010.07.26・09.09参詣

 三輪山山麓には、大神神社の摂末社が数多く点在するが、ここでは参詣した末社11社および摂社境内にある雑社について略記する。なお雑社とは、摂末社に属する社として、その境内に鎮座する社をいう。

【御炊社】(ミカシギ)
 鎮座地--三輪字高宮
  大神神社境内にある小祠。
  拝殿前の石段を降りた左手(南)・社務所前に至る小路を入った先に、御炊社への入口表示があり、右へ入った先・木立に囲まれた薄暗い中に鎮座する。樹木が茂っていて見つけにくい。

 祭神--御膳津神(ミケツ)
  鎮座由緒・時期は不明だが、ミケツ神が穀物・食物の神であることから、大神・オオモノヌシに差し上げる神饌(食事)を掌る社と思われる(伊勢神宮の外宮と同じか)
大神神社・末社/御炊社

【祓戸社】
(ハライト)
 鎮座地--三輪字御手洗川
   二の鳥居をくぐった先、参道左側(北側)・木製玉垣内に鎮座

 祭神--瀬織津姫神・速秋津姫神・気吹戸主神・速佐須良姫神
   通常、祓戸大神と称される神々で、罪穢れを祓い浄める神
                           (別項「摂社・綱越神社」参照)
 本社参詣前に、身についた穢れを祓った社か。
大神神社・末社/祓戸社
祓戸社
大神神社・末社/祓戸社・社殿
同・社殿
◎夫婦岩
  祓戸社のすぐ東(本社寄り)に隣接する磐座。

  三輪山中の磐座群のうち、辺津磐座(山麓近くの磐座群)に属する一つ。
  ふたつの岩が寄り添ういることから、室町時代には“聖天岩”として富貴敬愛を祈り(聖天信仰)
  今は“夫婦岩”と称して、夫婦円満・子育て・恋愛成就などに霊験ありという(社頭案内)
大神神社/夫婦岩

【神宝神社】
(カンタカラ)
 鎮座地--三輪字大宮川上
   本社前から山辺の道を南に出てすぐ、左手(東側)奥の山麓に鎮座。

 祭神--家都御子神・熊野夫須美神・御子速玉神
   熊野三山に祀られる神で、通称、熊野権現。
   社名をカンタカラとする由緒・勧請時期など不詳だが、室町時代には祀られていたらしい。
   三宝荒神とも財宝の神とされて、崇敬されているという
大神神社・末社/神宝神社
神宝神社
大神神社・末社/神宝神社・社殿
同・社殿

【天皇社】
 鎮座地--三輪字天皇山
   山辺の道左手(東側)の小高い処に鎮座(道の分岐点に神宝社がある)。道脇に鳥居が立ち参道の石段を登りつめた処に鎮座する。

 祭神--崇神天皇
   三輪山山麓の磯城瑞籬宮で治世された天皇で、オオタタネコをしてオオモノヌシを三輪山に祀らせた天皇として祀られているのであろうが、鎮座由緒・時期などは不詳。
大神神社・末社/天皇社
天皇社
大神神社・末社/天皇社・社殿
同・社殿

【大行事社】
(ダイギョウジ)
 鎮座地--三輪字平等寺
   本社前から山辺の道を南下、平等寺前を左(東)から左手への道の奥に鎮座。

 祭神--事代主神・賀夜奈流美神・八尋熊鰐神
  案内には、
  「祭神・コトシロヌシ 俗に恵比須神という。三輪町内にある恵比須神社の元宮で、市場の守護神として崇敬されている」(大意)
とある。コトシロヌシ本来の神格ではなく、習合したエビス神として信仰されているという。
 主祭神・コトシロヌシ--オオクニヌシの御子で託宣の神。
大神神社・末社/大行事社
大行事社
大神神社・末社/大行事社・社殿
同・社殿
 カヤナルミ神--記紀にはみえない神だが、出雲国造神賀詞では、オオナムチが皇孫の守護神として倭国の周りに鎮座させた四座(オオモノヌシ・アジスキタカヒコネ・コトシロヌシ・カヤナルミ)の中の一座で、飛鳥の社に坐すという。コトシロヌシの妹神ともいうが異論もある。
 ヤヒロクマワニ--書紀・神代紀(第6の一書)に、コトシロヌシが大きな鰐(八尋熊鰐)と化して、三嶋のタマクシヒメの処へ通って、ヒメタタライスズヒメ(神武の后)を生んだ、とあり、コトシロヌシと同神とみられる。

 当社の鎮座由緒・時期など不詳だが、この祭神構成からみると、本来は、皇孫(天皇)の守護神としてのコトシロヌシおよび関連神を祀る社だったものが、何時の頃かに、俗信でコトシロヌシと同体とされるエビス神へと変化したらしい。

 なお、当社蔵の大神神社摂末社御由緒調査書には、
 「旧説に、コトシロヌシはオオナムチの第一王子にして幽冥の節度を掌り給ふ故に大行事と称すといへり」
とあるという。コトシロヌシが、乗っていた舟を踏み傾けて海中に隠れたことから、幽冥(他界)のことを掌るというのだろうが、その幽冥界と大行事との関係は不詳。

【春日社】
 鎮座地--三輪字平等寺
  大行事社右横の道路を東へ。だいぶ進んだ処に大三輪教本院の堂舎があり、その左手に当社への入口がある。細い山道を少し登った先、木立に囲まれて鳥居が立ち、春日造の小祠が鎮座する。

 祭神--タケミカツチ・イワイヌシ・アメノコヤネ・ヒメ神(春日四神)
  春日大社の祭神を勧請した社だろうが、その勧請由緒・時期など不明。
  山麓から当社までの間に、大神神社の神宮寺だった平等寺があったというから、旧平等寺の鎮守社だったのかもしれない。
大神神社・末社/春日社・社殿
春日社・社殿
◎旧平等寺
 大行事社から当社へ至る小路の左手(北側)・草木に覆われた古い石垣の上に平地がある。曾て、大神神社本社の南側にあった神宮寺・平等寺の旧蹟ではないかという。
 江戸後期の絵図(右図)には、本堂・奥の院・不動堂・鐘楼などの伽藍が描かれているが、東奥に鎮守社らしい一画があり、かろうじて○○大社と読める。今の春日社の前身かもしれない。

 今の平等寺は山辺の道沿いにあるが、明治時代に現在地に移ったものか、旧平等寺の一院を以て現平等寺としたものらしい。
旧平等寺・旧蹟(推測)
旧平等寺・旧蹟(推定)

旧平等寺(江戸後期・絵図)
 平等寺境内に掲げる由緒には、
 「この寺は、581年聖徳太子が賊徒を平定するために三輪明神に祈願して、大三輪寺と称したことにはじまる」
とあるが、これは創建を古くみせるための権威付けで、開山上人の墓があること、開山御影堂に慶円の像が安置されていることなどから、鎌倉初期の僧・慶円(1140--1223)の開山とするのが正しい、という(大神神社・1971)
 江戸時代までは、大神神社の神宮寺として、同じ神宮寺であった大御輪寺(現大直彌子神社)を凌駕する盛況を極めたという。

【貴船神社】
 鎮座地--三輪字尾尻
   山辺の道を北へ、狭井神社・狭井川を過ぎた右手(東側)に鎮座。鳥居が木立に隠れ、その奥に社殿があるので注意しないと見過ごしやすい。

 祭神--淤加美神(オカミ)
   オカミとは、古く“水を司る龍”を意味し、水神。
   記紀では、イザナギが火の神・カグツチを斬ったときに、剣の柄についた血からクラオカミ・タカオカミが生成したという。
   勧請由緒・時期など不詳。
大神神社・末社/貴船社・鳥居
貴船神社・鳥居
大神神社・末社/貴船社・社殿
同・社殿
【久延彦社】(クエヒコ)
 鎮座地--三輪字大御輪寺
  摂社・大直禰子神社(若宮神社)前を北に進んだ左手の丘の上に鎮座する(摂社・狭井神社前を南下してもいい)。高台に社殿と社務所が並んでいる。

 祭神--久延比古命
  オオクニヌシが出雲に美保の前におられたとき、海からやってきた神・スクナヒコナ(オオクニヌシと共に国造りをなした神)の名を顕した神。
 クエヒコとは“崩え彦”の意で案山子を指し、「足は歩けないが、天下のことをことごとく知っている神」(智慧の神)とされる。
 古事記で、クエヒコが“山田の曽富騰(ソホド)”とも呼ばれることから、曽富止社(ソホド)ともいう。 
大神神社・末社/久延彦社
久延彦社


【富士・厳島社】(フジ・イツクシマ)
 鎮座地--茅原字大日
  表参道・JR踏切を越えてすぐの道を右(北)へ、狭井川を過ぎて、鉄道沿いの道の左手(左100mほどに桧原神社・矢印を描いた小さな表示はあるが、わかりにくい)から別れる摂社・桧原神社への道沿いにある小祠。同じ道沿いに摂社・神御前神社がある。

 茅原集落内を通る道の左手にちょっとした平地があり、平地の左手に聳える大樹の下・木造鳥居の後ろ・石壇の上・木製柵に囲まれて、右に富士社、左に厳島社が鎮座する。右手にお寺の本堂らしい堂舎と石仏祠などが建っている。

 祭神--木花咲耶姫命(富士社)・市杵島姫命(厳島社)
  コノハナサクヤヒメは山の神・オオヤマツミの娘。記紀によれば、皇孫・ホノニニギの妻でホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)の3皇子を生んだとある。富士の浅間神社の祭神。
 イチキシマヒメはアマテラスとスサノヲの誓約(ウケヒ)によって生まれた所謂・宗像3女神の一。福岡の宗像神社、宮島の厳島神社の祭神。
 いずれも、他からの勧請と思われるが、その由緒・時期は不明。

大神神社・末社/富士・厳島社
富士・厳島社-全景
大神神社・末社/富士社
富士社
大神神社・末社/厳島社
厳島社

【八坂神社】
 鎮座地--三輪字南天王山
  山辺の道の“金屋の石仏”と“海柘榴市観音”の間の中程を、山側に入った処にある末社(山辺の道・道端に表示あり)
  深い木立の中に立つ鳥居をくぐり、石壇を登った上に拝殿(割拝殿)が、その奥、石垣の上・透塀に囲まれた神域内の中央に八坂神社、その左に大神神社雑社・賃長社(祭神:イワナガヒメ、長寿祈願の神)、右に同・大峰社(同:オオヤマツミ、山の神)の小祠(いずれも春日造)が並ぶ。末社のなかでは最も整備された社殿結構をもっている。
 他に、神域の右前に雑社・金比羅社(同:オオモノヌシ・大神のオオモノヌシとは神格が異なる)がある。雑社の鎮座由緒・時期など不明。

 祭神--素戔鳴命
  今は、社名を八坂神社、祭神をスサノヲとするが、江戸時代までは、防疫神・ゴズテンノウを祀る牛頭天王社として村人から崇敬されていたという(当地地名を字南天王山というのも、古来の牛頭天王社からのものであろう)
 明治初年の神仏分離によりゴズテンノウが排され、社名を八坂神社へ、祭神は同一神格のスサノヲへと変更されたという。江戸期あるいはその以前に、疫病除けの防疫神として勧請されたものと思われるが、その時期、あるいはゴズテンノウ勧請以前の状況は不明。なお当社は近隣村落の鎮守社というのが原点で、大神神社の末社となったのは、明治以降でもだいぶ後のことらしい。

 お会いした神官の方のお話では、古く、当社の祭礼は神楽などもあって華やかだったそうだが、今はなくなったという、とはいえ、10月10日の例祭には、地元氏人の老若男女がそれぞれの役割を帯びて集まり、朝6時からおこなわれるという。古い信仰が姿をかえて残っているらしい。


八坂神社・鳥居

同・拝殿

同・神域正面

同・本殿(中央:八坂社、左右:雑社)

【金拆社】(カナサキ)
 鎮座地--三輪字山崎
 大和川の最上流部を“初瀬川”と呼ぶが、その初瀬川右岸沿いの山裾を走る県道199号線(慈恩寺三輪線)の、慈恩寺集落に入る西側に“桜井市保健会館”他の施設が集約された一画があり、その東隣の小さな放棄されたような広場の左奥に、当社へ至る山道の入口がある。附近に、当社を示す表示はなく、入口に「三輪山は境内地につき入山・狩猟を禁ず」との立て札があるのみ。

 玉列神社の方に聞いたところでは、月次祭の時、神官がお参りするだけで、普段は誰も行かないそうで、狭い山道(1m未満)の各処に蜘蛛の巣が張っていた。当社の目印(保健施設)を聞いていたから分かったものの、知らない人はわからないであろう。
大神神社・末社/金拆社・ご神木
金拆社・ご神木
 山道の突きあたり、緩い斜面の簡単な木柵に囲まれた中に、ご神木1本が立っているだけで、その前に、
 「大神神社末社金拆神社・天宮社・神宝神社・大峰社、祭神 宇都志日金拆命(金拆社)・天日方奇日方命(天宮社)・龗神(天宮社)・大山祇神(大峰社) 祭礼5月9日」
と記した木札が下がっている。
 大神神社史(1975刊)によれば、
 「祭神はウツシヒカネサキ命にして、例祭は4月9日。社殿はなく老樹林立するのみ、同じく末社天宮社、神宝社、大峰社は、三輪山中に鎮まり坐す。共に社殿なし、因って是地より遙祀す」
とある、当地の祭祀形態からみて、金拆社も当地に鎮座するというより、他の3社と同じく三輪山中(磐座か)に鎮まる神を遙拝する祭祀場であろうが、それぞれに対応する鎮座位置(磐座か)は不明

 当社祭神・ウツシヒカネサキ命は、海神・ワタツミ神の御子で安曇氏の祖神という。アメノヒカタクシヒカタはオオクニヌシの御子で大神氏の祖神、オカミ神は水神・竜神、オオヤマツミは山の神。4末社の鎮座由緒・時期など不明で、4祭神を繋ぐ関係はみあたらない。

 上記以外に金屋の石仏の附近に末社・事比良社があるが、所在地がわからず未参詣。
  事比良社(コトヒラ)
   鎮座地--三輪字天王山
   祭神--大物主命

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