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大神神社/摂社
高宮神社・活日神社・磐座神社・神御前神社・大直禰子神社
                                                               2010.07.26参詣

 大神神社の摂社は12社を数え、そのうち7社は延喜式内社で、いずれも明治10年(1877)摂社に列している。ここでは、式内社以外の摂社5社について記す。

 式内社である摂社
 ・日向神社(ヒムカ)−−式内・神坐日向神社−−桜井市三輪字御子ノ宮−−別項・日向神社・高宮神社参照
 ・桧原神社(ヒハラ)−−式内・巻向坐若御魂神社−−同三輪字桧原(論社あり)−−別項・桧原神社参照
 ・狭井神社(サイ)−−式内・狭井坐大神荒御魂神社五座−−同三輪字狭井−−別項・狭井神社参照
 ・綱越神社(ツナコシ)−−式内・綱越神社−−同三輪字大鳥居−−別項・綱越神社参照
 ・玉列神社(タマツラ)−−式内・玉列神社−−同慈恩寺−−別項・玉列神社参照
 ・率川神社(イサカワ)−−式内・率川坐大神御子神社三座−−奈良市本子守町−−別項・率川神社参照
 ・率川阿波神社(イサカワアワ)−−式内・率川阿波神社−−率川神社境内−−同上

 その他の摂社
 ・高宮神社(コウノミヤ)−−桜井市三輪字神峯(三輪山山頂)
 ・活日神社(イクヒ)−−同三輪字活日川
 ・磐座神社(イワクラ)−−同三輪字大黒谷
 ・神御前神社(カミノゴゼン)−−同茅原字神御前
 ・大直禰子神社(オオタタネコ)−−同三輪字若宮
 

【高宮神社】
 祭神−−日向御子神(ヒムカミコカミ・日向王子ともいう)
  三輪山山頂に鎮座する小祠。(別項・「日向神社・高宮神社」参照)

【活日神社】(イクヒ)
 祭神−−高橋活日命(タカハシ イクヒ)
 本社前から古道・山辺の道を北へ、右手の石段を登った先に鎮座する小祠。瑞垣に囲まれた中に妻入一間の小祠が鎮座する。

 祭神・高橋活日神とは、祭神・オオモノヌシに奉る酒を醸成したとされる人で、日本書紀・崇神紀8年条に
 「夏4月16日、高橋邑の活日(イクヒ)を、オオモノヌシに奉る酒を掌る人とした。
  冬12月20日、天皇はオオタタネコにオオモノヌシをまつらせた。この日、活日は神酒を天皇に奉り、
   此の酒は わが神酒ならず 大和成す オオモノヌシの醸し酒 幾久 幾久
   (歌意−−この酒は私が造った酒ではなく、オオモノヌシ神が醸成された神酒です。幾代までも久しく栄えますように)
 と詠い、神の前で宴が催された」
とあり、当社蔵の醸酒由来記(明11・1878)には
 「イクヒ命は大和国添上郡高橋邑の人で、酒造りに巧みだったので、崇神天皇の8年、大神へ捧げる神酒の醸造人として召され、まめやかにお仕えになった。そこで、その御魂を此の地にお祀りしたものである」(大意)
とある。
 古代にあっての酒は薬ともされ、そこから大神神社の祭神・オオモノヌシとスクナヒコナは酒の神ともされる。

大神神社・摂社/活日神社
摂社・活日神社
大神神社・摂社/活日神社・本殿
同・社殿

【磐座神社】(イワクラ)
 祭神−−少彦名神(スクナヒコナ)

 山辺の道を北へ、活日神社前をすこし進んだ右側(東側)にある。

 道脇に鳥居はあるものの社殿はなく、瑞垣(木製)の中に磐座が鎮座するのみ。
 三輪山中に拡がる磐座群のひとつ辺津磐座に属する磐座で、辺津磐座にはスクナヒコナが鎮まるという。
大神神社・摂社/磐座神社
摂社・磐座神社・鳥居
大神神社・摂社/磐座神社
同・瑞垣(中に磐座あり)

【神御前神社】(カミゴゼン)
 祭神−−倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)
  表参道・JR線を越えてすぐの道を鉄道沿いに左へ、狭井川を越えた先の左手100mほどにある道を右へ(角に桧原神社への矢印があるが、道から遠く且つ小さいため見つけにくい)、茅原集落を通る道の右側に鎮座する。当社の位置を正確に記した図面がなく、見つけにくい。
 社頭に掲げる案内には、
 「祭神は、第7代孝霊天皇の皇女で、第10代崇神天皇の御代、三輪大神の神妃として大神の神意を伺い、天皇を補けて、世に謂う三輪王朝・大和国家成立に尽力された」
とある。
 ヤマトトトヒモモソヒメは、神意を伺い伝える巫女(神の妻)で、崇神紀には
 ・世に災厄が多発したとき、オオモノヌシの意をうけて、天皇にこれを祀らしめた。
 ・四道将軍・大彦命が聞いた童歌を聴いて、タケハニヤスヒコの反乱を予知し、これを破らしめた。
 ・オオモノヌシの妻となったが、夜だけ訪れるオオモノヌシの正体(蛇)を知って驚いたため神に去られ、自らはホトを箸でついて死に、箸墓に葬られた。
とあり、古代に於ける最高の巫女とされる。

 ヒメがオオモノヌシの神妻であることから三輪の地に祀られ、摂社とされるのだろうが、その時期など不詳。
 また、大神神社史(1975刊)によれば、
 「もとの織田村大字茅原字神御前に鎮座あり、西面箸中の御墓(箸墓古墳)に相対せり」
とあるが、旧織田村茅原と現鎮座地との関係不明のため、鎮座地移動の有無は不明。

大神神社・摂社/神御前神社・鳥居
神御前神社・鳥居
大神神社・摂社/神御前神社・社殿
同・社殿

【大直禰子神社】(オオタタネコ)
 祭神−−大田田根子命・少彦名命・活玉依姫命
  表参道・二の鳥居の手前を左(北)へ入った道の突きあたりに鎮座する。

 当社の神主・大神氏(後の高宮氏)が、その祖神・オオタタネコを祀った神社。
 江戸時代までは若宮大御輪寺(ワカミヤ ダイゴリンジ)と称し、大神神社の神宮寺である大御輪寺の境内に祀られていたが、明治初年の神仏分離によって大御輪寺が廃されたことから独立し、大直禰子神社と改称したという(明治4年・1871)
 神社における若宮には、本社祭神の御子神・新しく勧請された神・激しく祟る霊魂(御霊・怨霊)などが挙げられるが、当社にあっては、本社祭神の御子神即ちオオモノヌシの御子・オオタタネコ(日本書紀)を若宮と目して社名・祭神を定めたのであろう。

 当社の創建時期は不詳だが、社伝には、
 「成務天皇(垂仁天皇の2代後)の御宇、大三輪君大友主、霊夢に依り祠を建てて之を祀る。当社の創祀なり」
とあるが、多分、後世の付会であろう。
 大友主とは、大神氏系図でオオタタネコの孫(曾孫ともいう)とされる人物で、垂仁紀3年条に、
 「天日槍(アメノヒホコ)が播磨へやってきたとき、天皇は、三輪君の祖・大友主と倭直の祖・長尾市とを派遣され、日槍に「お前は誰か。また何れの国の人か」と問われた」
と出ており、垂仁朝は疑問としても、何らかの存在伝承がある人物であろう。

 スクナヒコナは、オオモノヌシが御諸山に鎮座する以前にオオクニヌシとともに国造りした神で、イクタマヨリヒメは陶津耳命(スエツミミ)の娘で、オオモノヌシが通ったとされる女性(巫女)で大三輪君の母方の祖。いずれもオオモノヌシに関係する神だが、その合祀時期などは不明。

 今、入母屋造・瓦葺きの社殿(方五間、鎌倉期・弘安8年・1285建造という)の中に、本殿・拝殿共に収まっているが、今の社殿は江戸末まで当地にあった神宮寺・大御輪寺の本堂を転用したもので、昭和61年から3年間に亘って解体修理がおこなわれたという。本殿の外観・内陣の佇まいともに寺院本堂の面影を残している。

 大御輪寺は当社に隣接して建立された神宮寺で、奈良時代に創建されて以降“大神寺”(オオミワ)と呼ばれていたが宝亀元年-770-文屋真人淨三が大神寺において六波羅蜜経を講じたとの記録がある)、鎌倉期に入って衰微していたのを西大寺の僧・叡尊が修復し、寺号を“大御輪寺”と改称したといわれ、境内に若宮社殿が、本堂内に若宮神像が安置されていたという。明治の神仏分離によって廃寺。
 因みに、今、多武峰の聖琳寺にある十一面観音立像(乾漆像・平安時代・国宝)は、当寺が廃されたとき遷された本尊で、三輪明神の王子(若宮)の本地仏とされていたという。

 江戸末期(文政13年・1830)の古絵図には、二の鳥居の左(北側)に白壁に囲まれた一郭があり、山門(今は鳥居が立つ)を入った境内に堂舎2棟と三重塔が建ち、境内左手に“若宮”と記した社殿が見える。

大神神社・摂社/大直禰子神社・社殿
摂社・大直禰子神社・社殿
大神神社・摂社/大直禰子神社・社殿
同 左
大神神社・摂社/大直禰神社・内陣
同・内陣
大直禰子神社/江戸時代の古絵図
江戸時代・古絵図(部分)

 
境内には雑社・【御誕生所社】・【琴平社】の2社が鎮座している。

※御誕生所社
−−雑社
 境内の左手にある磐座。

 祭神−−鴨部美良姫命
       (オオタタネコの母神−先代旧事本紀)

 土塀で囲まれた神域に社殿はなく、玉上に囲まれた中に磐座一基が鎮座し、辺津磐座の一つという。
 鎮座由緒・時期など不明。
大直彌子社/雑社・御誕生所社・社頭
御誕生所社・社頭
御誕生所社/磐座
同・ご神体の磐座

※琴平社
−−雑社
 大直彌子神社(若宮社)境内の右手に鎮座する小祠。

 祭神−−大物主命

 鳥居の奥、瑞籬の中に春日造の小祠が鎮座するが、大直彌子神社との関係など詳細不明。
大神神社・雑社/琴平社・鳥居
琴平社・鳥居
大神神社・雑社/琴平社・社殿
同・社殿

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