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大神神社・摂社/綱越神社
奈良県櫻井市三輪字大鳥居
祭神−−祓戸大神
                                                               2010.07.26参詣

 延喜式神名帳に、『大和国城上郡 綱越神社』とある式内社だが、今は式内・大神神社の摂社となっている。

 JR桜井線・三輪駅の南、国道169号線脇に立つ大鳥居のすぐ北の鎮守の森に鎮座する小祠。

※祭神
 祭神の祓戸大神(祓戸神・ハラエト)とは、心身についた罪穢を取り払う禊祓を掌る神をいう。
 しかし、記紀にその名はみえず、延喜式の“六月晦大祓”(ミナツキノツゴモリノオオハラヘ)の祝詞に記されている4神、瀬織津比(セオリツヒメ)・速開津比(ハヤアキツヒメ)・気吹戸主(イブキドヌシ)・速佐須良比(ハヤサスラヒメ)をいう(イザナギのアワキハラでの禊ぎ祓いによって生じた神ともいうが、異論も多い)

 “六月晦大祓祝詞”とは、毎年6月と12月の晦日(旧暦)に親王以下百官が朱雀門前に参集して、半歳間の禍事・罪・穢れを祓いやる儀式(大祓)で述べられた祝詞で、その中に
 「洩れのこる罪はあるまいとて、天つ神国つ神の祓え給い清め給う罪事を、高山低山の頂上から渓流となって落ち沸く速川の瀬においでになるセオリツヒメという神が、大海原に持ち出るであろう。かように持ち出て往くならば人げのない遠い海で、多くの潮流が合して渦巻く辺りにおいでになるハヤアキツヒメという神が、それを持ってがぶがぶと呑み込んでしまうであろう。このように呑み込んでしまわれたならば、気吹戸においでになるイブキドヌシという神が、それを根国底の国に吹き放ってしまうであろう。このように吹き払ってしまうならば、根国底の国においでになるハヤサスラヒメという神が、これを持ちさすらって失ってしまうであろう」
との一節があり、
 4神の役割は次のようになる。
 ・セオリツヒメ−−諸々の禍事・罪・穢れを川から海へと流す。
 ・ハヤアキツヒメ−−海底で待ちかまえていて、流れてくる禍事・罪・穢れを呑み込む。
 ・イブキドヌシ−−ハヤアキツヒメが呑み込んだ諸々の禍事・罪・穢れを、根国・底国へと吹き放つ。
 ・ハヤサスラヒメ−−根国・底国に持ちこまれた禍事・罪・穢れを消滅させてしまう。

 通常、旧暦6月晦日におこなわれる“夏越祓”(ナゴシノハライ、12月晦日にも同じ儀式がおこなわれた)が、上記大祓の系統をひく儀式とされるが、
 社頭に掲げる案内には、
 「当社は“夏越の社”ともいわれ、旧6月晦日の大祓・夏越祓が厳粛におこなわれる古社として広く知られ、社名の綱越は、この夏越がら転訛したものといわれる(綱越に三輪山を拝したからともいうが、意味不明)
 本社の最も大切な卯の日の神事(4月9日)、つまり大神祭の奉仕に先立ち、その前日に神主以下奉仕員が三輪川での垢離取り(コリトリ)の後、当社において祓いの儀をうけて初めて、本社の神事に携わることができた」
とある。

 当社で、毎年7月31日(旧暦6月晦日の月遅れ)におこなわれる“御祓祭”(オンパラマツリ→当社をオンパラサンともいう)には、大祓とともに“茅の輪くぐり”がおこなわれる。これは上記大祓の儀式に牛頭天王の護符である“茅の輪信仰”が合体したものといえる。

※創建由緒
 当社の創建由緒・時期などの詳細は不明。ただ三代実録(901)には、「貞観元年(859)、無位から従五位下に叙せられた」とあるというから、平安初期以前からの古社であろう。
 明治に入って村社に列せられ、同10年大神神社の摂社に指定されている。


※社殿
 鎮守の森の木洩れ日の中に、高の低い鳥居(木造)・簡素な拝殿・瑞垣内の古びた本殿などが東面して並ぶ。鳥居右下に「綱越神社」との小さな石標が立つ。

  本殿−−春日造一間社・檜皮葺(一面苔生している)
  拝殿−−切妻瓦葺
  古くは社務所があったらしいが(大神神社史1975)、今、それらしい建物はみあたらない。

 参詣したとき、御祓祭の準備が始まっていて、拝殿前にはテントが張られていた。
綱越神社/本殿
綱越神社・本殿

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