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鎮 国 寺
福岡県宗像市吉田966
本尊--大日如来
                                                        2017.07.24参詣

 宗像大社・辺津宮の東北約500m、釣川対岸の屏風山山腹に鎮座する。

 真言宗御室派別格本山 屏風山鎮国寺  旧宗像大社神宮寺
 大同元年(806)、弘法大師・空海が唐から帰朝後最初に建立した寺院という。

※縁起
 頂いた参詣の栞には、略記として
  「弘法大師・空海は、第16次遣唐使船で入唐の砌、大暴風雨に遭遇されました。
 この時危難を掬わんが為、海の守護神・宗像大神をはじめ諸仏菩薩に祈誓を込められたところ、波間に不動明王が示現されました。(明王が)右手に持たれる般若の利剣で波を左右に振り払われると、荒れ狂う風波は瞬く間に鎮まり、無事唐土に着くことが出来たのです。
 首都長安(西安)において、青竜寺の恵果阿闍梨から真言の秘法を授かり、大同元年(806)に帰朝された弘法大師は、まず宗像大社に礼参されました。
 その時、屏風山に瑞雲が棚引くのを観られ、奥の院岩窟において修法を始められたところ、『此の地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地』とのお告げをこうむり、一宇を建立し、屏風山鎮国寺と号されました」

 本堂脇の石柱には、
  「弘法大師が大同元年(806)唐より帰朝後、日本で最初に開創せられた古刹である。
 本堂には宗像五社の御本地仏を安置し、護摩堂の身代わり不動明王は弘法大師御作にて日本最古で国宝に指定せられ、霊験の躍如たる事で広く世人に知られている。
 註 紀州高野山の開創は弘仁7年(816)であるから高野山より10年古い」
とある。

 弘法大師・空海の事績を記す略年表(当社関連のみ)
 ・延暦23年(804)--5月12日 遣唐使・藤原葛野麻呂の船に乗り難波を発つ
              8月10日 暴風雨に遭遇、福州長渓県赤岸鎮に漂着
 ・大同元年(806)--8月    明州を発ち帰国の途につき、太宰府に着く
とあるように、空海は、渡唐の途中に暴風雨に遭遇し漂流、かろうじて中国南部の福州赤岸鎮(現福建省福寧湾付近)に漂着したといわれ(この時の遣唐使船4隻のうち、中国大陸に到着したのは2隻のみという)、これに付託して作られたのが上記縁起であろう。

 
鎮国寺・入口
(両側に仁王像が立つのみで山門等はない)
 
同・境内一部
(左:護摩堂、右:本堂)
 
境内絵図(参詣の栞より)

※堂舎等
◎本堂(五仏堂)
  本堂須弥壇に5体の仏像を祀る故に五仏堂ともいう。
  本尊は中央に坐す大日如来座像で、神仏習合思想にでは沖津宮の祭神・田心姫神の本地仏という。

 五仏の本地仏は以下の通り。(向かって右より)
 ・如意輪観音菩薩  織幡明神の本地仏
 ・釈迦如来       中津宮 湍津姫神の本地仏    伝弘法大師作
 ・大日如来       沖津宮 田心姫神の本地仏    伝弘法大師作  鎮護時本尊
 ・薬師如来       辺津宮 市杵島姫神の本地仏  伝弘法大師作
 ・阿弥陀如来     許斐権現の本地仏         伝定朝作


本 堂 
 
本堂内陣・中央部
 
五仏座像
(参詣の栞より転写)

 本堂の向かって左に護摩堂(本尊:不動明王立像-国重文)が、本堂の右前に大師堂(本尊:弘法大師座像)が建ち、境内には聖観音立像・不動明王立像などが立っている。


護摩堂 
 
大師堂

 なお、本堂前から八十八ヶ所石仏を拝しながら石段を上がった上に奥の院があり、その裏の洞窟が弘法大師修行の場といわれ、不動明王石像を祀るという(不参詣)

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