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妙見信仰とは

 妙見(ミョウケン)信仰とは、一般には仏教でいう北辰妙見菩薩(ホクシンミョウケンボサツ)に対する信仰をいうが、その原姿は、道教における星辰信仰、特に北極星・北斗七星に対する信仰である。

 道教では、北天にあって動かない北極星(北辰ともいう)を宇宙の全てを支配する最高神・天帝(太一神ともいう)として崇め、その傍らで天帝の乗り物ともされる北斗七星は、天帝からの委託を受けて人々の行状を監視し、その生死禍福を支配するとされた。そこから、北辰・北斗に祈れば百邪を除き、災厄を免れ、福がもたらされ、長生きできるとの信仰が生まれ、その半面、悪行があれば寿命が縮められ、死後も地獄の責め苦から免れないともされた。

 この北辰・北斗を神格化したのが『鎮宅霊符神』(チンタクレイフシン)で、それが仏教に入って『北辰妙見菩薩』と変じ、神道では『天御中主神』(アメノミナカヌシ)と習合したという。

 この北辰・北斗信仰がわが国に入ったのは推古天皇のころというが、その真偽は不明。ただ、奈良・明日香の高松塚古墳の天井に北斗七星が、北壁に北斗の象徴である玄武像(ゲンブ、亀と蛇とがかみついた像)が描かれ、また正倉院御物にも金泥・銀泥で北斗七星が描かれた合子(ゴウス)があることなどからみると、奈良時代に知られていたのは確かである。

※鎮宅霊符神
 鎮宅霊符の“霊符”とは一種の護符で、ご利益の種類に応じて多くの霊符があるという。わが国でいう“お札”“お守り”の原点ともいえる。
 鎮宅霊符とは72種の霊符を一枚にまとめたもので、文字通り家宅を治め家人の安全を護る護符であり、これを家の四方に配すれば邪霊排除、いわゆる魔除けに効果があるとされた。
 その霊符が時代とともに次第にご利益の範囲を弘め、例えば漢の頃、貧しくて病難災厄が続いていたある一家に、ある日二人の童子が訪れて鎮宅霊符を授け、
 「これを朝夕礼拝祈念すれば、10年にして家おおいに富み、20年にして子孫繁栄、30年にして天子がその家を訪れるであろう」
と告げた。奇しきことと思いながらも礼拝していたら、お告げの通り天子が訪れてくるまでに富み栄えた。その家を訪れた天子は、その話を聞き、この霊符の霊験あらたかなことに驚き、自らも信奉し且つ天下に弘めさせた、との伝承があるように、数ある霊符のなかで最も強力な力を持つ霊符として広く信仰されたという。

※北辰妙見菩薩(妙見菩薩)
 仏教にいう“菩薩”とは、“悟りを求める人”あるいは“悟りを得た人”の意で、仏に次ぐ地位にある尊格だが、妙見菩薩は菩薩を称するもののインド由来のそれと異なり、仏教パルテノンでは、弁財天や毘沙門天などと同じく“天部”に属する。一般の菩薩に比べて格が低いということだが、その分、身近な尊格として親しみやすかったのかもしれない。

 妙見とは“妙なる視力”、事の善悪や真理をよく見通すという意で、七仏所説神呪経(5・6世紀頃中国で成立した偽経)には、
 『吾は北辰菩薩、名づけて妙見という。・・・吾を祀らば護国鎮守・除災招福・長寿延命・風雨順調・五穀豊穣・人民安楽にして、王は徳を讃えられん』
と現世利益の功徳を讃えている。

 わが国では密教や修験道で重要視され、これを勧請しての国家鎮護・除災招福の祈願が密教僧あるいは修験僧によって盛んにおこなわれたという。特に日蓮宗では「日蓮が宗門隆盛を祈っているとき、天から大きな明星が降りてきた」とか「日蓮が伊勢の常明寺に滞在しているとき、北辰妙見菩薩が姿を顕した」といった伝承から、宗祖・日蓮との関わりが深く、妙見菩薩を祀る星祭りが盛大におこなわれたという。
 また俗信では、眼病平癒に験ある仏として巷間に浸透している。

※天御中主神
 アメノミナカヌシとは、古事記冒頭の天地開闢に際して、混沌のなかから最初に成り出でた造化三神(アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒ)の中心となる神である。ただ、この神は開闢の冒頭に登場するもただちに身を隠したため何らの事績もなく、古社のなかでこの神を祭神とする社はなく、この神の後裔を名乗る氏族もないという不思議な神で、重要な神でありながら中心から身を引いた神といえる。

 しかし鎌倉以降、特に江戸時代になって記紀神話の再解釈や神道思想の高揚とともに、この神を天地創造の主宰神・世界を創造し支配する最高神とする思想が生まれ、神仏習合の進展ともあいまって妙見菩薩や鎮宅霊符神と習合していったといわれる。

 この神が鎮宅霊符神と習合したのは、両者ともに宇宙を創生した最高神とされることが大きな要因であろうが、この神について、記紀神話に何らの記載もないことから、後世の神格形成に際して自由度が高かったことからともいえ、それはキリスト教におけるマリア信仰と同じである。

※妙見信仰の現在
 江戸時代までの妙見信仰は、仏教の北辰妙見信仰と道教の鎮宅霊符信仰、そして神道の天御中主信仰などが入り交じった複雑なものであった。しかし現世利益を求める庶民からすると、そこに祀られている神仏の神格・由来など関係ないことで、ただありがたい神仏として祈ることと引き換えに、求めるご利益さえ与えてもらえば良しとしたのが実態で、それは現在にも引き継がれた庶民の信仰である。

 いま鎮宅霊符神を表に出している社寺は少なく、ミョウケンボサツを主尊とする寺院とアメノミナカヌシを主祭神とする神社に別れている。これは明治初年の神仏分離によって、鎮宅霊符神が邪神として排除されたためである。

 いま大坂とその周辺では、日本三大妙見のひとつとして知られる“能勢の妙見さん”が著名で、“星田の妙見さん”がこれに次ぐが、他にも各地に仏教系・神道系の妙見信仰を見ることができる。

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