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河内(河内郡)の式内社/大津神社(東大阪市)
大阪府東大阪市水走2丁目
祭神−−大土神(土之御祖神)
                                                   2010.03.11参詣

 延喜式神名帳に、『河内国河内郡 大津神社』とある式内社。

 近鉄けいはんな線・吉田駅の少し東南、住宅地内に鎮座する小さな社。国道308号線一本南の道端に南面して鳥居が立ち、境内には入母屋造の社殿一棟、その左に流造の末社殿が建つのみ。

大津神社/鳥居
大津神社・鳥居
大津神社/本社殿
同・本社殿
大津神社/末社
同・末社(八幡神社か)

※祭神
 社頭に立つ案内石碑によれば、
 「当神社は延喜式神名帳にのせられている古社にして、御祭神は大歳神(大年神・オオトシ)の御子大土神(オオスナ、別名:土之御祖神:スナノミオヤ)で、字宮林に鎮座するとある。
 創建の年月は詳でないが、伝説によれば、天児屋根命(枚岡神社の御祭神)の乳母津速比売(ツハヤヒメ)ともいわれている」
とあるが、諸説があって定説はない。
 諸書に記す祭神を略記すれば次のとおり。
 ・大阪府全志(大正11・1922)−−祭神不詳、伝説にはツハヤヒメという。
 ・大阪府史蹟名勝天然記念物(昭和3年・1928)−−オオツチを祀る。或いは津速産霊神(ツハヤムスビ)を祀るという。
 ・式内社調査報告(1979)−−祭神不詳。ただしツハヤヒメあるいはツハヤムスビともいう。
 ・式内社の研究(1977)−−百済国貴須王の後裔・津連の祖神(ただし、羽曳野にある同名の大津神社の祭神と混同しているらしい)

 案内にいう祭神の父神・大歳神は、古事記ではスサノヲの御子神で、兄弟神のウカノミタマ・御子の御年神(ミトシ)とともに穀物守護の神とされるが、書紀には見えない。大年神には17柱の御子神があったとされ、その最後尾に当社祭神・大土神がみえる。

 祭神・大土神は、大年神と天知迦流美豆比売(アメノチカルミヅヒメ)との間に生まれた御子神で(古事記)、稲を生育させる田圃の土壌を守護する“土の神”であり、土地の守護神ともいわれる。当社ではオオスナと読んでいるが古事記ではオオツチと読み、別名・土之御祖神(ツチノミオヤ)ともいう。

 異伝のツハヤヒメとは、大阪府全志にはアメノコヤネの乳母とあるが、その出典は不明。同じくツハヤムスビとは、アメノコヤネの曾祖父という神で津速魂命(ツハヤムスビ)とも記し、中臣氏の祖神とされる。

 河内国式神私考には「大津は大津智(オオツチ)の略称なり」とあるというから(式内社調査報告)、大土神説が妥当のようだが、当社が鎮座する水走(ミズハイ)の地が、下記するように中臣系氏族の水走氏の拠点だったことから、本来の祭神は、水走氏(中臣氏)の祖神を祀ったとも推察され、中臣氏の祖神・ツハヤムスビあるいは乳母・ツハヤヒメのいずれかが祭神であった可能性が強いともいえる。明治初年に、それまでの祭神を記紀などに載る著名な神に変えた事例が多く、当社もその一社かもしれない。

 なお民俗学では、大年神は正月に各家々にやってくる“年神”(正月神・年徳神・歳年神)とされる。“年”とは“稲の実り”のことで、そこから大年神は年の初めにその年の豊作を祈念して来訪する“穀物神”であり、豊饒を司ることから“田の神”でもあり、子孫の幸福=豊作を見守る“先祖の霊”ともいう。

 なお、末社の社名・祭神名は不明だが、大阪府全志・式内社調査報告には「末社・八幡神社」とある。

※創建由緒
 当社創建に係わる資料はないが、社頭の案内には、
 「社名よりして、古代当地は湖沼時代に沿岸地域での港津として重要な交通上の拠点として発展してきた地と推察される。
 平安時代から中世にかけての集落が営まれた水走(ミズハイ)遺跡と合わせて、土豪水走氏が河内の一つの拠点として拓き発展したものと考えられる」
とある。
 水走氏とは、平安時代後期に中臣系氏族の一・平岡連(枚岡神社の祭祀氏族)から分かれたという氏族で、枚岡神社や当社の神官を務めるとともに、旧大和川の支流や寝屋川他の中小河川・湖沼が入り込んでいた当地方の水運権・漁業権を掌握することで、武士団としても勢力をもっていたという。鎌倉時代から室町時代までその時々の盛衰はあるものの、それなりの勢力をもって存続したが、戦国時代になって没落し、その後は枚岡神社の神職として続いたが、明治初年の神社制度の変更により退転したという。

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