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河内(大縣郡)の式内社/常世岐姫神社
通称−−八王子神社
大阪府八尾市神宮寺5丁目
祭神−−常世岐姫命
                                                        2011.05.14参詣

 延喜式式内社に、『河内国大県郡 常世岐姫神社』とある式内社だが、江戸時代には“八王子神社”と呼ばれ、今も社殿内陣にに掲げる神額、社頭の案内にも“八王子神社”とある。常世岐姫は“トコヨキヒメ”と訓む。

 近鉄大阪線・法善寺駅の北東約900m(恩智駅の南東約1km強)、国道170号線すぐ東側の住宅地内に鎮座する。コンビニ店南側道路を東へ入った左手(北)に見える楠の大樹が目印。

※由緒
 創建年代・由緒など不詳だが、江戸中期の古書・河内志(1733)には、
 「常世岐神社 貞観9年(867)2月官社に預かる。(大縣郡)神宮寺村に在り、今八王子と称す」
とある(河内名所図会・1801も同じ)
 河内志の編者・並河誠所(1668--1738)が、忘れられかかっていた式内社を調査・比定するなかで、神宮寺村の八王子社を式内・常世岐神社に充てたものというが、その根拠は不明。

 社頭に掲げる案内(八尾市教育委員会掲示)には、
 「式内社で常世岐姫神社といったが、地元では八王子神社として親しまれている。
 古記録に依れば、宝亀7年(776)の夏河内国大県郡の人正六位上・赤染人足(アカソメヒトタリ)ら13人に常世岐(トコヨキ)の姓を与えたという(注、続日本紀には、宝亀8年の賜姓で、氏姓も常世岐ではなく常世連-トコヨムラジとある−−下記)
 赤染とは茜染のことで、このあたりの人々が茜染をやっていたことがわかり、この人々の祖神を祀ったものであろう。
 今は安産の神として名高い」
とあり、創建時期・由緒などは記していない。

 常世氏とは、新撰姓氏禄には
 「河内国諸蕃(漢) 常世連 燕の国王・公孫淵より出る也」
と大陸系渡来氏族とあるが(右京諸蕃にも常世連あり)、一般には朝鮮半島(新羅)系渡来人という。旧姓は赤染氏(アカソメorアカゾメ)

 日本書紀には、天武天皇が吉野を脱出して伊賀から鈴鹿へ至ったとき、従う人々のなかに“赤染造徳足”(アカゾメノミヤツコ トクタリ)なる人物が見え、続日本紀には
 ・聖武天皇・天平19年(747)8月23日 天皇は、正六位上赤染造広足・赤染高麻呂ら9人に常世連の氏姓を賜る
 ・孝謙天皇・天平勝宝2年(750)9月1日 正六位赤染造広足・赤染高麻呂ら24人に常世連の氏姓を賜る
  (同一人物に2度にわたって記されているが、後者・孝謙朝が史実ではないかという−日本の神々3所載・常世岐姫神社・2000)
 ・光仁天皇・宝亀8年(777)4月14日 右京の従六位上・赤染国持ら4人、河内国大県郡の正六位上・赤染人足(ヒトタリ)ら13人、遠江国蓁原郡の外八位下・赤染長浜、因幡国八上郡の外従六位下・赤染帯縄ら19人に常世連を賜う
とあり、8世紀中頃に“常世連(トコヨムラジ)”の氏姓を賜って改姓し、その後、右京・河内・遠江・因幡など各地の赤染氏もまた常世連の氏姓を賜ったという。

 上記の賜姓時期からみて、当社祭神名が当初から常世岐姫(トコヨキヒメ)と称したのであれば、改姓後の8世紀中葉以降の創建かと思われる。

 なお赤染氏は、豊前国(現福岡県田川郡香春町)の式内社・香春神社(カハラ)の神職でもあったという。香春神社は新羅系渡来氏族(秦氏に連なるともいう)が創建した神社で(豊前国風土記に、「昔、新羅の国の神−香春の神−が自ら海を渡って来た」とある)、その渡来氏族が香春の地から東進して宇佐地方に入り、在地氏族(宇佐氏)と一体化して創建したのが宇佐八幡宮という。
 彼らは土木・養蚕・機織・採鉱冶金といった先進技術をもって各地に展開したといわれ、当地の赤染氏もその一族として染色・赤染(紅染・茜染)などの特技をもった技術集団であろうといわれ、時代は降るが、鎌倉時代の吾妻鏡(1300頃)には、
 「この地の人々は河内国藍御作手(アイミツクテ)奉行に任ぜられ、諸国へ藍作・藍染の技術を指導した」
とあるという(未確認)

 中世から近世にかけての当地(神宮寺村)は大縣郡には属するものの、北接する高安郡にある式内・恩智神社の氏地に属し(大県郡のうち、神宮寺のみが八尾市に編入されたのも、この為か)、当社も同社の傘下に入っていたといわれ、江戸時代の恩智神社に牛頭天王(ゴズテンノウ)が勧請されていたことから、当社はゴズテンノウの御子・八王子を祀るとされたのかもしれない。
 疫病除け・災厄除けの神として親しまれたゴズテンノウが、明治の神仏分離に際して邪神として排斥されたため、その御子である八王子も同様の扱いをうけ、明治以降は常世岐姫神社が正式社名となったというが、地元では依然として八王子社として親しまれている(地図等にも八王子社とある)。常世岐姫という聞きなれない神より、従来から慣れ親しんだ八王子神が氏神として似つかわしいということかもしれない。
 今、安産の神とされる由緒は不詳。祭神が女神という単純な理由かもしれないが、防疫神・八王子神に出産時の母子安泰を願ったのかもしれない。

※祭神
 常世連の祖神・常世岐姫を祀るということでは諸資料とも同じで、渡来系の神と見なされるが、当地に居住した常世連がその祖神を祀ったものであろうというだけで、その出自・神格は不詳。

 八王子という場合は、ゴズテンノウの8人の御子神を指す。ゴズテンノウとは、強烈な疫病神であると共に之を祀れば諸病・災厄を払ってくれるといわれた中・近世の流行神で、その御子も又同じ神格をもった疫病除け・災厄除けの神として、江戸時代になって(或いはそれ以前から)祀られたのであろう。

 別説として、神社覈録(1870)は社名を“トコヨフナトヒメ”と読んで、常世氏・道祖氏(フナド)両氏の氏神という。道祖氏とは、新撰姓氏禄に 「右京諸蕃(百済) 道祖史 百済国人挨許里公(読み不明)より出る也」 とみえる氏族だが詳細不明。また当地とのかかわりも不明。
 なおフナト神(岐神)とは、イザナギがヨモツヒラサカ(この世とあの夜の境にある坂)で追ってきたイザナミへ別離を告げたとき生まれた神で、境界にあって他界から侵入しようとする疫神・悪神・邪霊を排除する神とされ、平安時代には、京の四境などで祀られたという。疫病排除という意味ではゴズテンノウと通じるものがある。

※社殿等
 北側道路沿いに鳥居が立ち、石垣を積んで高くなった境内正面に拝殿(入母屋造・瓦葺、三間×二間)が北面して建つ。資料によれば、“本殿は流造の小祠で拝殿内に安置する”というが、拝殿に連なる覆屋らしい建物内に鎮座するか。
 狭い境内の一画には、末社・金刀毘羅社と稲荷社が鎮座するが、その勧請時期・由緒など不明。

常世岐姫神社/鳥居
常世岐姫神社・鳥居
常世岐姫神社/拝殿
同・拝殿
常世岐姫神社/拝殿内陣
同・拝殿内陣

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