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河内(若江郡)の式内社/都留美嶋神社
大阪府八尾市都塚3丁目
祭神−−不明
                                                             2010.06.12参詣

 延喜式神名帳に、『河内国若江郡 都留美嶋神社 鍬』とある式内社。

 JR関西線・志紀駅の北東約1km、駅の東を通る大阪外環状線を北へ、都塚交差点の東方、田畑の中のこんもりと繁った細長い島状の小丘の中央部に鎮座する。この地区には都塚・大塚・弁財天塚・祇園塚など塚と呼ばれる小高い丘が点在するという(大阪府全志-1922)。この辺りは、いまだに田畑が広がる田園地帯となっているが、都塚以外に塚の有無はよく分からない。

 当社が鎮座する都塚について、大阪府誌(1903には、
 「都塚は古の由義宮の一部にして、宮址の遺りて塚たりしより此の名ありといふ」
とあるが、一見して頂を削られた古墳のようにみえ、この附近を拠点とした弓削氏などの墳墓ではないかともいう。

※祭神
 古資料・河内志(1733)・河内名所図会(1801)には祭神の記載なく、大阪府誌以下明治以降の史料には「祭神不詳」とある。ただ式内社調査報告(1979)には、
 「近世以降、地元ではこの神を水の神として信仰し、祈雨に霊験ありとされる」
とあり、
 ・河泉神社記(1873写本)−−所祭不詳 俗称倉美豆波神
 ・大阪府史蹟名勝天然記念物(1928)−−或云 祭神は闇御津羽神
との説を紹介している。
 倉御豆波・闇御津羽はいずれも“クラミツハ”(=クラオカミ)と訓み、水の精・水神を指す。農耕に必要な水を司る神として崇拝されていた自然神に、記紀の水神であるこの神名を当てたもので、当社本来の祭神とするのは疑問。

 今、現地には『式内 都留美嶋神社』とあるのみで、他に案内板もなく、祭神・由緒など不明。

※鎮座由緒
 創建年代・由緒など不明。いずれの古資料にも
 「元 都塚の南にあったが、後に塚の上に遷した」
とあるのみで、詳細不詳。

※社殿

 鳥居の横に「式内 都留美嶋神社」との社標が立つのみで、他に何らの標示もない。

 鳥居先すぐ、約2m強の石垣の上に簡素な拝殿が、その奥、ブロック塀の中に流造の本殿(コンクリート造)が建つ。
 忘れられたような古ぼけた社だが、境内の清掃はなされており、祭祀は続いているらしい。

 石垣下の左手に、稲荷社(吉岡大明神)がある。
都留美嶋神社/社標 都留美嶋神社/末社・稲荷社
末社・稲荷社

都留美嶋神社・鳥居

同・拝殿

同・本殿

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