トップページへ戻る

河内(大縣郡)の式内社/若倭彦命神社・若倭姫命神社
若倭彦命神社−−大阪府柏原市平野町2丁目
祭神−−若倭彦命
若倭姫命神社−−大阪府柏原市山之井町
祭神−−若倭姫命
                                                             2011.05.14参詣

 延喜式神名帳に、『河内国大県郡 若倭彦命神社 鍬』、及び『同 若倭姫命神社 鍬』とある式内社。社名はワカヤマトヒコノミコト・ワカヤマトヒメノミコトと訓む。

 若倭彦命神社−−近鉄大阪線・法善寺駅の東約600m、駅の東を南北に通る国道170号線(旧東高野街道・平野交差点のすぐ南、交番前の辻を東へ進んだ住宅地内に鎮座する。
 若倭姫命神社−−近鉄・法善寺駅の北東約900m(若倭彦命神社の北約600m)、若倭彦命神社前から国道170号線を約600m北上、山之井町交差点の一本北の辻を東へ入った突きあたり、薬師山山麓の瑠璃光寺境内に入って右手奥に当社の鳥居が建つ。

※由緒
 両社ともに、当地辺りを本貫としていた若倭部連(ワカヤマトベノムラジ)が、その祖神を祀った神社と推察されるだけで、その由緒等は不明。
 創建時期も不明だが、三代実録(901)によれば、貞観元年(859)、両社ともに従五位下の神階が授与されているから、遅くとも8世紀末頃には存在していたと思われる。
 なお、延喜式には社名の後に“鍬”とある。祈年祭奉斎時に“鍬一口”が加えられたことを示し、同じ小社でも一般のそれよりやや格上の神社だったといえる。

 当社の祭祀氏族とされる若倭部氏(ワカヤマトベ)について、
 先代旧事本紀(天孫本紀−9世紀後半、物部氏系史書)には
  「饒速日尊(ニギハヤヒ)五世の孫・建筒草命(タケツツクサ)
         −−建額赤命(タケヌカアカ・=建額明命)の子、多治比連・津守連・若倭部連・葛木廚直の祖」
とあり、物部氏系の古い氏族という。
 また新撰姓氏禄(815)には、
 ・右京神別(天神) 若倭部連 神魂命七世孫天筒草命之後也
 ・右京神別(天神) 若倭部  火明命四世孫建額明命之後也
 ・左京神別(天神) 若倭部  神饒速比命十八世孫子田知(コタチ)之後也
の3氏が見える。
 一見して遠祖名・祖神名が異なり別々の氏族とも見えるが、旧事本紀によると、火明命と饒速日命は異名同神(天照国照彦天火明饒速日尊)であり、物部氏の推定系図の一つ(海部氏・尾張氏・津守氏系図)に、
  火明(饒速日)−天香語山−・−・−建額赤(建赤明、若倭部連連祖)−建筒草(津守連・多治比連・葛木廚直祖)−・・・
とあり(ネット資料・旧事本紀によるか)、そこに天筒草命・建額明命の名があることから、若倭部氏が物部系氏族であることは確かといえる(若倭部連にいう神魂命との繋がりは不明)
 その若倭部氏は、その後幾つかに別れていったらしいが、当社にかかわるのがどの氏族かは不明。

 両社ともに中世の状況は不明。江戸時代、若倭彦命神社は八幡宮と呼ばれ、権現(熊野権現か)・八幡の二座が祀られ、若倭姫命神社は隣接する医王山薬師寺(瑠璃光寺)の鎮守として、春日・白山あるいは春日・八幡が祀られていたといわれ、今の社名になったのは、いずれも明治の神仏分離後という。

 両社とも、明治41年(1908)の神社統合整理によって式内・鐸比古鐸比売神社(柏原市大県4丁目・若倭彦神社の南約500m)に合祀されたが、戦後になって独立復帰したという。(以上、式内社調査報告・1979)

※祭神
 若倭部連の祖神・若倭彦命と若倭姫命の夫婦神を祀ったということには、諸資料とも異論はない。
 ただ氏族がその祖神を祀る場合、○○命という具体的な祖神名(饒速日命あるいは建筒草命など)とするのが多いが、当社が若倭彦・姫という抽象的とも思える神名とすることは解せない。
 また、江戸時代には春日・八幡・権現・白山神などを祀っていたというから、あるいは、本来の祭神名が分からなくなっていたのかもしれない。

※社殿等
 『若倭彦命神社』
 国道170号線から、緩やかな坂道を登り切った左側に、南面して鎮座する。
 入口の〆鳥居のすぐ奥に拝殿(入母屋造・瓦葺)、その奥、覆屋の中に本殿(一間社流造・粉河葺)が鎮座する。
 社殿は、戦後になって、合祀されていた鐸比古鐸比売神社から独立分離したというから、その時の造営であろうか。
 資料によれば、境内社として八幡社があるというが、それらしき社はみあたらない。
 なお、鳥居右の社標・拝殿軒下に掲げる神額には“若倭彦神社”とあり、“命”はついていない。

若倭彦命神社/〆鳥居
若倭彦命神社・〆鳥居
若倭彦命神社/拝殿
同・拝殿
若倭彦命神社/本殿
同・本殿

 『若倭姫命神社』
 国道170号線から、緩やかな坂道を登った突きあたり右手に山井寺との寺院があり、その横の石段を登った上が二手に分かれ、右手奥に当社の鳥居が立つ(左は瑠璃光寺)。なお、鳥居横の社標には“若倭姫神社”とあって、“命”はついていない。
 鳥居をくぐり石段を登った上、左に拝殿(切妻造平入・瓦葺)が、その奥、屹立する岩山の前に本殿(三間社流造・銅板葺)が鎮座する。
 社殿は、戦後になって、合祀されていた鐸比古鐸比売神社から独立分離した時の造営であろうか。
 資料には境内末社・進雄神社(スサノヲ・元牛頭天王社か)があるというが、みあたらない。拝殿右に玉垣で囲まれた一画があり、此処にあったのかもしれない。他には、玉垣の右に稲荷社があるのみ。

若倭姫命神社/鳥居
若倭姫命神社・鳥居
若倭姫命神社/拝殿
同・拝殿
若倭姫命神社/本殿
同・本殿

トップページへ戻る