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鎮宅霊符神社
奈良市陰陽町5
祭神--天之御中主神
                                                      3021.03.24参詣

 近鉄奈良駅の南約800m、駅東の商店街を南下、信号を越えて少し行った道路東脇に「奈良町からくりおもちゃ館」との案内板があり、その角を西へ入った先に鎮座する。(からくりおもちゃ館の東隣り)

※由緒
 道路北側に立つ門に掲げる案内には、
 「永久5年(1117・平安後期)に社檀を建立し、“元要記”に『南都四箇陰陽師之を勤仕す』とあり、陰陽師の鎮守として祀られた。
   御祭神  天之御中主神
 古事記では、高天原に出現した三神の中で最初に現れた神であり、不動の天帝・北極星の神童であろうとされている。
  宇宙創造神 又神仏習合説 妙見信仰の神
    (御神徳-略)
 また、境内社は住吉神社で、住吉三神を祀っている。
 ユーモラスな顔つきの狛犬は、慶応3年(1867)の銘がある」
とある。

 当社に関する資料は少ないが、管見した資料として
 元要記(鎌倉時代、社寺の由来等をまとめた古書)
 「興福寺行疫神(コウエキシン) 鳥羽院御宇 永久五年正月社檀建立 南都四箇陰陽師仕之」

 奈良市史
 「かつての陰陽町には多くの陰陽師が住み、彼らが陰陽道で崇める鎮宅霊符神を祀った」

 西隣りの“からくりおもちゃ館”に掲げる陰陽町名の由来
 「時を司り暦を造っていた陰陽師たちが住んでいたところから付けられた町名で、
 ここでは庶民が最初に□□した暦といわれる奈良暦(南都暦)が作られていた。(□□は判読不能、“手に”か)
 町内にある鎮宅霊符神社は陰陽師の神と仰がれた天之御中主神を祀っている」
などがあり、
 当地に住んでいた陰陽師たちが守護神として鎮宅霊符神を祀ったのが当社の前身という。

 因みに奈良暦(南都暦)とは、許可を得て大和国一円で頒布されていた地方暦で、その起源は15世紀中頃といわれ、その製作頒布には奈良の暦師(陰陽師14家)がこれに当たったという。

※祭神
   天之御中主神(アメノミナカヌシ)

 天之御中主神とは、古事記冒頭に記す天地初発のとき、混沌の中から最初に成り出た所謂・造化三神(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)の中心となる神だが、冒頭に登場するものの独神のまま身を隠したため、何らの事蹟もなく、古社の中でこの神を祀る神社はなく、この神の後裔を名乗る氏族もないという不思議な神。

 しかし鎌倉以降の記紀神話の再解釈や神道思想の高揚とともに、この神を天地創造の最高神とする思想が生まれ、神仏習合の進展ともあいまって妙見菩薩や鎮宅霊符神と習合していったといわれ、
 特に、江戸中期の国学者・平田篤胤(1776--1843)が、提唱する復古神道のなかで天之御中主神を妙見菩薩と習合させたことから弘まったともいう。

 この神が鎮宅霊符神と習合したのは、両神ともに宇宙を創成した最高神とされることが大きな要因であろうが、記紀神話のなかに出生伝承以外に何らの記載もないことから、後世の神格形成に際して自由度が高かったからともいう。

*鎮宅霊符神(チンタクレイフシン)
 上記資料がいうように、当社本来の祭神は陰陽師が奉祀した鎮宅霊符神だったと思われる。

 鎮宅霊符神とは、道教で北辰(北極星)・北斗(北斗七星)を神格化した尊格で、北天にあって動かない北極星を全宇宙を支配する最高神・天帝として崇め、その傍らにあって天帝の乗り物とされる北斗七星は、天帝からの委託をうけて人々の行状を監視し、その生死禍福を支配するとされた。

 その鎮宅霊符神を中央に配した鎮宅霊符の“霊符”とは、道教で強力な霊力をもつとして崇拝される一種の“護符・お札”のことで、その霊力を信じて崇拝すれば、天災人禍を排除し、妖魔を退散させ、難病死病も治癒し、長生不老の福寿を得さしめ、天下太平をもたらすという。

 霊符には、その御利益の種類によって多くの霊符があるが、そのなかで鎮宅霊符神を中心として周りに72枚の霊符を配した太上神仙鎮宅霊符(右写真・星田妙見宮)は最も強力な霊力をもつという。

 

 中国では漢時代から朝野にわたって広く信仰され、漢の頃、貧しくて病難災厄が続いていた一家に、ある日二人の童子が訪れて鎮宅霊符を授け、『これに朝夕紀念すれば、10年にしておおいに富み、20年にして子孫繁栄、30年にして天子が訪れるであろう』と告げたので、不思議なことと思いながらも礼拝していたら、お告げの通り天子が訪れるまでに富み栄えた。
 その家を訪れた天子は、その話を聞き、この霊符の霊験あらたかなことに驚き、自らも信奉するとともに天下に弘めさせた、との伝承があるという。
 わが国には推古天皇の御代に百済から伝来したというが真偽は不明。

 しかし明治の神仏分離によって鎮宅霊符神が邪神として排斥されたことから、神道系では天之御中主神へ、仏教系では妙見菩薩へと変わり、当社も鎮宅霊符神から天之御中主神へと変わったと思われる。

※社殿等
 当社には鳥居はなく、白壁に挟まれた亙葺きの小さな門に「鎮宅霊符神社」との小さな額が掛かっているのみで、中を覗けば拝殿が見えるものの、注意しなければ見過ごすだろう。
 白壁に囲まれた境内には社殿が建つのみで社務所はなく、「お札」などは東南方に鎮座する御霊神社で授与しているという。

 
「奈良町からくりおもちゃ館」との案内板
(この角を西へ入る)
 
鎮宅霊符神社・門 

 狭い境内の正面に、一間向拝を有する入母屋造・亙葺きの拝殿が南面して鎮座し、両側に「霊符神社」と記した提灯一対が下がっている。


同・拝殿 
 
同・拝殿(側面)

同・内陣 

 拝殿背後、赤い瑞籬に囲まれた中に春日造・朱塗り・銅板葺きの本殿が南面して鎮座する。

 
同・本殿
 
同・本殿(拡大) 

◎境内社 
 境内の奥、白壁にはめこんだような小祠があり、朱塗りの扉3枚が見える。
 扉の前下に、左から「本命主宰九宮尊星・抱卦童子爾卦童郎・北辰鎮宅霊符尊星」と記した案内板がおかれているから、この3神が祭神であろうが、この3神が如何なる神格の神かは不明。

 管見したネット資料には
 ・九宮尊星--陰陽道にいう太一・摂提・軒轅・招揺・天符・青竜・咸池・太陰・天一の9神で、所謂・尊星(妙見菩薩)を指す
 ・抱卦童子・爾卦童郎--不明、卦とあることから中国の易を司る神か
 ・北辰鎮宅霊符尊星--北辰とは中国における北極星で、北極星や北斗七星を神格化した方位除けの神
とあるが、判ったような判らないような説明ですっきりしない。

 私見では、北辰鎮宅霊符尊星とは当社本来の祭神の鎮宅霊符神のことで、明治以降、祭神が天之御中主神に変わったとき境内社祭神へと貶められたとも解釈でき、とすれば残りの2座はその脇侍神かと思われる。
 いずれにしても、この3座は道教・陰陽道に関係する神々であることは間違いないようだが、資料なくその正体は不明。

 社頭の案内に「境内社 住吉神社」とあり、境内に当小祠以外には何もないことから住吉神社とは当小祠のことかと思われるが、当小祠の祭神3座と住吉三神との間に接点はみえず当小祠を住吉神社とする由縁は不明。

 
同・境内社
 
境内社・祭神名

◎狛犬
 拝殿前に一対の狛犬が座っているが(慶応3年の銘あり)、両狛犬ともに顔が笑っているところが珍しい。
 ネット資料で鎮宅霊符神社を検索すると、ほとんどがこの狛犬を当社の象徴のように扱っているが、狛犬とは神域への邪神悪霊の侵入を防ぐ守護神であって、それが笑っているところに如何なる由縁があるのか不思議な狛犬である。


同・狛犬(阿形) 

同・顔部 

同・吽形狛犬 

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