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畝尾坐健土安神社
A:畝尾坐健土安神社
奈良県橿原市下八釣町
祭神--健土安比売命
B:天香山神社
奈良県橿原市南浦町(天香久山北麓)
祭神--櫛真命
                                                                 2013.07.22参詣

 延喜式神名帳(927)に、『大和国十市郡 畝尾坐健土安神社 大 月次新嘗』とある式内社。社名は“ウネオニマス タケハニヤス”と読む。
 一般には、下八釣町にある畝尾坐健土安神社(上記A)を以て式内社とするが、論社として天香山神社(上記B)がある。

 近鉄橿原線・畝傍御陵前駅の東北東約2km(近鉄大阪線・耳成駅の南約1.5km)、奈良文化財研究所の北側にある森の中に鎮座する。研究所前の道路を北へ(北上すれば近鉄耳成駅に至る)、最初の辻を右へすすんだ角(間に小道2本あり)を右へ曲がると、右側(西側)に社標石柱が立つ。当社と研究所の間に畝尾都多本神社があるが、両社境内は連なっていない。

※由緒
 境内に当社由緒などを記した案内など何もないが、当社に関連した説話として、書紀には次のようにある。
*神武天皇即位前紀
  戊午年(ツチノエウマノトシ)秋9月5日、大和へ入ろうとした神武天皇が菟田の高座山から国中を望見すると、賊軍が要所を固め要害の地を占拠して、天皇の大和入りを阻もうとしていた。
  その夜、夢に天神(アマツカミ)が現れて、『天香山(アメノカグヤマ)の社の中の土(ハニ)を取って多くの天平瓮(アマノヒラカ、祭祀用平皿)と厳瓮(イツヘ、祭祀用酒瓶)を作り、天神地祇を祀れば、敵は自然に平定するであろう』と告げた。
  そこで天皇は、ひそかに椎根津彦(シイネツヒコ)と弟猾(オトウカシ)を遣わして、天香山の頂の土(ハニツチ)を取ってこさせて、多くの平瓮と厳瓮を作り、丹生川上で天神地祇を祀られた。(大意)

  天皇は前年の秋9月、ひそかに天香山の埴土(ハニツチ)を取って沢山の平瓮を作り、自ら斎戒して諸神を祀られた。そして、遂に天下を平定することができた。そこで埴土を採った処を名付けて埴安(ハニヤス)という。

*崇神天皇10年条
  武埴安彦(タケハニヤス、孝元天皇皇子)が謀反を企てたとき、その妻・吾田媛がこっそりやってきて、倭(ヤマト)の香久山の土をとって頒巾(ヒレ)に包み呪言して、「是、倭国の物実(モノシロ)」と云って帰った。
 それを知ったヤマトトトヒモモソヒメが、天皇に「タケヤスヒコが事を起こそうとしている。速やかに備えないと遅れをとるであろう」と告げた。(大意)

 これらの説話によれば、天香山の土は大和の国魂がこもる物実(モノシロ)であり、そんな霊力・呪力をもつ土で作った土器(祭具)を以て神(国魂)を祀れば、大和を意のままに支配できるとされ、その天香山の土で作った祭具を以て神を祀ることで、大和の支配権を握ったのが神武天皇であり、ヤマトトトヒモモソヒメに見透かされて失敗したのがタケハニヤスということになる。

 この神聖な霊力・呪力をもつ天香山の土を、神格化して祀ったのが式内・畝尾坐健土安神社だが、その創建年代は不明。

 当社の古史料上での記録として、
 ・大倭国正税帳(730・奈良前期)--畝尾神戸 稲八六束 租四束 合九十束 用四束祭神 残八六束
 ・新抄格勅符抄にひく大同元年牒(806、奈良時代以降、神社寺院に与えられた封戸の記録)--畝尾神 一戸大和
 ・三代実録(901)清和天皇・貞観元年(859)--従五位下の畝尾健土安神に従五位上の神階を授く
 
・延喜式(927)--式内大社に列す
などがあるが、その後の沿革は不詳。

 これらの記録からみて、遅くても奈良時代前紀、早ければ飛鳥・藤原京時代にはあったとみてもいいかもしれない。

◎天香久山
  天香久山(H=152m)は、古くから大和三山(天香久山・畝傍山・耳成山)のなかで最も神聖な山として知られ、
 伊予国風土記(逸文)には、
 「天上にあった天香久山が天降ったとき二つに分かれて、一つは倭(ヤマト)の天香久山となり、も一つは伊予国の天山になった」(大意)
とあり、当山が天から天降った山であることから、大和三山のなかで唯一山名に“天”を冠するのだという。


天香久山(東より望む)

◎論社
 式内・畝尾坐健土安神社(以下、健土安神社という)には、上記のように論社2社があるが、いずれも、式内社とするに足る根拠はないという(式内社調査報告)

 当社(上記A)を式内社とするのは、江戸中期の地誌・大和志(1734)で、そこには
  「畝尾坐健土安神社 下八釣村に在り 今天照大神と称す」
とあるが、江戸時代、アマテラスを祀っていた当社を式内・健土安神社とした根拠は不明。
 憶測すれば、
 ・当社名にいう“畝尾”が天香山がうねりながら延びた端っこ・即ち“尾”を意味し、また隣接地に同じ畝尾を冠する式内・畝尾都多本神社があることから、古く、当地が畝尾と呼ばれていたと思われること
 ・神武紀に“土(ハニツチ)を取ったところを名付けて埴安という”とあり、この“埴安”(ハニヤス)と、当社の社名“健土安”の“土安”(ハニヤス)とが一致すること(近傍に“埴安伝承地”との石標があるというが場所不明)
など、地名・社名などの一致から比定されたと思われる。

 これに対して、天香山神社(上記B)を健土安神社とするのは大和志料(1944)で、そこには、大略
  ・その所在地について、五郡神社記は香山西山尾と記し、元要記(時期不明)は天香久山西麓西向坐という
  ・今、香山の北浦(現南浦町)に天香山社(西向)と称する社があり、之を式内櫛眞智社(式内・天香山坐櫛眞命神社)という。
  ・しかし、式内櫛眞智社は香山の頂上にあるべきで(大和志料は、式内・天香山坐櫛眞命社を香久山山頂にある国常立社に比定している)、天香山社を以て健土安神社とするべきであろう。後考を待つ
とある。

 神武紀に“天の香山の社の土”ということから、その土は香久山山中から採ったといえ、又、天香久山北麓にある天香山神社境内に“天香山 赤埴聖地”との石碑があることから、健土安神社を天香山神社に充てるのが理にかなったことかもしれないが、それを証する史料はない。

 いずれにしろ、式内・畝尾坐健土安神社が八釣町にある当社なのか、天香久山山麓にある天香山神社なのかを判断するに足る確たる根拠はない。

 なお、上記論社2社以外に、戒外町(カイゲ)に鎮座する春日神社を健土安神社とする説がある。
 これは、明治7年(1874)の郷村社取調帳に記された説で、そこには
  健土安神社
   祭神--健土安命
   相殿--天照大御神  末社--春日大神・八幡大神・事比羅大神
とあるという。
 ただ、この春日神社を健土安神社とするのは当資料・郷村社取調帳のみであり、又、春日神社に健土安命を祀ったとの伝承もないことから、この説は何らかの誤解にもとずくものであろうとして、論社であることを否定されている(以下、参考論社という)

※祭神
【畝尾坐健土安神社】
  祭神--健土安比売命(タケハニヤスヒメ)・天児屋根命(アメノコヤネ)

 当社本来の祭神はタケハニヤスヒメ命一座で、アメノコヤネ命は境内社・春日神社の祭神を合祀したものという(但し、春日社の勧請由緒・時期等は不明)

 タケハニヤスヒメ命とは、記紀・神生み段に、
 *古事記
  「(イザナミは)次にヒノカグツチを生んだ。この子を生んだため、イザナミは陰部が焼けて病床に臥された。その時・・・糞から成った神の名は、波邇夜須毘古神(ハニヤスビコ)、次に波邇夜須毘売神(ハニヤスビメ)・・・」
 *書紀・一書2
  「イザナミは、火の神・カグツチを産んだがため火傷をして亡くなられた。その亡くなろうとされるとき、横たわったまま土の神・埴山姫(ハニヤマヒメ)と・・・を生んだ」
とある神で、当社に祀られるのは、大和国の物実である天香山の土を神格化し、そこに土の神・ハニヤスヒメ(ハニヤマヒメ)を充てたとなる(タケは美称)

 なお、和州五郡神社神名帳大略注解(略称・五郡神社記、1446・室町初期)には、
  「健土安神は土金神武埴安彦(タケハニヤスヒコ)也」
とあり、健土安神はハニヤスヒコとしているが、ハニヤスヒコ・ハニヤスヒメは兄妹神で、同じ土の神であることから異名同神とみてよいだろう。
 ただ、土の神であるハニヤスヒコを“土金神”(ドコンシン)とする理由は不明。陰陽五行の五行相生説で“土から金が生じる”とすることの影響かもしれない

 一方、大和志には、
  「畝尾坐健土安命神社 下八釣村に在り、今天照大神と称す」
とあり、江戸中期にはアマテラスを祀る社として知られていたらしいが、その勧請由緒・年代等は不明(中世以降盛んになった伊勢信仰の影響か)

 その後、明治に入っての郷村社取調帳(明治7年・1874)には
  「祭神--健土安命
   相殿--天照大御神 
   末社--春日大神・八幡大神・事比羅大神」
とあり、そこには相殿神としてアマテラス、末社にアメノコヤネ他を祀るとあるが、
 同中期の神社明細帳(明治24年・1891)には、
  「祭神・ハニヤスヒメ一座、境内社・春日神社」
とあり、そこにはアマテラスの名はない。

 今、境内に祭神名の表示なく、アマテラスがどうなっているのか不詳だが、主祭神・タケハニヤス、合祀神・アマテラス・アメノコヤネとする資料もあり(日本の神々4・2000)、残っているのかもしれない

【天香山神社】(論社)
  祭神--櫛真命(クシマ)
   別稿・天香山坐櫛眞命神社参照

【春日神社】(参考論社)
  現祭神--武甕槌命・經津主命・天児屋根命・姫大神(所謂・春日四神)
  当社を式内・健土安神社とする郷村社取調帳(1874)には、主祭神:タケハニヤス命・相殿神:アマテラス、末社・アメノコヤネとあり、今の祭神とは整合しない。当社を式内・健土安神社とみとの祭神であろう。
  

※社殿

【畝尾坐健土安神社】
 境内入り口に鳥居はなく、傍らに「式内大社 畝尾坐健土安神社」との石標が立つのみ、
 境内正面に拝殿(切妻造・瓦葺)があり、その直前に小ぶりな鳥居が立つ。
 拝殿の裏、白壁に囲まれた中に本殿(一間社流造・銅板葺)が東面して建つ。
 境内に末社等はみえない。

 
畝尾坐健土安神社・社標
 
同・拝殿

同・本殿 

【天香山神社】(論社)
 天香久山北の山腹に鎮座する(南浦町)。畝傍坐健土安神社の1本東側の道路を南下、突き当たりの涸れ池(池名不明、埴安池の名残か、底は赤土)を右手に回りこんだ先に一の鳥居が立つ(涸池左の山道から入れば社殿横にでる)。健土安神社との距離は約300m。

【春日神社】(参考論社)
 天香久山の南東にある戒外町(カイゲ)集落の北寄り山麓に鎮座する。天香久山山頂の東約500m弱にあたるが、目印となるものはなく地図と現地を見比べながら歩くのみ。

 創建由緒・年代等は不明だが、近接する興善寺から奉行所に提出された書面(1816・江戸後期)には、
  「春日神社  鎮守四社(天照大神・春日・八幡・金比羅)
とあるというから、江戸時代には地元集落の鎮守(八幡宮)として祀られていたと思われる。

 西向きの鳥居を入った正面に拝殿(切妻造・瓦葺)が、その奥、覆屋の中に春日造・朱塗りの社殿2宇が、その左右に小祠(春日造)2宇が、いずれも西面して並ぶが、祭神名等の表示はない。 


春日神社・鳥居 
 
同・拝殿
 
同・社殿

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