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比売久波神社
奈良県磯城郡川西町唐院
祭神--久波御魂神・天八千々姫命
                                                              2014.04.17参詣

 延喜式神名帳に、『大和国城下郡 比売久波神社 鍬靱』とある式内社。

 近鉄橿原線・結崎駅の東約1.8km、駅南を東西に走る道路を西へ、糸井神社南の寺川に架かる宮前橋を渡り、県道108号線を少し進んだ二叉路を右にとり、島の山古墳南側道路(周濠との間に民家あり)を過ぎた、周濠の西南角(前方部西南角)に一の鳥居が立つ。社殿は古墳西北隅に隣接して鎮座する。

※由緒
 社頭の案内には、
  「この神社の久波御魂神は、アマハチ姫を祭神としています。
 本殿は春日大社摂社若宮神社本殿を移建したものと伝えられており、装飾の少ない簡素なもので形式・手法は春日大社本殿と一致しており、江戸時代初期とされています。
 本殿の右には、大国神社の境内社があります。左には、蛭子神社と春日神社の社殿が並び、さらに春日神社の西には校倉造りの宝庫があり興味を引きます。
 本殿は、奈良県指定文化財となっております」
とあり、
 川西町の歴史遺産を訪ねて 式内社比売久波神社との案内(田原本ライオンズクラブ寄贈)には、
  「延長5年(927)成立の延喜式神名帳記載の由緒をもつ神社で、本殿は一間社春日造桧皮葺で、春日大社摂社若宮本殿を移築されたと云われ、江戸時代初期の特徴をもつ社殿建築として、奈良県指定文化財となっている。これ以前にも、応仁期(1467--69)に春日大社社殿を唐院に売却した記録があり、この地が、中世より興福寺・春日大社の荘園であったことから、歴史的なつながりが深い。
 祭神は久波御魂神(クバミタマ)・天八千々姫(アマハチチ)で、御神体は地元では『桑の葉』と伝えられ、隣接する糸井神社と共に、この地域が、古代より養蚕・絹織物の生産に関わる地域であろう。
 境内社に大国主神社・事代主神社・春日神社がある」
とあるが、いずれも、その創建年代等は記されていない。

 当社に関する資料として
 ・大和志(1734・江戸中期)--唐院村にあり。今子守と称す
 ・大和志料(1914・大正3)--川西村大字唐院にあり。延喜式神名帳に比売久波神社鍬靱と見ゆ。今村社たり。
   祭神詳かならず。古来桑葉を以て神体となすと。然らば(比売久波とは)姫桑にして、糸井社に縁故を有するものならん。二社相距る遠からず(離間約800m)
 ・磯城郡誌(1915)--式内村社にして字教塚にあり。祭神は延喜式に久波御魂の神と云々。
   神名秘書(伊勢二所大神神名秘書・1285か)には、天八千々姫(アメノヤチヂヒメ)桑葉を天の香久山に植えて、蚕を飼ひ絹を織り御衣を供ふとあり、祭神は此の姫ならんと。
   或いは云ふ、古来(桑-脱字)葉を以て神体となすと。然らば姫桑にして糸井社に縁故を有するものならん。二社相距る遠からず
 ・奈良県史(1989)--島の山古墳西北隅に隣接して鎮座する。延喜式神名帳登載の式内社に比定されている。
   比売久波とは蚕桑を意味し、桑葉を神体としたと伝え、結崎の糸井神社と関連する神社ともみられる。
   大和志には子守社と称したとある。
 ・大和国神社神名帳(年次不明)--磯城郡川西村大字唐院字教塚、指定村社、祭神不詳、延喜式内社
   一説に檜牧村(位置不明)に在りと云ふと、亦一説に唐院に在りとする二説あり
 ・式下校郷土誌(年次不明)--鳥羽天皇天仁年間(1108--10)に御鎮座ありたり。
   近く正徳6年(1716)大洪水のため古書・旧記流出し、当社の興亡明らかならず
などがある(式内社調査報告・1982、カッコ書きは引用者注)

※祭神
 当社祭神については次の諸説がある。
 ・久波御魂神(クハノミタマ)・天八千々姫命(アメノヤチヂヒメ)--式内社調査報告・大和の古社
 ・久波御魂神--磯城郡誌
 ・天八千々姫命--神名秘書・神名帳考証(1813)
 ・祭神不詳--大和志料・大和国神社神名帳・唐院村誌(1882)

 延喜式には祭神一座とあることから、本来の祭神は久波御魂神と思われるが、この神は記紀等の古史料に見えずその出自・神格は不詳。
 字面からみて、大和志料や神名秘書に「古来、桑葉を以て神体とす」とあるように、養蚕・機織りに必要な桑葉を神格化したものと思われる。

 天八千々姫命も記紀には見えないが、
 ・古語拾遺(802・忌部氏系史書)
   天照大神が天岩屋にお隠れになったとき、高皇産霊神が命じて、「天棚機姫神(アメノタナバタツヒメ)をして神衣(カムミソ)を織らしむ。所謂和衣(ニギタヘ)なり」とあり、この神衣を織った天棚機姫神の別名
 ・倭姫命世記(13世記後半・神道五部書の一)
   垂仁天皇の御代、天照大神が五十鈴川の川上に鎮座されたとき、その近くに八尋機殿を設け、「天棚機姫神の裔(孫)・八千々姫をして、毎年夏四月・秋九月に神服を織らしめ、以て神明に供ふ」とあり、天棚機姫神の孫娘
との2説があるが、何れも機織りを司る女神であることから異名同神(天上では天棚機姫神、地上では天八千々姫命)とみてもおかしくはない。

 延喜式がいう祭神一座が、どちらの神を指すかは判然としないが、古来の当地一帯が養蚕・絹織物に関わる地域であったこと、当社が、養蚕・機織りを業とする人々によって崇敬された養蚕・機織に関わる社とみられることから、その元となる“桑の葉”(あるいは蚕)を神格化したのが久波御魂神で、それを更に人格化したのが天八千々姫命とみることもできよう。
 なお、天八千々姫命を祭神とする神社として、田原本町に式内・千代神社がある。

※社殿等
 島の山古墳周濠の南西角に「式内比売久波神社」と刻した大きな石標が、そのすぐ先に一の鳥居が立ち、周濠沿いに参道(一般道)が北に延びている。
 鎮守の森の南端に二の鳥居が立ち境内に入る。
 境内正面にやや左に振った拝殿(切妻造・千鳥破風をもつ向拝付き・瓦葺)が、その奥、玉垣(正面)とコンクリート塀に囲まれた中(正面中央に朱塗りの鳥居あり)に本殿(春日造・朱塗・桧皮葺)が南面して鎮座する。

 本殿について、社頭には
  「神殿は奈良春日大社の旧社殿です。 奈良県重要文化財
   当神殿は奈良春日大社の旧社殿。応仁元年(1467・室町末期)9月、式年造営に伴い唐院村が旧殿(第二殿という)を25貫文で拝領し移築したもので、春日大社古社殿の内最も古い時代の旧体を良く残された神殿です」
とあるが、奈良県史には「春日大社の旧社殿で江戸初期の建築物とみられている」という。

 
比売久波神社・社標
 
比売久波神社・一の鳥居
 
同・二の鳥居
 
同・拝殿
 
同・本殿

◎境内社
 本殿の左右に境内社4社が2社ずつ鎮座するが、社名等の表示はない。
 式内社調査報告によれば、
 ・本殿右側--熊野神社(伊邪那美命)・大国主神神社(大国主神)
 ・本殿左側--事代主神社(事代主命)・春日神社(天児屋根命)
という。
 事代主神社について、社頭の案内には「蛭子神社」とある。いずれも“エビス神社”として祀られたもので、祭神を事代主命とみるかヒルコ神とみるかによって社名が異なる。

 
境内社(本殿左、春日社・蛭子社)
 
境内社(本殿右、熊野社・大国主神社)

 社頭の案内には、「春日神社の西には校倉造りの宝庫があり興味をひく」とあるが、今、それらしい建物も痕跡もみえない。

◎島の山古墳
 当社の東に隣接して盾型周濠を有する前方後円墳・島の山古墳(国史蹟)がある。被葬者不明。

 周濠脇に立つ案内には、
  全長 200m
  後円部経 113n  同高 17.4m
  前方部幅 103m 同高 11m
  周濠長   265m 同幅 175m
  築造時期 4世記末~5世記初(古墳時代中期前半)

 島の山古墳は大和盆地中央部に築造された巨大古墳で、発掘調査で前方部頂に粘土郭を検出し、棺外から約2500の玉類の他に緑色凝灰岩製腕輪等が、棺内から碧玉製合子・鏡・管玉・丸玉・首飾り等が出土しました。
 墳丘の調査では、円筒埴輪列が出土し、三段築成が確認できたほかに、形象埴輪(家・靱-ユギ・盾・蓋-キヌガサ)等が出土し、くびれ部(前方部と後円部の連結部)東西から造り出し(突出部)の跡を検出しました。
とある。
 
島の山古墳・後円部(北西方より)

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