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笛吹若宮神社
祭神--天香山命
A:奈良県葛城市南花田24
B:奈良県葛城市新町58
C:奈良県葛城市薑(ハジカミ)95
                                                      2019.06.4参詣

 奈良県葛城市忍海地区には、笛吹若宮神社と称する神社が上記3社あり(他にも数社あったらしいが今はない)、社名を笛吹若宮と称することから、いずれも同市笛吹に鎮座する葛木坐火雷神社(カツラギニマスホノイカヅチ)に合祀されている笛吹神社からの勧請と思われる。
 笛吹若宮神社と称する小社は、上記3社以外にも数社あったらしいが、今は上記3社以外は廃絶しているという。

※由緒
 3社ともに由緒等の案内掲示なく鎮座由緒等は不明だが、当社の元宮と思われる葛木今火雷神社社頭に掲げる由緒略記に、合祀社・笛吹神社について、
 「社家持田家の家譜に、崇神天皇の御代10年、建埴安彦(タケハニヤスヒコ)兵を挙げて帝都を襲わんとす。仍て大彦命笛吹連櫂子(カジコ)等を率い、奈良山において埴安彦の軍と戦ひて、和韓川の南において櫂子の射放ちたる矢 埴安彦の胸を射貫き之を殺す。故に賊軍降りて平定す。
 依て櫂子の戦功を賞して天磐笛(アメノイワフエ)及び笛吹連(フエフキムラジ)の姓を給ふ。その夜、天皇の御夢に、この磐笛を以て瓊々杵尊の神霊を祭れば国家安寧ならんとのことにより、火雷神社の相殿に奉祀せられたり」
とある(別稿・葛木坐火雷神社参照)

 この由緒は、記紀に記す“武埴安彦の反乱”によるものだが、書紀・崇神10年条には
 武埴安彦反乱に際して、
 ・大彦命と和珥氏(和邇・ワニ)の祖・彦国葺(ヒコクニフク)を遣わして山背に行かせ、武埴安彦を討たせた
 ・輪韓川(ワカラカワ・今の木津川)を挟んで対戦し、武埴安彦がまず彦国葺を射たが当たらなかった
 ・ついで彦国葺が埴安彦を射た。胸に当たって殺された
とあり(古事記も同じ)、埴安彦を討ったのは和邇氏の祖・彦国葺であって、そこに笛吹連の祖・櫂子の名はない。

 当社由緒が埴安彦討伐の殊勲者を、記紀にいう彦国葺から櫂子に代えた理由は不明だが、多分に、笛吹連の後裔という笛吹神社の社家が、自家の出自を飾るために改竄した伝承かと思われる。

 笛吹連とは、天皇の葬儀等にかかわる遊部(アソビベ)の一つで、新選姓氏録に
 ・河内国神別(天孫) 笛吹連 火明命(ホアカリ)之後也
 ・河内国神別(天孫) 吹田連 笛吹連同祖 火明命児天香山命(アメノカゴヤマ)之後也
とあり、先代旧事本紀・天孫本紀(尾張氏系譜)には
 ・天香山命六世の孫 建多乎利命(タケタオリ) 笛吹連・若犬甘連(ワカイヌカイノムラジ)の祖
とあり、いずれも古代の豪族・尾張氏に連なるという。

 なお遊部とは、天皇崩御の時墳墓・棺など葬儀に必要な祭具を用意し、葬送の場では音曲を奏し、葬車の綱を引いたという部曲(カキベ)で、平素は笛師・笛工として治部省雅楽寮に所属していたという。

 なお、当3社ともに如何なる由縁で何時の頃に当地に勧請されたかは不明だが、当地周辺の古地名・“遊びの岡”の辺りに“笛吹連が代々住んでいた”との伝承があり、笛堂(今も近鉄新庄駅の東にある)・遊田との小字名があったことなどから、当地辺りに住んでいたと推測される笛吹連の一族が火雷神社から勧請したのが若宮社とも思われる。
 ただ、江戸中期の地誌・大和志(1734)には笛吹若宮社はみえず、その頃には既に忘れられていたのかもしれない。

※祭神
   天香山命(アメノカゴヤマ、天香語山とも記す)
 当社が笛吹に鎮座する葛木坐火雷神社に合祀されている笛吹神社からの勧請とすれば、笛吹連の遠祖・天香山命を祀るのに異論はない。
 なお“若宮”とは、主祭神の御子神あるいは主祭神の分霊を指し、当社は後者であろう。

 天香山命とは記紀にはみえない神だが、先代旧事本紀(9世紀前半)によれば、
 「天照大神の孫・饒速日命(ニギハヤヒ・記紀にいう天火明命に当たる)の御子で、饒速日命に従って天降ったとされ(天神本紀)、別名を高倉下命(タカクラジ、神武東征に登場する)ともいう」とあり(天孫本紀)、尾張氏系氏族の遠祖という(尾張氏は饒速日命の後裔ということから物部氏係図に組み込まれていて、その実体ははっきりしない)


【笛吹若宮神社・南花内】
 近鉄御所線・忍海駅の北西約750m、駅東を南北に通る国道24号線を北上、三つ目の交差点の一本南の辻を西に入った先に鎮座するが、道路が輻輳していて行き着くには苦労した。
 道路を挟んだ北側に、飯豊皇女陵に比定されている北花内大塚古墳(キタハナウチオオツカ)がある。

 道路脇の神社入り口には、通常みられる鳥居がなく、右手に「笛吹若宮神社」との石標が立つのみ。


笛吹若宮神社(南花田)・社頭 
   同・境内全景

 境内正面に小さな鳥居が立ち、これに近接して切妻造・横長の拝殿が、その奥、高い塀に囲まれた中に一間社流造の本殿が鎮座する。
 拝殿の左前に小さな祠があり、中に立石2基が収まっているが、石面が摩耗していて、これが何なのかは不明。
 境内に社務所等はなく由緒等の案内もみあたらず(3社とも同じ)、こぢんまりとまとまり静寂感がただよってはいるが、特記するものはない。

 
同・拝殿

同・本殿 
 
同・祠


【笛吹若宮神社・新町】
 同・忍海駅の北北東約600m。駅東の国道24号線を北上、忍海北交差点を右(東)へ、JR和歌山線を越えて一つ目の角を左(北)へ進んだ左側(西側)に鎮座する。

 道路脇に石製鳥居が立ち、玉垣に囲まれた中が境内だが、境内は狭く、ほぼ全域が鎮守の森に覆われている。
 正面鳥居に近接して切妻造・横長の拝殿が東面して建つ。

 
笛吹若宮神社(新町)・社頭

同・鳥居 
 
同・拝殿

 拝殿の裏、ブロック塀に囲まれた中に一間社流造の本殿が東面して鎮座する。
 本殿域ブロック塀の左外に祠があり、中にまだ新しい小祠が鎮座する。若宮金毘羅宮と称するらしいが詳細不明。
 なお、境内に社名を表示したものがなく、拝殿左前の石灯籠に「笛吹大明神若宮」と刻してあるのみ。


同・石灯籠 
 
同・本殿
 
同・祠


【笛吹若宮神社・薑(ハジカミ)
 同・忍海駅の南南東約450m、国道24号線を南下、忍海駅前交差点から南三つ目の辻を東へ入った、JR和歌山線東側の線路脇に鎮座する。
 同じ境内に建つ錫杖院との小寺に阻まれて道路からは見えない。境内は狭く、背後はJR線路に接している。
 ここ数年前に全面改修されたようで、社殿等全てが新しくなつている。

 正面に石製鳥居(神額には「若宮神社」とある)が立ち、その奥に入母屋造。横長の拝殿(扁額には「榛笛吹若宮神社」とある)が建つ。


笛吹若宮神社(薑)・鳥居 

同・拝殿 
 
同・全景(右の建物が錫杖院)

 拝殿裏、ブロック塀に囲まれた中に一間社流造の本殿が東面した鎮座する。
 本殿左に接して小祠が見えるが、祭神等不明。
 なお、隣接する錫杖院と当社との関係等については、資料見当たらず不明。

 
同・本殿

同・小祠 

錫杖院 

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