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神 岳 神 社
奈良県生駒郡斑鳩町神南(ジンナン)4丁目
祭神--須佐之男命
                                                         2015.03.04参詣

 延喜式神名帳に、『大和国平群郡 神岳神社』とある式内社。社名は“カミオカ(又はカムオカ)”と読む。

 JR関西本線・王寺駅(隣接して近鉄生駒線・王寺駅あり)の東北東約1km強、駅の東・大和川に架かる昭和橋を渡ってすぐのバス停・笠町から右折(東へ)、住宅地に囲まれた三室山(H=82m)の南麓に鎮座する(道路が輻輳しており詳細地図が必要)

※由緒
 境内に掲げる案内には、
  「当神社は法隆寺の西側にあたる三室山の中腹に位置し、古代は社殿などの建造物はなく、自然の森や山を神地としての信仰であったといわれている。
 聖徳太子は飛鳥より産土神(神名不明)をこの地に安置し、太子の勅願所として祭祀されていたが、いつしか祭神は須佐之男命を奉祀している。
 須佐之男命は別名を牛頭天王と呼び、内陣鳥居前には『牛頭天王』と刻んだ4基の石灯籠が、その歴史を今日に伝承させている。
 旧村社。神岳神社は延喜式神名帳巻9(延長5年・927)に平群郡神岳神社と、また大和国平群郡神社明細帳(明治12年7月調・1879)にも社格を明記されている」
とある。

 案内は、当社の創建を聖徳太子に求めているが、これは後世に創られた伝承と思われ、これを以て創建時期とするのはできない。
 それよりも、当社が鎮座する三室山を神の山・神奈備として崇敬した古代信仰を継承したのが当社の始まりとみるのが妥当であろうが、確たる創建時期は不明。

 当社にかかわる資料は殆どなく、管見した古資料として
 ・大和志(1734)--神南村(ジンナン)に在り
 ・神社覈録(1870)--祭神祥ならず、神南村にあり。按ずるに飛鳥神を祭れるにやあらん。
         万葉集に神岳に登る山辺赤人の歌、即ち飛鳥の神名備山を詠り、神南村と云ふも神号よりや唱へ初けん
 ・大和志料(1914・大正3)--式に見ゆ、今龍田村大字神南の村社たり、祭神詳ならず
などがあるが、いずれも簡単なもので、創建由緒・年代等についての記述はない。

 神社覈録がいう山辺赤人の歌とは、万葉集・324番の
  神岳に登りて山辺赤人の作る歌一首併せて短歌
    御諸(ミモロ)の神奈備山に 五百枝(イホエ)さし しじに生ひたる つがの木の いや継ぎ継ぎに・・・
      (歌意--神の坐す 神奈備山に たくさんの枝をひろげ 隙間なく生い茂っている ツカ゜の木の名のように つぎつぎに・・・)
    (反歌) 飛鳥川 川淀(カワヨド)去らず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに
           (歌意--明日香川の 川淀を離れず立つ霧のように すぐ消え失せるような 望郷の念ではないのだ)
を指す(歌意は小学館版万葉集による)

 大和の神奈備といえば御諸山(三輪山)が有名だが、他にも各地に神奈備として崇敬された山があったようで、当社が鎮座する三室山もその一つといわれ、万葉集(1419番)の  
  鏡王女(カガミノオホキミ)の歌一首
    神奈備の 磐瀬の杜(イワセノモリ)の 呼子鳥 いたくな鳴きそ 我(ア)が恋増(マ)さる
    (歌意--神奈備の岩瀬の森の呼子鳥よ、ひどくは鳴いてくれぬな 恋しさが増すから--小学館版万葉集)
にいう“磐瀬(岩瀬)の杜”について、龍田考(1849・江戸後期)との古文書に
  「龍田川真下の神奈備・三室山にかかるところ、川の東傍に松の老木ども枝立残れる森を今も土人普く岩瀬の森と呼ぶなる」
とあるという(日本の神々4・1985、龍田川は当社の東を南流して大和川へ合流している)

 当社は延喜式に式内社として記載されていることから10世記初頭にあったのは確かだが、神階綬叙・封戸等の記録なく、その後の沿革も不明。

※祭神
  須佐之男命(スサノオ)

 三室山を神奈備として発した当社の祭神をスサノオ命とする由緒は不明。
 本殿前に牛頭天王社と刻した石灯籠(元禄13年-1700)があることからみて(本殿前に石灯籠はあるが、本殿域へ入れないため刻銘の確認不能)、江戸時代にはゴズテンノウを祀っていたが、明治の神仏分離によってゴズテンノウが排斥されたため、同じ神格をもつスサノオ命に変わったのではないかと思われる。
 
 しかし、そのゴズテンノウとても、これが当社本来の祭神とは思われず(中世以降の勧請であろう)、他にも大己貴命(オオナムチ)との説もあるが(式内社の研究)、これも根拠不明。

 これらからみて、当社祭神は不詳とするのが妥当で、あえていえば“三室山に坐す神”であって、山麓一帯に豊穣をもたらす神(水神か)として崇敬されたのであろう。

※社殿等
 三室山の南麓、小さな広場の先に当社への石段があり、上がった上に鳥居が立つ。境内は東西には広いが南北は狭い。
 境内右手(東側)が社殿域で、山麓の広場に拝殿が、山麓を段丘状に開いた上、白壁に囲まれた最上部に本殿が南面して建つ。

 社頭の案内には、
 「この社殿を構えるにあたり、拝殿より一段高い所にある小規模の社殿(本殿)は一間社春日造の桧皮葺(昭和61年銅板葺に改修)で、身舎は円柱で前後に二分し、四面に花鳥の透彫り蟹股を組み随所に極彩色を施している(以下細かい説明あり)
 その構造形式化よりみて江戸時代初期を下らない建造物との学者説である」
とあるが、白壁に阻まれて本殿域に近寄れず、遠くから見るだけで詳細の実見は不能。


三室山
(左に当社への石段が見える) 
 
神岳神社・社頭
(右に拝殿の屋根が見える)

同・鳥居
 
同・社殿全景
(左:本殿・右:拝殿)
 
同・拝殿
 
同・本殿

 境内左手は広ちょっとした広場となっており、稲荷社・市杵島姫社の小祠2宇及び絵馬堂があって、絵馬堂には数多くの絵馬が奉納されている。
 案内に、
 「古文書によれば、境内地には神仏が習合する神宮寺の神南寺観音堂(通称上ノ堂)があったが、云々」
とある神宮寺は、この辺りにあったのであろう。

◎能因法師供養塔
 拝殿前を過ぎ、三室山山腹を左に回り込んだ頂上付近に(公園として整備されている)、能因法師供養塔と称する五輪塔があり、案内「三室山と能因法師」には
 「三室山は、龍田川と大和川との合流に近い龍田川右岸にある小高い山で、標高約82m。県立竜田山公園の一部に含まれ、桜の名所として知られ町の憩いの場となっている。・・・中略・・・
 山頂の五輪塔は、平安時代中期の歌人・能因法師の供養塔と伝えられている。この五輪塔は、公園整備をする際に移転された。
 言い伝えによるれば、能因法師は下方の神南集落の三室堂に住んでていたいわれ、三室山へはしばしば遊びに来ていたという。
  嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は たつ田の川の 錦なりけり(後拾遺集・巻5、百人一首)
とある。

 供養塔は大樹の下、生垣に囲まれた中にあり、傍らに休憩用の四阿が建っている。

 
能因法師・供養塔
 
同 左 

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