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中筋神社
奈良市中筋町14
祭神--木花開耶姫命
                                                         2021.03.15参詣

 近鉄奈良駅前の県道359号線の中筋町信号を北に渡り、細い道を北に入った右側(東側)に鎮座する小社。

※由緒
 社頭の案内には
 「祭神 木花開耶姫命(子授神・子育神)
 承安2年(1171)、興福寺華林院初音僧正が、吉野山勝手神社を同院南庭に奉祀、勝手神社といわれた。
 その後、二度の兵火に遭ったが、明治12年(1879)に独立して中筋神社と称するようになった。 
 昭和18年(1943)3月、荒廃していた社殿を新築、氷室神社の境外社として奉祭されている」
とある。

 これによれば、当社は平安後期に吉野山の勝手神社から勧請されたというが、勧請の由縁などの詳細・経緯等は不祥。

 当社を勧請創建したという初音僧正(ハツネソウジョウ)とは通称で、本僧名は永縁(エイエン又はヨウエン、1048--1125)、父:藤原永相(フジハラナガスケ)・母:大江公資(オオエキンヨリ)の娘というから、藤原一族を出自とする人物であろう。

 平安後期に興福寺権僧正に任じられた僧侶で、歌に巧みだったといわれ、金葉和歌集(勅撰和歌集、1124、数年後に改編されたという)に13首が納められており、
 初音僧正と呼ばれるのも、金葉和歌集に収録されている
  「聞く度に めづらしければ時鳥(ホトトギス) いつも初音の心地こそすれ」
との歌によるという。

 当社の元宮とされる吉野山の勝手神社とは、吉野町にある古社だが(伝承では、6代・孝安天皇6年というが信用できない)平成13年に失火によって焼失し未だに再建されていない。
 その祭神は、主祭神・天之忍穂耳命(アメノオシホミミ・天照大神の長子)で、大山祇命(オオヤマツミ・山の神)・木花開耶命(コノハナサクヤヒメ・大山祇命の娘・天孫瓊々杵命の后)・久々能智命(ククノチ・樹木の神)・苔虫命(木花開耶姫の姉神・石長姫-イワナガヒメの別名)・葉野姫命(カヤノヒメ・野の神)

 勝手神社の勝手とは出入口(勝手口)・下手を意味し、当勝手神社も吉野山の入口にあることから「山口神社」とも呼ばれたという。
 ただ、その字面(ジヅラ)から勝負事や戦いの神として武士等の信仰を集めたというが、これは字面からのこじつけであろう。
 勝手神社は各地にあるが、それが如何なる神社かははっきりせず、判りにくい神社との印象が強い

※祭神
   木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)

 吉野町の勝手神社から、その祭神の一柱・木花開耶姫命を勧請したというが、6柱の神々のなかから木花開耶姫命が選ばれた理由は不明。

※社殿等
 細い南北道路の東側にひっそりと鎮座する小社で、たまたま此処を通りかかって見つけ参拝した。

 道路脇に朱塗りの鳥居が立ち、傍らに楠の大樹が聳えている。
 境内は東西に細長く、中央に四方吹き放しの簡単な拝所が西面して建ち、その奥に春日造・朱塗りの社殿が鎮座する。
 拝所前に古い石灯籠一対があるほかは何もないが、境内は綺麗に掃除されている。


中筋神社・鳥居 

同・拝所 

同・社殿 

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