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葛城の式内社/葛木大重神社
現社名−−駒形大重神社
奈良県御所市楢原
祭神−−滋野貞主命・一座不詳
                                                        2013.01.19参詣

 延喜式神名帳に、『大和国葛上郡 葛木大重神社』とある式内社だが、明治40年(1907)駒形神社に合祀されて『駒形大重神社』と改称している。

 近鉄御所線・近鉄御所駅の南西約2.2km。駅南の交差点を右折(西へ)、県道30号線・櫛羅交差点を左折(南へ)して約800m、楢原交差点を過ぎた最初の辻(表示等なし、角にスレート壁の家屋あり)を右折(西へ)、約400m進んだ山麓に鎮座する。すぐ南に九品寺との寺院がある。

※由緒
 ・境内の案内(御所市観光協会掲示)
  本社は、御所市西部を南北に走る“葛城の道”(葛城古道)の楢原地区石川にあり、祭神は、滋野貞主命外一座不詳とされている
  本社は、延喜式神名帳にある葛木大重神社を駒形神社に合併して現在のように祀られたという。
 ・奈良県史(1989)
  葛木大重神社 (楢原字石川1662)
  葛城山の東山麓、九品寺北方に鎮座。延喜式神名帳登載の神社に当てられている。元は大重神社・滋野明神と称したが、明治40年駒形神社と合祀され、駒形大重神社という。旧鎮座地は明細帳によると、当社東方の同字田口であったと伝えている。
 ・御所市観光ホームベージ(式内社調査報告・1982にも同意の記述あり)
  天明4年(1784)の楢原村村鏡(楢原村古墳時代年数附村鏡)によれば、米田俊久氏(米田俊久周防守ともいう)が享禄5年(1532・戦国時代後期)に茂野社を建立したと記されていることから、楢原氏の始祖・滋野貞主が祀られていたのではないかとも思われますが、定かではありません。

 当社の創建由緒・年代・その後の経緯等は不明だが(神階叙授記録などなし)
 ・境内にある江戸中期の石燈籠2基に“滋野大明神”(紀年銘−1717・1742)とあり(式内社調査報告、摩耗のため確認不能)、江戸時代に滋野明神と呼ばれる神社があったのは確からしい。
 ・ただ同資料によれば、他の石燈籠に“駒形大明神”との刻銘(1742)をもつものはあるが大重神社との刻銘はなく、その当時、大重神社との認識はなかったかと思われる。
 ・この滋野明神社と、HPにいう茂野社との関係は不詳だが、この石燈籠が、米田氏による茂野社創建以降の奉献であることからみると、茂野社と滋野明神社とは同じ神社で、字田口にあったと思われる。
 ・この茂野社(滋野明神社)を、明治40年の合祀の際に、祭神を同じくすることから式内・大重神社に比定したと思われるが、確証はない。
 ・また、茂野社創立時に式内・大重神社があったかどうかは不詳で、その当時、既に消失していた可能性は大きい。米田氏が祖先を滋野貞主とすることから再興したともとれるが、それらを証する資料はない。
 ・なお、米田俊久周防守は、大永7年(1527)に春日大社に灯籠を寄進していることから実在したのは確かだが、その米田氏と滋野氏との繋がりは不明。
などからみて、現存資料のみからみると、当社が式内・葛木大重神社であるとの判断は難しい

 当社祭祀にかかわる滋野氏とは、新撰姓氏禄(815)
 ・右京神別(天孫) 滋野宿禰 紀直同祖 神魂命(カミムスヒ)五世孫天道根命(アメノミチネ)之後也
とあるように、紀国造氏(天道根命は初代紀国造という−先代旧事本紀)系の氏族とされ、大和国にも同系の氏族として
 ・大和国神別(天孫) 伊蘇志臣(イソシオミ) 滋野宿禰同祖 天道根命之後也
がある。

 滋野氏は当地(葛上郡楢原)を本拠とする豪族で、その遠祖をたどれば紀国造家に辿りつくという。
 ネット資料(浦野家の歴史と系譜)に示す系譜(その真偽は不明)によれば、遠祖・天道根命10代の孫・久等耳のとき楢原造を名乗り、その7代の孫・東人が天平勝宝2年(750)に伊蘇志臣(イソシ・勤とも記す)の姓を賜り改姓、その孫・伊蘇志臣家訳(イエオサ)が延暦17年(798)に宿禰(スクネ)の姓(カバネ)を賜って滋野宿禰と改姓したという(弘仁14年-823、長子・貞主と共に朝臣の姓を賜っている)
 当社の祭神とされる滋野貞主(シゲノサダヌシ)が滋野朝臣家訳の長子であることから、式内・大重神社は滋野氏の後裔がその祖を祀った社で、滋野貞主が淳和・仁明・文徳三帝(823--858)に仕え、その娘が仁明・文徳両天皇に嫁し本康親王・内親王を生むなど朝廷との関係も深いことから、それを祀る大重神社が式内社に列したのであろう。

 なお、大重神社の大重は犬養の誤写で、本来は葛木犬養神社ではないかという説がある→下記。

 当社が合祀されている駒形神社の由緒等詳細は不明。社頭の案内には、
 「駒形の名のいわれであるが、地元の古老の話によると、その昔、農耕の使役された馬を祀ったので、その名が今に残っているのではないかとの事であるが、駒形の名のためか、馬にかかわる人々が今もこの神社に参拝されるという」
とある。

※祭神
 葛木大重神社−−滋野貞主命(滋野朝臣貞主)−−葛城稚犬養連網田とする説あり(下記)
   祭神・滋野貞主は、上記のように、淳和・仁明・文徳三帝に仕え内外の顕職を歴任した実在の人物(785--852)で、その娘二人が仁明天皇および文徳天皇の後宮に入り親王・内親王を産むなど、貞主の家は天皇の外戚としても繁栄したという。
 仁寿2年(852)慈恩寺西書院で卒去、最終官位は参議正四位下宮内卿兼相模守。文徳実録・仁寿2年2月条にその卒伝が記されているという。

 駒形神社−−祭神不詳
   ただ、大和志料(1915・大正初期)には、
 「駒形神社の祭神不詳なれど、陸中国胆沢群金崎村国弊中社(岩手県胆沢郡金崎町の式内・駒形神社か)の分霊と伝え、古事記及び延喜式考証(1733)には木の股の神とあり、当社境内山林を駒形山と云い、祭神を土人木股神と伝承すれば、あるいは木股神又は駒形神ならんか」
とある。

※葛木犬養神社説
 新抄格勅符抄(平安時代の法制書)が引用する大同元年牒(806、奈良時代以降、神社寺院に与えられた封戸の記録)に、
  「葛木犬養神 廿戸 信濃」
とあり、この葛木犬養神は当社祭神を指すとして、大重は犬養の誤写で、祭神は、書紀にいう皇極4年(645)6月8日の蘇我入鹿誅殺の挙(乙巳の変)に加わり、入鹿を斬ったという葛城稚犬養連網田(カツラギワカイヌカイノムラジ アミタ)の祖神を祀るという。

 その根拠資料と思われる大和志料には、
 「葛城犬養神社  栗田寛氏(幕末〜明治中期の国学者)が、“式の諸本は犬養を大重とあるが、秘釈(延喜式神名帳秘釈・16世紀前期頃)には八重とあり、新抄格勅符抄に葛城犬養神とあり。大和国葛上郡に犬養村(原注−犬養村は葛上郡ではなく宇智郡にある)があることからみて、大重は犬養の誤りであろう”と云われたのは出色の考案といえる。
 当社の所在は詳らかでない。神社覈録(1870)に楢原村ならんというのは、その村に重岡(シゲオカ)との名勝があることと、当社名を大重と訓んだことからであろう。
 祭神もはっきりしないが、犬養氏の祖神であろう。姓氏禄によれば犬養氏には、県犬養氏・若(稚)犬養氏・阿多御手犬養氏・安曇犬養氏の4流があるが、当社に祀るのは阿多犬養氏(稚犬養の誤りか)の祖神であろう。
 当社は式内小社で月次・新嘗の班弊に預かっていないのに、20戸の神封に預かった理由は不詳だが、当社が犬養氏の祖廟であり、藤原氏の崇敬するところであったことから(藤原不比等の室・橘三千代の出自は県犬養氏)、朝廷から特に20戸の封を寄せられたのであろう。そうであれば、当社は阿居太都命(アケタツ、犬養4流の主流・県犬養氏について、新撰姓氏禄には「左京神別(天神) 県犬養宿禰 神魂命八世孫阿居太都命之後也」とある)を祀ったものであろう。後考を待つ」(大意)
とある。

 書紀・皇極4年条に葛城稚犬養連網田との名があることからみると、葛城の地に犬養氏の一族が居たのは確かのようで、氏族名と地名とが連動することからみて、宇智郡犬養村(現五条市犬飼町附近か、御所市には犬養の地名はない)を本拠とした葛城稚犬養網田が、その地に神社を建てて祖神を祀ったのはありうる。
 大和志料によれば、この稚犬養氏が創祀した葛木犬養神社が式内・葛木大重神社となるが、とすれば、明治40年合祀前の大重神社が現在地東方の田口にあったという伝承とは食い違う(犬養村→楢原村田口→現在地ともとれるが、それを示唆する資料はなく、また何故犬養から田口へ遷ったのか不明)
 また、大和志料が引用する栗田寛氏は大重は犬養の誤写というが、その根拠となる文字(多分、草書体か行書体であろう)が不明のため何ともいえない。

※社殿等
 一の鳥居・二の鳥居をくぐり、石段(40段)を登った上が境内、やや狭い。
 境内正面に拝殿(入母屋造・瓦葺)が、その奥、石垣の上、鳥居と玉垣で囲まれた中に本殿(一間社流造・銅板葺)が鎮座する。
 社務所は無人

駒形大重神社/一の鳥居
駒形大重神社・一の鳥居
駒形大重神社/二の鳥居
同・二の鳥居
駒形大重神社/社殿側面
同・社殿側面(左:拝殿、右:本殿)
駒形大重神社/拝殿
同・拝殿
駒形大重神社/本殿1
同・本殿1
駒形大重神社/本殿2
同・本殿2

◎末社
 社殿域の右側、簡単な覆い屋根の下に、古びた末社5祠が並ぶ。
 向かって左から
 ・琴平社−−大物主神
 ・市杵島社−−狹依比売命(市杵島姫の別名)
 ・八幡社−−誉田別命(応神天皇)
 ・春日社−−天児屋根命
 ・神明社−−天照大神

 いずれも一間社春日造で同形、八幡社のみがやや大きい
 鎮座由緒・時代等は不明。
駒形大重神社/末社合祀殿
末社合祀殿
(左から、琴平社・市杵島社・八幡社
春日社・神明社)
駒形大重神社/末社・市杵島社
末社・市杵島社

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