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坂 門 神 社
A:坂門神社
奈良県橿原市中町
祭神--武甕槌神
B:天岩戸神社
奈良県橿原市南浦町
祭神--天照大神

 延喜式神名帳に、『大和国十市郡 坂門神社 鍬靫』とある式内社だが、上記2社が論社となっている。社名は“サカト”と読む。

※由緒
 式内・坂門神社本来の祭神・創建由緒・時期等は不明。
 また一時(江戸前期~中期初頃)その所在地が不明だったが、室町初期に現天岩戸神社がこれに比定され、江戸中期に現坂門神社とする説が出されたという。

◎論社
 上記論社2社のうち、式内・坂門神社を現橿原市中町に鎮座する坂門神社(上記A)と比定するのは、江戸中期の地誌・大和志で(1734)で、そこには
  「坂門神社 鍬靫 中村に在り 今春日と称す」
とあるが、その比定根拠は不明。
 ただ、今、これを承けて中町の坂門神社を式内社とする資料は多い。

 これに対して、天香久山南麓にある天岩戸神社(橿原市南浦町、上記B)とするのは、室町初期の古書・和州五郡神社神名帳大略注解(略称・五郡神社記、1446)で、そこには、
  「帳に云う 十市郡坂門神社一座 神戸郷香山南山野に在り 俗に亀岩屋と云う 
     亀卜伝授秘抄(時期不明)に云う 天香山坂門神社は亀津比売命也 神殿無く唯石窟のみ云々」
として、天香山坐四処神社(天香山周辺に鎮座する4社、天香山坐櫛眞神社・畝尾坐健土安神社・畝尾都多本神社・当社)の一としている。

 これを承けたのが大和志料(1944)で、
  「(大和志が中村の坂門神社を式内社とするのは根拠不明として退け、五郡神社記及び亀相紀の記述を記した後)
 之に拠れば、卜筮(ボクゼイ・占い)に供する亀の霊を亀津比女命又は太詔戸命と称し天香山の岩窟に祭りたるにて、亀岩屋の称は之に起れるものなり。
 今香山村大字南浦即ち山の南麓なりに岩窟あり、俗に之を天岩戸社と称し、神世の昔天照大神の幽居し給へる処なりと伝ふるも、天岩屋は亀の岩屋より転訛し来たり。即ち天岩屋社と称するものは式内坂門社なるべき。
 但し、坂門は坂処の假字にして、畝尾と同じく地勢に因れる名称なるべし」
という。

 また、式内社調査報告(1982)は、
  「社名の坂門には、坂のある処と、最も低い処の二つの意味があるが、A社は平坦地に所在しており、どちらの意味も今日の地形からはあたらない。
 神名帳・金剛寺本の頭注に“貞改名(貞観期・859--77に改名の意)とあることから、社名が変わったとも考えられ、あるいは坂門とは坂田の訛りであろうとの説もあるが(式内社の研究)、断定はできない。
 今日、いずれが式社であるか断ずることはできないが、B社は天香山への南からの登山口にあたり、“坂のある処”の意に合致しており、A社よりも可能性が高いように思われる」(大略)
という。

 今、A社は橿原市の東北隅にあり、B社は中央東部の天香山南麓で、その間の距離約2kmと離れており、この両社を論社とするのには疑問もある。
 式内・坂門神社本来の祭神・由緒等不明のため、A・B社いずれが式内社かを判断することはできないが、式内社調査報告がいうように、坂門が地形からくる社名とすればB社が式内社である蓋然性は高い。

 いずれにしろ、両社ともに式内・坂門神社とする確証はなく、式内社は所在地不明とするのが妥当かと思われる。

【坂門神社】
                                                                  2013.08.28参詣
 近鉄橿原線・新ノ口駅の東約1km、中町集落の中に鎮座する。周囲は住宅地で、小さな鎮守の森の中にある。

※由緒
 境内に由緒・創建時期等を記した案内はなく、詳細不明。

※祭神
   武甕槌神(タケミカヅチ)
   明治24年(1891)の神社明細帳には、タケミカヅチ・斎主命(イワイヌシ)・天児屋根命(アメノコヤネ)・姫大神とあり(式内社調査報告)、藤原氏(中臣氏)の祖神・春日四神を祀るという。
  大和志に“今、春日社と云う”とあるように、式内・坂門神社に比定される以前の祭神を引きついたもので、式内・坂門神社本来の祭神かどうかは不明。

※社殿等
 中町集落の西寄りに鎮座し、東を向いた鳥居を入った先に拝殿(切妻造・瓦葺)が、その奥、高い白壁に囲まれた中に本殿(春日造・銅板葺)が東面して鎮座する。
 末社等はみえない。


坂門神社・鳥居 
 
同・拝殿
 
同・本殿


【天岩戸神社】
                                                                 2013.07.22参詣
 近鉄橿原線・畝傍御陵前駅の東約2.5km、天香久山の南麓、南浦集落の中に鎮座する。集落内は道路が輻輳していて見つけにくい。

※由緒
 社頭に掲げる案内には、
  「天香山南麓、南浦集落のほぼ中央に南面して鎮座し、天照大神を祀る。
 古事記・日本書紀の神話にみられる天照大神の岩戸隠れされた所と称し、今もなお巨石四個があって大、神の幽居した所と伝える岩穴をご神体として、神殿はなく拝所のみがあるという古代人の原始的な祭祀形態を残している。
 玉垣内には真竹が自生するが、これを往古より7本竹と称し、毎年7本ずつ生えかわると伝えられている」
とあるが、式内・坂門神社との表示はない。

 当社は、下記するように本殿がなく、数個の巨石をご神体とすることから、その巨石を天岩戸神話と結びつけて創作されたのが上記由緒で、本来の姿は、素朴な古代磐座信仰の聖地だったと思われる。

※祭神
   天照大神(アマテラス)
 祭神をアマテラスというのは、ご神体の磐座を記紀神話にいう天岩戸とみてのことだろうが、当社本来の祭神は、マツリの都度磐座に降臨する神で、固有の名はなかったと思われる。

※社殿
 集落内道路の脇に立つ鳥居を入り(天岩戸神社との石標あり)、入ってすぐを左に折れ、参道を北に進んだ正面に拝殿(切妻造・瓦葺)が南面して建つが、本殿はない。
 拝殿の奥、玉垣内の三門を連ねたような拝所の奥、竹林の中に数個の岩(磐座)がある。
 竹が密集していてよく見えないが、大きさ2~3mの程の岩石数個(案内は4個という)がコの字の開口部を手前にして並び、その開口部が岩屋(石窟)の入口のように見えることから、これを天岩戸の入口と見立てたのであろう(人の手が入っているようにも見える)。

 
天岩戸神社・鳥居
 
同・拝殿
 
同・拝所正面
 
同・磐座

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