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白 堤 神 社
奈良県天理市長柄町
祭神--日本武尊
                                                             2014.04.10参詣

 延喜式神名帳に、『大和国山辺郡 白堤神社』とある式内社。社名は“シロツツミ”あるいは“シラツツミ”と読む。

 JR桜井線・長柄駅の西南約800m、駅西側の小道を南下、二つ目の辻を西へ、朝和幼稚園前・老田池北側を過ぎ、興亜製作所西側を左折して南に進んだ左手(東側)の森の中に鎮座する。

※由緒
 社頭に掲げる案内には、
  「白鳥大明神 延喜式内社 白堤神社
   祭神  日本武尊(景行天皇の皇子)
   大和は 国のまほろば たたなづく 青かぎ 山ごもれる 大和し 美し
 古事記にあるこの歌は、日本武尊が投獄からの帰り、はるかに大和国を思い出して歌われたものと伝えられている。
 景行天皇の命をうけ、国の繁栄のため、九州から出雲国、さらに関東から東北へと進まれたが、その帰り、伊吹山で病にかかり、、能煩野(亀山市内)で亡くなられた。ところが、尊の魂は白鳥となって陵から飛び立ち河内へ、さらに大和へ向かったと伝えられている。
 日本武尊のこうしたロマンに満ちたご活躍を偲び、御神徳のいよいよ広まるように全国各地で日本武尊を白鳥大明神としてお祭りするようになった。
 白堤神社は、県下で尊をお祭りするただ一つの神社である。
 当社は、平安時代に国から幣帛を授受する延喜式内社に指定された」
とある(近年になっての掲示らしい)

 これは、当社を白鳥神社として、その創建由緒を古事記にいう日本武尊神話にとったもので、白堤神社本来の創建由緒ではない。

 ただ、当社は古くから白鳥大明神として知られていたようで、江戸中期の地誌・大和志(1734)には
  「長柄村に在り、今、白鳥明神と称す」
とあり、大和志料(1914・大正初期)には
  「朝和村大字長柄にあり、式内村社たり。俗に白鳥明神と称す。日本武尊を祭ると云ふ。案ずるに、姓氏録大和神別に白堤首(シロツツミノオビト)天櫛玉命(アメノクシタマ)八世孫大熊命の後也と。白堤の祖神か。後考をまつ」
とあり、延宝7年(1679・江戸前期)の検地帳には白鳥宮とあり、境内にも「白鳥大明神」と刻した元禄2年(1689)寄進の石燈籠がある(右写真)


  これに対して、大和国に白堤首(シラツツミノオビト)と称する一族がみえ(新撰姓氏録・下紀)、当社境内(拝殿左前)に白堤氏が祖神とする大熊命を祀る小祠(摂社・右写真)があることから、
 山辺郡誌(1919)
  「伝説に、古は大熊神社を村社とせり。然るに後世境内社なる白鳥社を本社とし、白堤の社号を襲えるより誤を来せりと云ふ。此説信に近し」

 天理市史(1976・大正中期)にも
  「口碑によれば、本社は白堤首の祖・大熊命をまつる大熊神社であったが、中古、境内社であった白鳥社(祭神:日本武尊)を本社とし、本社である大熊神社を摂社に変えたのだという」
とあり、いずれも本社・大熊社と境内社・白鳥社が入れ替わったと推察している。

 本来の祭神が新しく勧請された神に主神の座を奪われ、相殿神あるいは摂社・末社の神へ貶められた事例は多く、当社もその一例かもしれない。

 当社創建後の沿革は不詳だが、資料によれば
  「嘗ては現在地の南約200mの南池(白鳥池)の西堤上にあったが、大戦末の昭和19年、大和海軍航空隊飛行場建設のため池が埋め立てられ、社も取り払われて小学校内に遷され、戦後の昭和21年9月、池の北側にあたる現在地に社殿を新築して遷座した」
という。

 今、当社の南南西約200mほどの田畑の脇に
  「白堤神社跡  𦜝見長柄丘岬 長柄城跡
と刻した史蹟碑が立ち、裏面には
  「広大な元海軍航空隊大和基地跡 昭和46年10月20日 長柄長寿会建之」
とある。

 史蹟碑は、白堤神社鎮守の森西側の道を南下、小川(長柄川)を渡った次の辻を右(西)へ少し進んだ道の北側にある。
 周囲は田畑だが、長大なビニールハウスの陰に隠れていて、東からは見えない。

背後の森は白鳥社鎮守の森


※祭神
 祭神については以下の3説があるという。
 ①日本武尊--大和志・神社明細帳(1879)・大日本地名辞書(1907)・社伝
 ②天櫛玉命--大和志料・特選神名牒(1876)・神社覈録(1870)
 ③大熊命---和州五郡神社神名帳大略注解(1446)・山辺郡誌(不明)・神名帳考証(1733)

 ①のヤマトタケル説は、当社を白鳥神社と称したことからの説で、能褒野で亡くなったヤマトタケルが、白鳥と化して大和に向かって飛び去ったという神話によるものだろうが、特選神名牒に
  「白堤をシロトリと訓み、大和志に此社を白鳥明神と称すると云より索つけたる説にて取りがたし」
とあるように、当社に日本武尊を祀る由縁はない。

 ②③のアメノクシタマ命説およびオオクマ命説は、神饌姓氏録に
  「大和国神別 白堤首 (事代主命の子)天櫛玉命八世孫大熊命之後也」
とあることから、白堤首一族が祖神を祀ったとする説で、
 特選神名牒(1919・明治9)
  「白堤は、姓氏録に白堤首 天櫛玉命八世孫大熊命の後也とみえたる因で、考ふるに、白堤首の祖神櫛玉命を祭れること著し」
 日本の神々4は、
  「白堤首の祖神天櫛玉命は事代主命の子であり、当社の鎮座地・長柄の地名に関係のある長柄首の祖神も天八重事代主命であることから、当社は白堤首にかかわる神社と考えられる」
という。
 ②③の別は、その祖神を白堤首氏の遠祖(アメノクシタマ)とみるか直近の祖(オオクマ)とするかによるもので、白堤首一族の祖神という意味では同じといえる。

 なお、当地一帯が弥生時代以来の水田地帯であり、移転前は南池の西堤上にあったことから、白堤神とは堤の神としての性格を有していたのではないかともいう(式内社調査報告)

※社殿等
 鎮守の森の西側に鳥居が立ち、弓なりの参道を進んだ奥が境内。
 境内中央に拝殿(千鳥破風付切妻造・瓦葺)が、その奥、玉垣に囲まれた中に本殿(唐風破風向拝・千鳥破風付流造・銅板葺、昭和31年新築という)がいずれも西面して鎮座する。

 
白堤神社・鳥居
 
同・拝殿
 
同・本殿

◎境内社
 上記した摂社・大熊神社の他に、境内社として
 ・境内左--3座合祀殿・2座合祀殿と高靇社(タカオカミ・水神)
 ・境内左奥--稲荷社
がある。

 
3座合祀殿
天照皇大神・天児屋根命・誉田天皇
 
2座合祀殿
迦具土神・彦火火出見命
 
高靇社

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