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高屋安倍神社
奈良県桜井市谷(若桜神社境内)
祭神--大彦命・屋主彦太思心命・産屋主思命
                                                                   2014.07.28参詣

 延喜式神名帳に、『大和国城上郡 高屋安倍神社三座 並名神大 月次新嘗」とある式内社で、今は桜井市谷に鎮座する式内・若桜神社に合祀されている。

※由緒
 創建由緒・時期等不明だが、近世以降の古資料には、
 ・大和志(1734・江戸中期)
   「父老云、昔桜井谷邑管内安倍松本山に在り。近く若桜神社の傍らに移る。今尚高屋明神と称す」(漢文意訳)
 ・神名帳考証(1813・江戸中期)
   「今高治明神。松本山の東に在り、今之在の谷村に移る」(漢文意訳)
 ・神祇志料(1873・江戸後期)
   「今十市郡若桜神社の傍らにあり。高屋明神と云ふ。昔桜井谷の安倍松本山にありしを、後之に遷座する」
 ・大和志料(1914・大正3)
   「当社古へ安倍の松本山の東にありしを、近世桜井谷村稚桜社地に遷し祭ると云ふ」
 ・磯城郡誌(1915・大正4)
   「当社古安倍の松本山の東にありしを、近世桜井谷村稚桜社地に遷し祭ると云ふ。
  社伝に、本社は元来安倍村松本山に在りしも、霖雨の為め一山崩壊社殿破壊し、遂に若桜神社の境内に遷座せしと」
とあり、いずれも、当社は古くは安倍の松本山の東にあったが、近世の頃に谷村の若桜神社境内に遷ったという。

 当社旧社地という松本山の所在地について、桜井市史(1979)には
  「もとは南方400mの字松本山に鎮座した式内名神大社」
とあり(奈良県史-1989も同じ)、若桜神社の南400mとは桜井公園(東側に桜井小学校が隣接する)辺りかと思われるが、確証はない。

 当社は古代豪族・安倍氏に係わる神社と推測されているが、旧鎮座地・松本山から西南の文珠山にかけての一帯には、艸墓古墳(クサハカ・7世紀前半と推定される終末期古墳で、安倍氏関連の墳墓ともいう、別称カラト古墳)・風呂坊1号~3号墳・文殊院東古墳・西古墳など古墳時代後期(6~7世記)築造と思われる古墳が多数あり、また通称・安倍文殊院(崇敬寺・若桜神社の西南約1.2km)が大化年中(645--49)安倍倉橋麻呂(?~649、安倍内麻呂ともいう、大化新政府で左大臣に任じられた)による創建と伝えることから、この一帯は古代安倍氏の聖地であったと考えられるという(日本の神々4)

 その松本山から現在地に遷座した時期について、
 ・式内社調査報告(1982)--享保21年(1736・江戸中期)以前らしいが、確証はない
 ・大和志(1734)--近若桜神社の傍らに移る
 ・寛政頃(1789--1801・江戸後期)の宮本日向貞幸回状・若桜神社の項--
   天照大神宮
   高屋安倍神社  三座合殿
   八幡宮
   多大明神
などから、江戸中期までには移っていたと思われる。

 松本山にあったとされる当社の創建年次は不明だが、
 ・天安元年(857) 8月庚辰 在大和国従五位下高屋安倍神に従五位上を授く
 ・天安2年(858) 4月戊申 在大和国条五位上高屋安倍神に従四位下を綬く(以上、文徳実録)
 ・天慶3年(940) 9月丙寅 正四位下高屋安倍神に正三位を奉綬(日本紀略)
との神階綬叙記録からみて、9世記には実在していたことは確かだが、その後の文献・古文書に登場せず、歴史上から消息を絶っているという(式内社調査報告)

※祭神
 ・大彦命(オオヒコ)
 ・屋主彦太思心命(ヤヌシヒコフトシタマ)
 ・産屋主思命(ウモヤヌシオモイ、彦御主田心命とする資料もある)

 祭神三座のうち大彦命は、
 ・書紀・孝元天皇段--欝色謎命(ウツシコメ)を立てて皇后とされた。后は二男一女を生まれた。第一を大彦命という
とある第8代・孝元天皇の皇子で、
 ・古事記--大毘古命(大彦命)の子・建沼河別命(タケヌナカハワケ)は阿部臣等の祖
 ・新撰姓氏録--左京皇別  阿部朝臣  孝元天皇皇子大彦命之後也
とあるように安倍氏の始祖とされることから、安倍氏系の神社とされる当社の祭神としては順当といえる。

 残る2座・屋主彦太思心命・産屋主思命も大彦命に繋がる神と思われ、特選神名牒(1876・明治9)には、祭神について
  「今按、姓氏録阿部朝臣孝元天皇々子大彦命也、また布勢朝臣安倍朝臣同祖、大彦命男彦背立大稲腰命之後也、高橋朝臣も同祖なる由見えたり。
 本社に祭れる三座は、其の主とする所必ず大彦命なるべけれども、其の二座は詳ならず。
 神社覈録に引土御門家譜に云う、孝元天皇々子大彦命の後胤・倉橋麻呂一名内麻呂、号高屋明神とある内麻呂を祭ると云うは信じがたけれど、阿部氏の祖を祭れることは此文にても一定なり」
とあるが、そこに2座の名はなく、また管見した大彦命系譜や安倍氏系譜にもそれらしき名はみえず、大彦命との繋がり・安倍氏系譜での位置づけは不明。

 なお異論として、大和志料は
  「大和国陳述名鑑図(発刊時不明)に山の半腹に社殿を描き、之に『高屋安倍神社三座 建沼河別命・高橋丸・兄姫を祭る、是阿部氏也』と記せり。
 建沼河別命は大彦命の子にして阿部氏の祖なり。高橋丸は安倍倉橋麻呂の誤伝と聞ゆれば、陳述名鑑図の説是に似たり」
として、建沼河別命・安倍倉橋麻呂・兄姫(エヒメ)の三座としている。

※社殿
 桜井市谷に鎮座する若桜神社・本殿域内(向かって左側)に鎮座するが、白壁が高く実見できない(別稿・若桜神社参照)
 若桜神社拝殿西側の土蔵前に、「安倍大明神社 寛政元歳九月吉日 谷邑 喜三郎」との石灯籠があり、これが当社に係わる唯一の遺品だという(未見)

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