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宇奈太理坐高御魂神社
奈良市法華寺町
祭神--高御魂尊・天太玉命・思兼命
                                            
              2014.01.12参詣

 延喜式神名帳に、『大和国添上郡 宇奈太理坐高御魂神社 大 月次新嘗』とある式内社。社名は、“ウナタリニマス タカミムスヒ”と読む。なお古史料では、ウナタリを菟足・菟名足・宇奈足・宇奈太理などと記している。

 近鉄奈良線・新大宮駅の西北西約1km強、世界遺産・平城宮跡の東側に突出する東院庭園公園に西接した森(ウナタリの杜)の中に鎮座する。北東約450mに法華寺がある。

※由緒
 社頭に掲げる略記には、
  「延喜式内社の大社で月次・相嘗・新嘗の弊に預かっていた。古文書では宇奈足とも菟名足とも書いている。
 武内宿禰の勧請と伝えられ、日本書紀によると、持統天皇6年(692)12月24日には、新羅の調を伊勢・住吉・紀伊・大倭・菟名足に奉るとある。その一柱でこの神社の神戸は正倉院文書の大平2年(730)大和正税帳・新抄格勅符抄に載っているが、いずれも神名は菟名足となっている。
 江戸時代には揚梅神社と呼ばれたこともあり、今“うなたり社”とか“西の宮さん”とかいっているのは、近郷だけの通俗の略称である」
とある。

 当社の創建由緒・時期は不明。案内には“武内宿禰の勧請”とあるが、これは信ずるに足りない。
 しかし、持統天皇6年12年24日条に、
  「大夫(マエツキミ)らを遣わして新羅の調を五社、伊勢・住吉(スミノエ)・紀伊・大倭(ヤマト)菟名足(ウナタリ)に奉った」
とあることから(正史上での初見)、7世記後半には実在し、朝廷にとって伊勢・住吉などと並ぶ重要な大社とされていたことは確かであろう。

 書紀以外の記録として、
 ・大倭国正税帳(1730・正倉院文書)--菟足神神戸稲58束3把、租52束、合110束3把
 ・新抄格勅符抄引用の大同元年牒(806、奈良時代以降に神社寺院に与えられた封戸等の記録)--菟足神13戸 大和8戸尾張5戸
 ・延喜式・四時祭十一月祭条--宇奈足社一座 神饌として絹2疋他(23種)を奉ること
が、また神階授与記録としては、三代実録・貞観元年(859)4月10日条に、
  「法花寺従三位薦枕高御産栖日神(コモマクラ タカミムスヒ)に正三位を授く」
とあり、ここでいう薦枕高御産栖日神とは法華寺町にある当社祭神を指すという(コモマクラ-マコモを束ねて作ったマクラが普通のそれより高いことから“高”にかかる枕詞)

 当社について、大和志(1734・江戸中期)には、
  「宇奈太理坐高御魂神社 法華寺村に在り、今楊梅天神と称す」
とあるように、江戸時代には楊梅(ヨウバイ-ヤマモモの漢語読み)天神あるいは桜梅天神と呼ばれたようで、他にも
 ・大和名所記(1681・和州旧跡幽考ともいう)楊梅宮条--法華寺西南辺に楊梅の天神といふ社あり、此のあたりにや
 ・法華寺御所境内惣絵図(1753)--桜梅天神(法華寺の鎮守社)
 ・参道の石燈籠(1812)--桜梅天神の刻銘あり
などがあるという。

 大和志などがいう楊梅宮とは、平城京の東側中程にあって、天皇又は皇太子が私的な居宅とした東院の区画に造営された館で、続日本紀・光仁天皇宝亀4年(773)条に、
  「2月27日 楊梅宮が完成し、天皇は楊梅宮に居を移した」(大意)
とあり、その後、平安遷都まで使用されたという。
 この楊梅宮が造営された東院とは、発掘記録(ネット資料)などによれば当社を含む一画で(今、当社の東から南にかけてある東院庭園は、東院にあった庭園を復元したもの)、とすれば、当社は東院が使用されなくなった平安遷都以降に勧請されたと思われるが、それが何時の時代かははっきりしない。


 当社が、現在地へ遷座する以前に何処にあったかは不詳だが、大和志料(1914・大正初)には
  「宇奈太理高御魂神社は、往事盛大なる社頭なりしも稍く衰微し、今其の所在を確知する能はざるに至れり。按ずるに
 春日若宮神主祐房の長承2年(1133・平安末期)註進状(春日社の末社を注記したもの)に、
   『井栗明神又実名宇奈太理坐高御魂神』
とあり、又山陵廻り日記(幕末から明治初の国学者・谷森種松の日記)に、
   『古き絵地図(時期不明)を見侍りしに、法蓮村(法華寺町の東にある法蓮町か)の佐保殿村(位置不明)と法華寺(当社の東北約450m)との間に雨多利(ウタリ)と書きたるが見え侍るに、宇奈太利の旧跡にて侍るべきを、今に社廃して字のみ存せり』と(カッコ内は引用者注記)
 之に依れば、もと彼の雨多利に在りしを荒廃の後春日の境内に遷し祀り、之を井栗社(イクリ)と称せしか。後考を待つ。
 今奈良法華寺町にあるものを以て当社となし、現に村社たり」
とある。

 また、式内社調査報告(1982)
  「書紀・延喜式などに散見する菟名足・菟足・宇奈太理と記される大社は、奈良市横井町の辺りにかつて存在した大社であって、宇奈太理神社は、もと奈良市横井町の穴吹神社の近郊に存在したことを推定せしめる」
という。

 これらによれば、旧地は当社東の法華寺と法連寺町との間にあったウタリの地(位置不明)にあったが(菟足社をウタリ社と読めば地名・ウタリを承けたものとなる)、これが荒廃したため現横井町付近に遷座し、更に春日社境内に遷され井栗社(祭神:高皇産霊神)と称したとなり、現に、春日大社の境内東側に鎮座する末社4社のなかに井栗社なる小祠がある(他の3社は穴栗社・辛榊社・青榊社)

 この井栗社以下の4末社は、平安末期(12世記中葉)に添上郡今木荘(現奈良市横井町・古市町町界)にある式内・穴吹神社から春日社へ勧請されたものともいわれ、今も元社とされる横井町の穴栗神社には、井栗社・穴栗社・青榊社・辛榊社の4社が祀られている。

 しかし、井栗社=宇奈太理高御魂神社とする史料は上記注進状以外になく、又、管見した穴栗社関係資料に当社との関わりを示唆するものは見えず(但し、祭神は同じ)、当社がウタリの地から横井の穴栗神社(あるいは、その近傍)に遷座したとする確証はない。

 以上からみて、当社は創建由緒・創建後の沿革など謎の多い神社で、全てにわたって詳細不詳としかいいようがない。


※祭神
 今の祭神は、
  ・高御魂尊(タカミムスヒ、高御産霊神・高木神とも記す)--中座
  ・天太玉命(アメノフトタマ)--東座(向かって右)
  ・思兼命(アメノオモヒカネ)--西座(向かって左)
とあるが、延喜式に祭神一座とあるから、本来の祭神はタカミムスヒ一座であろう。

 タカミムスヒとは、古事記によれば、天地開闢のとき高天原に出た造化三神の一柱で、天御中主神(アメノミナカヌシ)に次いで成り出て身を隠し(書紀では、本文ではなく一書4のみに記す)、その後、国譲り使者の派遣あるいは天孫ニニギ尊の降臨を主導するなど、アマテラスとともに高天原における中心的な役割を果たした神(書紀では、アマテラス以上に物事を主導したとあり、皇祖神的色彩が強い)
 また、記紀に記す皇統譜では、タカミムスヒの娘・ヨロヅハタトヨアキツシヒメ(書紀・タクハタチヂヒメ)が天孫・ニニギ尊の母とあり、タカミムスヒは母方の祖父という位置づけになっている。

 これに対して、先代旧事本紀(9世紀初頭、物部氏系史書)ではアメノミナカヌシ六世の孫で、イザナギ・イザナミ双神と共に生まれたとされ、神名帳頭注(1503・室町後期)
 「宇奈太理坐高御魂  天神第一天御中主尊第六世の孫。天八十萬魂尊長男・高御産霊尊也」
とあるのは、これを承けたものであろう。

 なお、タカミムスヒのムスヒは産霊とも記すが、この産霊とは、万物を生みだし成長させる神秘で霊妙な力を意味するといわれ、本居宣長は、「産霊の産(ムス)とは生れ出ずることで、霊(ヒ)は神秘なる霊を意味し、そこから産霊(ムスヒ)とは凡て物を生成させる霊異なる神霊をいう」(大意)という(古事記伝・1798)

 当社が、“宇奈太理(地名)に坐す高御魂尊の社”と称することからみて、当社に祀られるタカミムスヒは、記紀にいう高天原の中心的な神としてのそれではなく、当地一帯における万物の生成・生育を司るムスヒの神としてのタカミムスヒではなかろうか。


 相殿神・天太玉命は、、古代宮中祭祀に携わった忌部氏(後の齋部氏)の祖神で、古語拾遺(807・忌部氏系史書)ではタカミムスヒの孫、先代旧事本紀ではタカミムスヒの御子(思兼命の弟)という。
 記紀によれば、天岩戸段でアメノコヤネ命(中臣氏の祖神)とともに鹿の肩の骨を灼いて占い、真榊木を立て玉・鏡・和幣(ニギテ)などを掛けて祈祷してアマテラスの呼び戻しを促し、天孫降臨に際しては五部神(イツトモノオ)の一として天孫・ニニギに従って降臨したという。

 同じく思兼命は古事記・先代旧事本紀共にタカミムスヒの御子とされ、様々な思慮を兼ね備えた神という。天岩戸段では様々な方策を立ててアマテラスの呼び戻しに成功させ、また国譲りの使者派遣に際して使者の選定に尽力し、天孫降臨では五部神とは別にタジカラオ・アメノイワトワケと共に随従している。

 このアメノフトタマ・オモヒカネともに当社に祀られる由緒は不詳だが、いずれもタカミムスヒの御子(又は孫)とされることからと思われる。

※社殿等
 東院庭園との間を画する小道脇の鳥居を入った先が境内で、右手に建つ横長の拝殿(毎月1日15日に開くという)と、それに連なる白塀の中に社殿が鎮座する(内部は、正面からは殆ど見えず、左右からはかろうじて見える)

 本殿域の中央、朱塗りの小鳥居の奥に三間社流造・朱塗り・桧皮葺きの本殿(重要文化財・昭和25年指定)が、その左右に境内社(春日造朱塗りの小祠)2宇ずつが、それぞれ南面して並ぶ。
 案内によれば、境内社として、天鈿女社・猿田彦社・手力雄社・大宮媛社・豊岩窓社が鎮座するというが、遠くて、どれがどの小祠かは不詳。

 
ウナタリの杜(北東方より)
 
宇奈太理坐高御魂神社・鳥居
 
同・拝殿(入口付近)
 
同・本殿域全景
 
同・本殿
 
同・境内社(本殿右)
(本殿左にも同形の小祠あり)

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