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東大谷日女命神社
A:奈良県桜井市山田
B:奈良県橿原市畝傍町唐院
祭神--A:東大谷日女命
             B:媛蹈鞴五十鈴媛命

 延喜式神名帳に、『大和国高市郡 東大谷日女命神社』とある式内社だが、上記2社が論社となっている。
 社名は“ヤマトオオタニヒメノミコト”と読む。

【東大谷日女命神社(桜井市)】
                                                                 2013.05.09参詣
 祭神--東大谷日女命(ヤマトオオタニヒメ)

 近鉄・橿原神宮前駅の東約3km、駅東口から県道124号線を東進、飛鳥資料館前を過ぎて山田寺前バス停から山田寺跡との案内表示に従って東へ入り、山田寺跡前を右折、道なりに進んだ小丘の中に鎮座する。山田寺跡の西に当たる。

※由緒
 境内に案内表示なく、創建由緒・時期等は不明。
 当社を式内・東大谷日女命神社とする古資料として、
 ・大和志(1734・江戸中期)
  「東大谷日女命神社 山田村に在り 今八幡と称す 石灯籠有り 永和元年造と刻す 式には高市郡と載る」
 ・大和名所図会(1791・江戸後期)
  「東大谷日女命神社 山田村にあり 今八幡と称す 神名帳に出ず」
 があり、いずれも山田村にあった八幡神社を式内・東大谷日女命神社に比定しているが、その根拠は記載されていない。
 なお、大和志は当社を十市郡巻に載せているが、この地が高市郡との境界近くにあったことからの混乱であろう。

 社名の“東”について、度会延経の神名帳考証(1813・江戸後期)
  「東は夜麻止(ヤマト)と訓むべし 東漢文直(ヤマトノアヤノフミノアタイ)と謂う」
とあることから(ただ、神名帳考証は、東大谷日女神社は畝傍山の西にありとしている)、寺院神社大辞典(1997)には
  「当社は、東漢氏が祀ったものと解する。その位置から山田寺の鎮守であったと推定される」
とある。

 また神名帳考証には、上記に続いて
  [姓氏]谷宿禰坂上大宿禰道祖
とあり、当社と谷宿禰一族との関係を示唆している。
 この両氏は、新撰姓氏録に
  ・右京諸蕃(漢) 坂上大宿禰 後漢霊帝男延王より出る也
  ・右京諸蕃(漢) 谷宿禰  坂上大宿禰同祖 都賀直四世孫宇志直の後也
とある氏族で、両氏ともに渡来系氏族として東漢氏(ヤマトノアヤ)に包含されると思われることから、大辞典かいう「東漢氏が祀ったもの」というのも、一考に値するのかもしれない。

※祭神
 今、祭神は東大谷日女命(ヤマトオオタニヒメ)とするが、この女神の出自・神格等不明。
 室町初期の古書・和州五郡神社神名帳大略注解(通称:五郡神社記、1446)には、
  「東姫神社  帳に云う 東日女神社(東大谷日女神社の誤記)一座 ・・・ 忌部氏記録に曰く 東日女神社即ち朝日豊明姫命也 大倭直感次には稚日女尊の隠号と謂う」
とあり、これをうけてか、社記は
  「祭神 稚姫命」
というが、社記の存在および忌部氏の原資料名は不明(忌部氏系史書である古語拾遺に稚日女命・朝日豊明姫の名は見えない)

 東大谷日女とは“ヤマトの大谷に坐す女神”を意味する普通名詞的な神名ととれるが、当地名は山田であって大谷ではない。
東大谷日女が鎮座地の地名を冠した神名とすれば、畝傍山西山麓にあった旧高市郡久米郷大谷村(現橿原市大谷町)の地が当社本来の鎮座地ともいう(橿原市の東大谷日女命神社は、この神名と地名の一致を式内社比定の根拠としている)

 社記がいう稚姫命(ワカヒメ)もまた“若い女神”を指す普通名詞的神名と思われるが、書紀・天岩戸段一書1に“稚日女尊(ワカヒルメ)が機殿で神衣を織っておられたが、スサノヲが投げ入れた斑駒の皮に驚いて、機から落ちて亡くなられた”(大意)とあり、あるいはこの日女を指すのかもしれない。
 また、稚姫命の別名という朝日豊明姫(アサヒトヨアケヒメ)も不詳だが、大和坐大国魂神社(奈良県天理市)の境内社・朝日神社の祭神を朝日豊明神といい、そこには天照坐皇大祖との注記されている。

 これらからみて、ヤマトオオタニヒメとは日神あるいは日神に仕える巫女(神妻)かと思われる。

※社殿等
 正面鳥居を入り、参道を進んだ先の石段の上が境内。
 境内正面に拝殿(入母屋造妻入、瓦葺)、その奥、玉垣で囲まれた石積壇の上、中央に本殿(三間社流造、銅板葺)、その左右に末社2祠が建つ。
 末社(春日造、銅板葺)は、本殿右が厳島神社(市杵島姫命)、左が八坂神社(素盞鳴命)


東大谷日女命神社(桜井市)・鳥居 
 
同・拝殿
 
同・社殿全景

末社・八坂神社 

同・本殿 

末社・厳島神社
 
 境内の一画にある簡単な覆屋の中に古い石燈籠が立っている。
 傍らの案内には
 「東大谷日女命神社石造燈籠(国指定重要文化財)
  この石燈籠は四角型の典型的作例で、石大工薩摩権守行長の清楚な名品として知られる」
とある。元は隣接する山田寺境内にあったともいう。

 花崗岩製 総高2.28m 笠の幅76cm 笠高18cm
 竿正面に、「善哉燈籠 微妙光明 昄功於本 施徳於霊 无間煙滅 有漏水清 願進一念 利他衆生
                             永和元年乙卯八月一日造立之 勧請行念 大工行長」
との銘文があるというが(式内社調査報告)、判読不能。


【東大谷日女命神社(橿原市)】
                                                                   2013.06.08参詣
  祭神--姫蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)

 近鉄・橿原神宮前駅の北西約1km強の畝傍山山麓に鎮座する。畝傍山頂の南東約200m、近鉄御陵前駅の西約800mに当たる。
 近鉄御陵前駅西口から橿原神宮北門へ至る参道を進み、参道が大きく左へ曲がる直前を右(北)に入り、少し進んだ叢林の中に鎮座する。橿原神宮北の大鳥居から畝傍御陵前駅へ至る参道の途中から左折しても参詣可能。

※由緒
 社頭の案内(拝殿左の壁に貼ってある)によれば、
  「当社の創造は不明であるが、徳川時代に於いては、氏神・熊野神社として明治11年(1878)頃まで熊野権現をお祀りされていた。その祭神は伊弉冉尊(イザナミ)でした。
 明治20年(1887)頃から当社を式内・東太谷日女命神社とし、祭神を神功皇后へ変えたが、その後、姫蹈鞴五十鈴媛命に変更、明治35年(1902)社名を東大谷日女命神社に変更した」
という。

 式内・東大谷日女神社には論社2社があり資料は輻輳しているが、当社に関するものとして、
 ・五郡神社記(1446・室町初期)
  「東姫神社  帳に云う 東日女神社一座 久米郷今井村宮森に在り 忌部氏記録に曰く 東日女神社是即ち朝日豊明姫命也 大倭直感次以て稚日女尊の隠号也と謂う」
 ・神名帳考証(1733・度会延経、江戸中期)
  「大谷村畝傍山西也 東は夜麻止(ヤマト)と訓むべし 東漢文直(ヤマトノアヤノアタイ)と謂う 姓氏録に云う 谷宿禰、坂上大宿禰同祖」(伴信友著の神名帳考証-1813-も同じ)
がある。

 五社神社記にいう“東日女神社”とは、“神名帳に云う”とあることから当社を指すと解されるが、その鎮座地を“久米郡今井村宮森”というのは解せない。この地が、当社の北約1.5kmにある現橿原市今井町(近鉄・大和八木駅の南で、環濠集落として有名)を指すとすれば、鎮座地としては大きく異なっている。

 また、神名帳考証には“畝傍山西の大谷村”(現大谷町)とあるが、今は畝傍山の東南・畝傍町(畝傍という古地名は古資料に見えず、新しく付けられた地名らしい)にあり、畝傍山の西と東では大きく違ってくる。

 上記のように、ヤマトオオタニヒメが“ヤマトの大谷に坐す日女神”をいうのであれば、大和の大谷すなわち久米郷大谷村にあったとするのが自然で、畝傍山の西という記述とも整合する。

 また、日本の神社4(2000)には、
 「明治に入って、畝傍山上の神社は式内社の畝火山口坐神社と定められ、やや遅れて東の山麓の熊野権現社は東大谷日女神社とされた」
とあり、当社が式内社に指定されたのは明治20年頃という。
 当社に先行して式内社に指定された畝傍山山頂にある畝火山口坐神社の、旧社地とされる御旅所が畝傍山の西山麓にあったことから、当社を山の西に求めるわけにいかず、神名帳考証にいう畝傍山西との記述を無視して、畝傍山の東側にあった熊野権現社を以て式内・東大谷日女神社に比定したともとれ、当社を式内・東大谷日女神社とすることには疑問が残る。

 これらのことから、当社と畝傍山口坐神社の鎮座地は入れ替わったもので、今大谷町にある畝火山口坐神社の地が当社本来の鎮座地ではないかともいう(別稿・「畝火山口坐神社」参照)

※祭神
 今の祭神は“姫蹈鞴五十鈴姫命”(ヒメタタライスズヒメ)というが、明治の頃には神功皇后としていたという。

 ヒメタタライスズヒメとは、記紀神話にいう、三輪のオオモノヌシと三嶋溝咋の娘・セヤタタラヒメとの間の娘で(丹塗矢神話)、神武天皇の皇后という。
 当社に祀られるのは、姫が神武天皇の皇后ということ、近傍に神武畝傍御陵・橿原神宮があるなど、神武天皇との関係が深いことからだろうが、陵墓・神宮は明治に入っての皇国史観による造営で、根拠あってのものではない。
 これからみて、ヒメタタライスズヒメを東大谷日女神社に祀るのは、時流を承けた恣意的なものといわざるを得ない。
 なお、五郡神社記がいう忌部氏記録云々については、上記の通り。

※社殿
 鳥居を入り参道を進んだ先に長い石段があり、その上が境内。鳥居脇に「鎮守の宮 東大谷日女神社」との社標がある。
 境内正面、低い石垣上に拝殿(切妻造割拝殿・瓦葺)が、その奥に本殿域(正面:玉垣、三方:白壁)があるが、樹木繁茂のため拝殿の裏には入れない。

 本殿域の中央に本殿(春日造・銅板葺)が、その左右に末社2祠(左:豊受社、右:春日社)が鎮座する。

 橿原神宮参詣者は多いが、ここまで来る人はないようで(案内表示もない)、境内は閑散としている。
 なお、鳥居を入ってすぐ右手、簡単な覆屋の中に“庚申”と刻した立石が祀られている。嘗ての庚申信仰の痕跡であろう。


東大谷日女神社(橿原市)・鳥居
 
同・境内への石壇
同・拝殿

同・本殿域(拝殿より望む) 

同・本殿
 
同・末社・豊受社
 
庚申石

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