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妙見信仰/能勢妙見
大阪府豊能郡能勢町野間中
本尊−−北辰妙見菩薩

2007.10.08参詣

 “妙見さん”といえば、大阪府の北端・豊能郡豊能町から兵庫県川西市にまたがる妙見山に鎮座する『能勢妙見山』が著名である。
 日本三大妙見の一つといわれ、北辰妙見菩薩を本尊とする寺院で、日蓮宗の属する。正式には『無漏山真如寺境外仏堂能勢妙見山』と称し、縁起には『日蓮宗関西における随一の霊場』とある(「関西身延山」ともいうらしい)

 阪急電鉄・川口能勢口から別れる能勢電鉄の終点・妙見口から、ケーブル・リフトと乗り継いだ終点・妙見山(H=660m)から、杉林のなかを約15分ほど歩くと大鳥居前に出る。
 鳥居をくぐり参道を進むと各処に“南無妙法蓮華経”の石碑や神馬像が立ち、その間に開山・日乾上人像(昭和48年造)、開基・能勢頼次像(同年造)が見える。


境内案内図

能勢妙見・大鳥居

日乾上人像

※開山縁起
 能勢妙見山のはじまりは、当地の領主・能勢氏の氏寺である。
 能勢氏は清和源氏の流れをひく一族で(多田源氏ともいう)、3代・頼国のとき摂津国多田郷から能勢郷に移住して能勢氏を名乗ったという(11世紀前半頃)
 その後、室町末期から織豊時代にかけての当主23代・頼次が、それまでの縁から足利将軍家など敗者側に荷担したため織田信長・豊臣秀吉ら時の権力者に追われ、最後は備前岡山での逼塞を余儀なくされたている。
 その後、縁あって徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いでの戦功によって能勢の旧地を取り戻し(1600)、帰依していた日蓮宗身延山久遠寺の21世・日乾上人を招聘して建立したのが真如寺で、その時、日乾上人は、遠祖・満仲(912〜97、清和源氏の2代目)以来一族の守護神として崇拝していた鎮宅霊符神を法華経の守護神・北辰妙見菩薩へと変身させ、上人創案の尊像を刻んで奉祀したのが当山の主尊・妙見菩薩像である。

 能勢氏の氏寺であった当山が、“能勢の妙見さん”として広く一般に信仰されるようになったのは、真如寺15代・日通上人の頃、荒廃した堂宇修理のため京都中立の愛染堂で“ご開帳”し(明和3年1766)、一般の参詣を許した以来のことで、その際、今まで女人禁制だった当山を女人にも開いたこともあって一般に親しまれ発展したという。

※妙見菩薩像
 妙見菩薩像には定まった姿形はないらしい。
 管見した範囲では、両手に宝珠を持って竜頭に立つ菩薩像図(仁和寺・妙見曼荼羅)や亀の背に乗る菩薩像図(秩父神社)などがあるが、いずれも周囲に北斗七星をともなっており、妙見菩薩と北辰信仰との繋がりが描かれている。 

※能勢の妙見菩薩像
 上記の妙見像に対して、当山の妙見像は特異な姿をしている。一般に流布している能勢妙見の像は、中国風の甲冑をまとい、右手を受け太刀に構え、左手を金剛不動印に結んで岸上に座った姿で、菩薩というイメージからはほど遠い武神の姿である。

 縁起には、『これ(武神の姿)は諸々の邪悪・障碍を摧破し給う相』とあり、
密教経典(七仏所説神呪経)には、『北辰菩薩は国土を擁護し、作り成すしころ、はなはだ奇特であり“妙見”と名づく』と北辰(=鎮宅霊符神)と妙見とが一体であることを記し、
また、『(妙見は)菩薩の大将であり、敵を退け、国土を守る功徳を有する』とあるという。
 

 更に妙見菩薩と習合している鎮宅霊符についても、『北斗と日月を朱書した護符を身につけるだけで、白刃を恐れなくなり、先頭切って突進しても負傷することがない』(抱朴子)とあるという。
 これらの記述は、妙見の武神的な神格を示すもので、源氏の頭領としての満仲以来崇拝していた鎮宅霊符神(北辰)と一体化した妙見妙見像が武神形であるのは当然かもしれない(関東の千葉氏など妙見菩薩を守護仏とする武家はけっこう多い)

 ただ、この像は日乾上人の創案というから、満仲以来伝承されてきた鎮宅霊符神像がどのようなものだったかは不明。尊像ではなく、神名を記した掛け軸様のものだったかもしれない。
 いま当山では、開運隆昌・除災安泰・商売繁昌・病気平癒など世俗的な願いにご利益ありとうたい、そこに武神的色彩を窺うことはできない。

※山内堂宇

 頂上鞍部に建つ山門をくぐり、石段10段ほど下りた狭い平地に本堂を中心に数棟の仏殿・庫裡などが密集している。
 巷間に“能勢の妙見さん”として名高いわりにはこぢんまりとした構えである。
 主だった堂宇としては、本殿とそれに並ぶ祖師堂が主殿で、その向かいに経堂・絵馬堂・庫裡が、山門横に鐘楼が建つ程度。
 なお山門手前に“星嶺”という信者会館が建つ。壁面・2階の床面がガラス張りという変わった建物で、その平面形は寺紋・矢筈紋をかたどるという。


山門

山内風景

星嶺(信者会館)

本堂(開運堂)
   本尊−−北辰妙見菩薩
 本堂前の案内には、『慶長10年(1605)、能勢頼次公によって創建され、天明7年(1787)、頼直公が再建。明治28年(1895)に大改修して現在に至る』とある。
 また『内陣の宮殿には開運の守護神である北辰妙見大菩薩を祭る』とあるが、秘仏とされていて拝観不能。
 内陣正面の寺紋・“矢筈紋”が目立つ程度で、仏像などは見えない。


本堂
 
本堂内陣

祖師堂
 祖師堂は本堂右に並んでいる。案内には『明治29年(1896)の改修』とあるだけで、創建時期等は不明。
 祭壇中央に日蓮宗宗祖・日蓮上人像、左に開山・日乾上人像が安置されている。案内では、他に釈迦牟尼仏・諸菩薩像・諸明王像・諸天像があるというが、それらしきものは見えない。祭壇の奥にあるのかもしれない。


祖師堂
 
祖師堂・内陣

矢筈紋(ヤハズモン)
 当山の寺紋はちょっと替わっている。“矢筈紋”と呼ばれ、堂宇内陣・幟・神馬像など山中いたるところで見ることができる。
 矢筈とは、弓の矢の根元の羽根の部分を指す。
 その矢筈を抽象化して上下左右に配して十字形の紋章としてもので、当山開基・能勢頼次が自家の紋としたものという。
 当山の原姿が能勢氏の氏寺であったことを示す紋章である。


幟にみる矢筈紋
 
矢筈紋

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