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大阪市内に残る 熊野王子(跡)−ロゴ

 平成17年の世界遺産・『紀伊山地の霊場と参詣道』の登録以来、紀伊半島の熊野が脚光を浴び、多くの観光客が熊野三山、熊野古道を訪れている。一口に熊野古道というが、古くは、京・大坂から、奈良・大峰方面から、伊勢からの道など7つの道があった。それらの古道、特に京大阪からの道・紀伊路・中辺路を中心にした諸所彼処には、古来から『九十九王子』と呼ばれる王子社(小さな社・祠・石碑・叢林など)が祀られていた。
 平安から鎌倉・室町にかけての熊野詣の盛時には、京から船で木津川・淀川を下ってきた人々は、淀川尻の船着場・窪津
(クボツ、渡辺の津ともいう)に上陸し、すぐ南にあった『窪津王子』に参詣したのち、陸路南下していったが、その当時、今の大阪市内には、窪津・坂口・郡戸(コウト)・上野・阿倍野・津守王子の6ヶ所があったという。

熊野王子−八軒屋船着場石碑
船着場跡・石碑
【八軒家船着場跡】−−中央区天満橋京町
 平安時代の船着場・窪津は、江戸時代には「八軒屋」と呼ばれていた。
 この辺りは、上町台地の先端にひらかれた“難波津”にあたり、平安の昔から、京からの船便が着く船着場として繁昌していたという。“窪津”とは昔の国府津(コウヅ)が訛ったもので、“八軒家”とは、江戸時代に8軒の船宿や飛脚宿があったことからという。



 今、天満橋南詰を少し西へ、旧高島屋の道路をはさんだ南側にある老舗昆布処の店先に『八軒家船着場跡』の石碑が立ち、江戸時代の繁栄振りを刻した銅板画が掲げられている。
熊野王子−八軒家古図船着場繁昌の古図
熊野王子−坐座神社拝殿
坐摩神社行宮・拝殿
【窪津王子跡(坐摩神社行宮)】−−中央区石町2丁目
 いま窪津王子は、八軒家船着場跡が2ブロック西の南北道路沿いに、西を向いて建つ“坐摩(イカスリ)神社行宮”に合祀されている。
 古く、船着場の南に「坐摩神社」が鎮座し、その辺り(境内か?)に『窪津王子』があったという。後鳥羽上皇の熊野御幸(1201)に随行した藤原定家の記録“熊野御幸記”には、『申(午後4時頃)始めクボ津に着く。・・・御奉幣あり、御拝二度なり、云々』と記されている。上記船着場古図にも、左手上方に神社が小さく描かれている。これが窪津王子(又は坐摩社)であろう。
 
 坐摩神社の創建時期は不明だが、延喜式神名帳(927)に「西成郡坐摩神社」とある古社で、「神功皇后が新羅から帰還の折、この地に坐摩神(泉の神)を奉齋されたのが始まり」との伝承をもつ。そのとき皇后が休息されたという石が拝殿内に祀られ、当地の町名“石町”はこの石に由来するという。
 坐摩神社は、豊臣秀吉の大阪城築城に際して城域内にはいったため今の中央区久太郎町に遷され、その旧跡に建つのが「坐摩神社行宮」。
熊野王子−坐摩神社本殿
同・本殿
熊野王子−坂口王子跡石碑 【坂口王子跡(朝日神明社跡)】−−中央区神埼町付近
 神埼町にある“南大江公園”の南西隅に「朝日神明社跡」との石碑が立ち、この辺りが『坂口王子・伝承地』とされているが、詳細不明。

 朝日神明社とは、平安初期の天慶年間(938〜47)に平貞盛(清盛の6代前)が創建したといわれ、天照大神(アマテラスオオミカミ)と倭比売命(ヤマトヒメノミコト)を祀る神社で、明治40年までは当地にあったが、今は此花区春日出中1丁目に遷っている。

 なお、南大江公園東側の御祓道(松屋町筋の2本東)には『熊野古道』との石碑が立っている(平成13年建立)
熊野王子−朝日神明社古図
朝日神明社・古図
                  【郡戸王子跡】−−中央区高津辺りというがはっきりしない。
熊野王子−上之宮跡石碑
上之宮跡・石碑
【上野王子跡】−−天王寺区上之宮町付近
 上宮高校の少し東にあるマンションの玄関前に『上宮之跡』との自然石の石碑と、『上之宮・・・』との石柱がある。これが上野王子跡というが、他に資料なく詳細不明。
 石柱には「上之宮・是より〔 〕壱丁東」とある。肝心の〔 〕部が欠けていてはっきりしないが、上之宮=上野宮=上野王子とすれば、王子社は当地の東100m辺りにあったのかもしれない。
 一説では、天王寺区夕陽丘の「大江神社」に合祀されているというが、今の祭神はトヨウケ大神・スサノヲ尊他3柱で、熊野との関係は不明。また境内にそれらしい社祠もなく、合祀云々は疑問。
熊野王子−阿倍野王子神社本殿
阿倍野王子神社・拝殿
【阿倍野王子(阿倍野王子神社)】−−阿倍野区阿倍野元町
 天王寺から南下する“あべの筋”西側にある「阿倍野王子神社」が、かつての『阿倍野王子』という。
 大阪市内に残る唯一の王子社で、由緒によれば、「仁徳天皇の御代に創建されたとも、古代阿倍野の豪族・安倍氏の氏神社ともいわれ、平安初期には鎮座していたと思われる。その後、安倍氏の移住などにより衰微したが、熊野信仰が盛んになるにつれ、当社が熊野街道の途中に位置していたことから王子社となった」とある。
 祭神はスサノヲ尊・イザナギ尊・イザナミ尊・ホムタワケ尊(八幡神=応神天皇、後世の合祀)。ホムタワケを除く3神は熊野に祀られている神々。なお、安倍氏時代の祭神は不明。

 神社西側の道に向いて立つ大鳥居の真下に『阿倍野王子』、向かって左に『熊野街道』との石碑があり、この道がかつての熊野街道だったらしい。
熊野王子−阿倍野王子神社大鳥居
同・西側大鳥居
熊野王子−津守廃寺跡石碑
津守廃寺跡・石碑
【津守王子跡】
 津守王子跡としては2ヶ所が考えられる。

※津守廃寺跡−−住吉区墨江4丁目付近
 一般には、『津守王子』は墨江小学校付近にあったとされ、小学校正門横の植え込みに立つ「津守廃寺跡」の石碑が王子跡を示すというが、石碑の説明には津守王子についての言及はなく、真偽不明。
 津守廃寺は資料がなく詳細不明だが、昭和15年の道路拡張工事と区画整理の際の発掘調査で、白鳳期の瓦などが出土したことから、この辺りに古代豪族・津守氏にからむ寺院があったと推定され、津守廃寺と名づけられた。明治初年頃まで、その後身といわれる“津守寺”(901創建)が当小学校の地にあったことから、当地が津守廃寺跡とされている。

※住吉大社末社・新宮社−−住吉区住吉2丁目付近
 住吉大社の本殿東に末社数祠が並び、その端に『新宮社』(王子社との立て札あり)との小祠があり、説明には「熊野新宮に本社あり、熊野王子の一社と伝う」とある。祭神はイザナギ尊・コトサカノオ命・ハヤタマ命で、いずれも熊野に祀られている神々である。
 本来の住吉大神は海の神・航海の神だが、平安時代には何故か和歌の神として朝野の信仰を受け、熊野詣の上皇方は、ここに参詣して和歌を奉るのを恒例としていたという。
 そんなことから、津守王子は当社内あるいはこの付近にあったのかもしれない。
熊野王子−住吉大社・王子社
新宮社(王子社)

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