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摂津(住吉郡)の式内社/船玉神社
付記--五所御前
大阪市住吉区住吉2丁目(住吉大社境内)
祭神--天鳥船命・猿田彦命
                                                                 2009.5.14参詣

 延喜式神名帳に 『摂津国住吉郡  船玉神社』とある式内社で、今は大社の境内摂社として、大社本宮4殿を囲む瑞垣の右手神館前に西面して鎮座する。

 元々は第四本宮(祭神:神功皇后)の真向かいに位置していたが、瑞垣内の拡張工事によって昭和45年(1970)に右手の現在地に移築されている。
 摂津名所図会(1798、江戸中期)・住吉大社の図にも、第四本宮の正面(西)木柵の外に“船玉社”があり、古くから住吉大社境内に鎮座していた神社である。

※祭神
 天鳥船命(アメノトリフネ)とは、イザナギ・イザナミ双神の神生みによって生まれた神で、鳥之石楠船神(トリノイワクスフネ・記紀)・天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ・紀)ともいう。双神が最初に産まれた足萎えの御子・蛭子はこの船に乗せられて流され(紀)、国譲りではタケミカヅチの副使として葦原中国に派遣されている(記)。その名は、高天原と葦原中国との間を、鳥のような速さで往来する神の乗り物を意味する。

 猿田彦命(サルタヒコ)は、天孫降臨に際して顕れ天孫ニニギを案内したことから“道案内の神”とされるが、境界にあって悪神・邪霊の侵入を遮る“塞の神”(サイノカミ・岐の神-フナトノカミともいう)でもあり、道路往来の守護神として“道祖神”ともされる。ここでは、航路往来の守護神として祀られているのだろう。

 社名の“船玉”とは“船の守護神”である“船霊さま”を指す。船霊(フナタマ)とは、古くから船乗りの間で広く信仰されている神で、航海の安全や豊漁などを司るという。その点、住吉大神と似ているが、国家的祭祀に係わらない素朴な俗神である。
 通常は女神とみなされるが、そのご神体を、和船の中央帆柱の根元にある小さな空洞・筒(ツツ)に納めることから、同じツツを冠する住吉大神(ツツノオ)ともされ、また航海安全の守護神ということから猿田彦と同体ともいわれる。
 筒に納められるご神体は、通常は女性の髪の毛・男女一対の人形・銭(今は白銅貨)12文・賽子2個を納めたというが、化粧具・櫛や鏡などを加えることもあるという。

 当社祭神について、住吉大社神代記(天平3年731、異論あり)・子神(末社)の条に、
 「船玉神  今謂う。齋祀るは紀国の紀氏の神なり。志麻神(シマ)・静火神(シヅヒ)・伊達神(イタテ)の本社なり」
とあり、また志麻・静火・伊達の3社に関して、同書・船木等本記条には
 「(神功皇后が新羅出征の時)船木氏の遠祖・大田田命が、自分が領有する山の樹を伐って船三艘を造り奉った。皇后は、この船に乗って新羅に遠征し、凱旋したのち、その船を武内宿禰に命じて祀らせたのが、志摩社・静火社・伊達社と此の三前の神」(大意)
とある。
 当社の祭神は、紀伊国の古来からの名門氏族・紀氏が祀る神で、それは新羅遠征時に功のあった三前の神(船霊)である、ということだが、この三前の神とは、いずれも和歌山市内に祀られている式内社(名神大)で、
 ・志摩神--紀ノ川河口の小島嶼からなる紀水門の神として出航の安全を祈った神--現志摩神社(和歌山市中之島)・祭神:中津島姫命(別名:イチキシマヒメ)
 ・静火神--造船に関与した神と推察される神--現静火神社(和歌山市和田・竈山神社境外摂社)・祭神:火結神(ホムスビ)
 ・伊達神--スサノヲの御子・イタケル命と同神とされ、造船の必要な木材を供給する神--現伊太祁曽神社(和歌山市伊太祁曽)・祭神:イタケル命、
であって、造船の初めから出航に至るまでの過程に関与する神と推察されているが、
 「これらの神を奉斎する在地勢力を統率した紀直が、武内宿禰麾下の水軍として編成し、神功皇后の新羅出征に従ったのであろう」(式内社調査報告1977、一部追記)
という。ただ、今の祭神、志麻社:イチキシマヒメ・静火社:ホムスビ・伊達社:イタケルには船霊的面影はみえない。

 これに対して、古くから、当社祭神を住吉大神の荒御魂(アラミタマ)とする説がある。
 日本書紀・神功皇后段に、新羅遠征に際して、住吉大神が
 「吾が和魂(ニギミタマ)は王の身を守り、荒魂(アラミタマ)は先鋒として軍船を導く」
といわれた、との一文がある。この先鋒として軍船を導いた住吉大神のアラミタマが船玉社の祭神という説で、それは大田田命が奉った3艘の船の船霊を祀ったことにも通じ、大社刊の書(住吉大社1977)にも
 「神功皇后の西征に従った紀国造の祖以下紀北在地勢力が、神功皇后を通じて住吉大神に仕える姿を示し、住吉大神の顕現を仰いだところで、住吉大神の荒御魂とするのが正しい」
としている。

 住吉大社に紀氏関係の神を祀るのは、紀氏と津守氏とが同じ海人族として古くから交流があり、神功皇后伝承にも、上記大田田命伝承の他に、
 「皇后は、忍熊王との戦いの前にして紀伊国に渡られ太子・ホムタワケと逢われた。その時、まわりが“昼の暗きこと夜のごとく”なり“常夜行く”状態になった。皇后は紀国の紀氏の祖・豊耳に問い、老父の言によって祭祀をおこなったところ、日の光が輝いた」
と紀伊国および紀氏との関係を記している。この話は、太陽の死と復活つまり日の御子の誕生説話であり、その太陽(日の御子)再生の祭祀をおこなったのが紀氏だという。
 因みに、津守氏の祖・タモミスクネの母方は紀直であり、神功皇后を補佐したタケウチスクネの母方もまた紀直の娘・影姫という。また大田田命の後裔とされる船木氏も紀氏系の氏族で、津守氏とともに大禰宜・大祝として住吉大社に奉祀してきたという。 

◎五所御前
 上記のように船玉神社は神功皇后と関係が深く、以前は、その社殿も皇后を祀る第四本宮の前にあった。この船玉神社と第四本宮を結ぶ軸線を東に延ばした処に『五所御前』(「高天原」ともいう)との聖所があり、その軸線は第一本宮から第三本宮を結ぶ軸線に平行している。

 五所御前は第一本宮の外側、南の瑞垣に接して位置し、玉垣に囲まれて杉の樹が立ち、東西両側に小さな鳥居が立っている。
 伝承によれば、
 「神功皇后が、住吉大神を祀ろうと見通したところ、鷺が三羽きて止まったので、ここが大神の思し召しにかなうところとして、ここにはじめて奉祀した」
という。住吉大神顕現の聖所ということで、杉の樹は神が降臨する神木・御降礼木(ミアレキ)で、それは“心の御柱”であり船霊が降臨する帆柱にも通じる。
 また、この東西の軸線は、西面する船玉神社からみて旧暦正月(立春の頃)の日の出の方角を指し、東の位置にある五所御前のミアレ木に降臨した神は、日女(ヒルメ)でもある神功皇后を中継ぎとして、住吉大神の荒御魂とされる船玉神として再生する、ともいう(日本の神々、2000)

住吉大社/聖所・五所御前
聖所・五所御前
五所御前・東拝所
同・東側拝所
住吉大社/社殿配置
社殿配置図
①船玉社
  現在地
②同・旧位置
③第四本宮
④五所御前

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