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五 条 宮
大阪市天王寺区真法院町24-9
祭神--敏達天皇・少名彦命
                                                  2020.06.16参詣

 大阪メトロ谷町線・四天王寺夕陽丘駅の東約430m、駅南出入口からすぐの辻を東へ行った北側に鎮座する。

※由緒
 社頭に立つ「御祭神 敏達天皇」との石版には、
 「当宮は橘氏の祖神を祀る全国唯一の神社として、亦鬼門除の神・火難除の神としても遠近の信仰厚い。
  この地支那の唐制による我邦最古の都・難波京の五条筋にあたり、祭神皇太子の時代の御住居跡とも伝えられ、古今を通じて大阪の中心にある当地に御鎮座、広く崇敬者が多い」
とあるが、創建由緒・時期についての記載はない。

 またWikipediaには
 「橘氏の祖神を祀る全国唯一の神社。
 四天王寺建立の折、医療病院の鎮守として医道の祖神五条大神・少名彦命を祀る。
 後、敏達天皇と改められ、東成郡五条村の鎮守となり、鬼門・火災除けの神としても信仰された。
 敏達天皇が皇太子のときに居住した邸跡という」
とある。

 なお、摂津名所図会大成(1855)には、敏達天皇社として
 「神子町の東にあり、俗に五条宮といふ。天王寺領内七社の一也」
とある。


 当社祭神・第30代敏達天皇(在位:572--85)は橘氏の祖神という。
 橘氏とは、天平9年(737)、朝廷の中枢にあった藤原4兄弟が疫病により亡くなった後、一族の橘諸兄(タチバナノモロエ、橘宿禰氏初代)が左大臣(在任:739--57)として政権をとりしきった氏族で、
 敏達天皇を祖神とする所以について、資料をまとめると
 ・敏達天皇の曾孫・美怒王(ミノ・?--708)が、県犬養三千代(665?--733、神魂命の後裔・県犬養氏の出)を娶って葛城王(後の橘諸兄・684--757)を生む
 ・犬養三千代が美怒王と離別し藤原不比等と再婚、光明子(701--60)を生み、光明子は天平2年(730)聖武天皇の皇后となる(光明皇后、民間出身の最初の皇后)
 ・犬養三千代は天武から元明までの3代の天皇に内命婦として仕え、和銅元年(708)、元明天皇から橘宿禰の姓を賜る(橘氏の実質的な祖)
 ・天平8年(736)、葛城王が母・三千代の姓を継いで橘宿禰を名乗ることを許され(続日本紀・天平8年11月条)、以降橘宿禰諸兄を名乗る
となり、ここから敏達天皇は橘氏の祖神とされる。


 Wikipediaによれば、当社本来の祭神は少名彦命であって、敏達天皇は後世の合祀によるという。
 当社本来の祭神・少名彦命は、四天王寺建立時に医療病院の鎮守として祀られたとあるが、四天王寺縁起(1300)によれば、この医療施設とは、聖徳太子が四天王寺建立の際に寺内に造ったとされる四箇院(施薬院・悲田院・敬田院・療病院)の一つで、薬草を栽培し、怪我や病気で苦しむ人を救う『施薬院』(薬草園)及び『療病院』(病院)を指すと思われるが、書紀等に記載なく伝承的色彩が強い。
 なお、四天王寺の西方・谷町筋の西にある勝鬘院愛染堂の由緒には、
 「施薬院は、四天王寺の北西の角(現在の愛染堂の場所)に建立されたものです」
とある。

 ただ、続日本紀・天平2年(730)条に「初めて皇后宮職に施薬院を設けた」とあり、光明皇后(聖武天皇皇后)の発願により奈良薬師寺内に施薬院・悲田院が造られ、病人や孤児の保護・治療・施薬をおこなったというが、その後制度として続いたが平安時代末には形骸化したという。

 当社鎮座地が四天王寺北東角近くにあることから天王寺七宮に数えられてもおかしくはないが、何故か加わっていない。


※祭神
*敏達天皇(ビタツ)
  第30代天皇(在位:572--85)で、第29代欽明天皇の第2子。尊称を「淳中倉太珠敷天皇」(ヌナクラノフトタマシキ スメラミコト)と称す。皇后の豊御食炊屋姫(トヨミケカシキヤヒメ)は後の推古天皇(第33代)

 治世中、欽明朝にもたらされた仏教の受容について崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋との論争が激化したが、敏達13・14年条には、
 ・蘇我馬子が2躰の弥勒像を請い受け寺を建ててこれを祀ったところ、馬子が病気になり国中に疫病が起こった
 ・物部守屋と中臣勝海が、これは蘇我氏が仏法を弘めたことに対する神々の怒りだと奏上し
 ・これを承けて天皇は、勅して仏法流布を禁止し、馬子が建てた寺と仏像を焼き、残りを難波潟に棄てさせた
とあり、天皇はどちらかといえば排仏派に近かったのではないかといわれている。

 また天皇は、欽明天皇の遺言である任那復興を目指して百済・新羅と交渉したが、ほとんど進展はなかったという。

 その天皇が当社に祀られのは、皇太子時代の邸が当地にあったからというが、それを示唆する資料は見当たらない。

*少名彦命
 大国主神が出雲の美保前におられたとき、波の穂を照らして寄り来た小さな神で、神産巣日神の御子。
 大国主ととも此の国を造り固めめたのち、粟の穂に弾かれて常世国にわたったという(古事記・大意)
 酒の神・医療を司る神とされることから、四天王寺に設けられた医療施設の守護神とされるのであろう。

※社殿等
 四天王寺東側の道路を北へ、その突き当たり(T字路交差点)に聳える巨木の下に鎮座する。
 低い石垣と玉垣に囲まれた南側正面に鳥居が立ち境内に入る。


五条宮前の巨木 
 
五条宮・全景
 
同・正面鳥居

 境内正面に唐破風向拝を有する入母屋造・銅板葺きの本殿が建つ。

 
同・拝殿
 
同・拝殿(側面) 

 拝殿背後に、流造・銅板葺きの本殿が南面して鎮座するが、境内からは見えず、一旦外に出て、東側道路から塀越しに見ることになる。

 
同・本殿(側面)
 
同・本殿(北東より) 

◎境内社
 境内東側に境内社3棟が西面して鎮座する。
 拝殿側から
*三社合祀殿
  祭神--八王子大明神・福永大明神・乗光大明神
*七社合祀殿
  左から、猿田彦神社(交通安全の神) 市杵島姫神社(財福芸能の神) 天満宮(学問成就の神) 天照皇大神宮
       八幡大神宮(武運厄除けの神) 味遅耜高彦根神社(開拓開運の神) 宇賀御魂神社(幸福守護の神)
  いずれも勧請由緒等は不明。
*不明社--社名・祭神名記載なく如何なる神社か不明。


三社合祀殿 
 
七社合祀殿

不明社 

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