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今宮戎神社
大阪市浪速区恵美須西1-6-10
相祭神--天照坐皇大御神・事代主尊・素盞鳴命・月読尊・稚日女命
                                                           2019.05.13参詣

 南海電鉄高野線・今宮戎駅のすぐ東に接するように鎮座する(地下鉄堺筋線・恵比寿町駅の西約300m)
 すぐ近くに、通天閣・ジャンジャン横町といった繁華街・庶民の遊び場が広がっている。

※由緒
 頂いた参詣の栞には
 「当社の創建は、皇紀1260年(西暦600年)即ち推古天皇8年に、聖徳太子が四天王寺建立に当たり、同地西方の守護神として鎮祭されたと伝えられています。
 江戸時代に入ると、十日戎のお祭りが始まり、元禄時代には今日と同じような祭礼となり、当時の記録・地誌等に盛大な様子を伝えています。
 鯛に釣竿をもつエビス様は、そのお姿からも判るように、もとは漁業を司る神でしたが、四天王寺西門に浜の市が立ち、市の守り神として奉斎され、やがて貨幣経済の発展とともに商売繁盛・福徳円満をくまなく授けて下さる神さまとなりました」
と簡単に記すが、

 当社公式HPには
 「今宮戎神社の創建は、推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立されたとき(推古元年・593)、同地西方の鎮護としてお祀りされたのが始まりと伝えられています。
 戎さまは、左脇に鯛を右手に釣竿をもっておられます。そのお姿は、もともと漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神を象徴しています。
 当社の鎮座地もかつては海岸沿いにあり、平安中期より朝役として、一時中断があるものの宮中に鮮魚を献進していました。また、このような海辺で物資の集まりやすい土地では、海の産物と里の産物・野の産物とが物々交換される、いわゆる『市』が祀られるようになりますが、当社でも四天王寺の西門に『浜の市』が開かれるようになり(平安時代後期頃という)、その市の守り神としても当社の戎さまが祀られるようになりました。
 時代が経るに従い、市場の隆盛は商業を発展させますので、いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても篤く信仰されるようになりました。
 江戸期になると、大阪は商業の町として繁栄を遂げ、それと期を一にして、今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、さらに元禄期(17世紀末)になりますと十日戎の祭礼を彩る宝恵籠(ホエカゴ)の奉納も行われるようになり、今日と同じような祭礼となりました」
と、やや詳しく記している。

 参詣の栞・HP共に、当社の創建を推古期(592--628)というが、これは当社の前身と四天王寺西門に開かれた“浜の市”との関係から、その創建を四天王寺建立に関係づけたもので後世に作られた由緒に過ぎない。

 当社は、今は海から遠く離れた市街地の中に鎮座するが、大古の大阪は、その中央を南北に連なる上町台地のすぐ西まで海だったといわれ、江戸末期の錦絵(浪花大湊一覧・1863)でも“今宮十日えびす”と記された当社のすぐ近くまで海が迫っている。

 当地が海浜に近かったことから、その辺りに魚介物などと農産物との物々交換の場としての市場が開かれ、その守護神として漁業の神としてのエビ神を祀ったのが当社の始まりで、
 その後、平安後期頃に四天王寺西門の辺りに「浜の市」が開かれ、その守護神としてエビス神が勧請され、
 大阪の町の発展と貨幣経済の発達にともなって、取扱品目も魚介物以外の多品目へと広がって賑わいをみせ、それと共にエビス神の御神徳も多方面に広がり、商売繁盛をもたらしてくれる大阪屈指の神社へと発展したと思われる。

浪花大湊一覧(部分)
中央右に「今宮十日えびす」(2行書き)とある


※祭神
 今の祭神は、天照坐皇大御神(アマテラシマス スメオオミカミ)以下5座となっているが、実質的な主祭神は事代主命(コトシロヌシ)であって、それをエビス神として祀ったとみるのが順当であろう。

 事代主神とは、古事記によれば、大国主神が神屋楯比売命(カムヤタテヒメ)を娶って生んだ御子神で(書紀に出自はみえない)
 古事記・国譲りの段に、
 ・建御雷神(武甕槌命・タケミカツチ)と天鳥船神が(書紀では武甕槌神・経津主神)、天照大神・高木神の使者として出雲国伊耶佐の小浜(出雲市大社町・稲佐浜)に降って、大国主命に葦原中国を天孫に譲ることを強要したとき
 ・大国主神は「吾は答えられない。わが子・八重事代主神(ヤエコトシロヌシ)が答えるでしょう。しかし今、美保の崎に魚取りに出かけています」と答えた
 ・そこで天鳥船神を遣わして事代主神を呼びよせて意向を尋ねたところ、大国主に向かって「畏まりました。この国は天つ神の御子に奉りましょう」と告げ、己は乗ってきた船を踏み傾け、天の逆手(呪術としての拍手)を打って船を青柴垣(神霊の宿る神籬)と成して、その中に隠ってしまわれた

 書紀には
 ・その時、事代主神は出雲の美保の崎にいって釣りを楽しんでいたので
 ・使いとして稲背脛(イナセハギ)を遣わして、事代主の意向を尋ねると
 ・「父上は天神の仰せに抵抗されぬのがいいでしょう。吾も仰せに逆らうことはしません」と答えて、波の上に幾重もの青芝垣をつくり、船の側板を踏んで海中に退去してしまわれた
と、記紀ともに、父・大国主命に天ッ神に国を譲ることを勧めた神で、そのとき出雲美保の崎に釣りに出かけていたという。

 その事代主命をエビス神とするのは、
 ・事代主命が美保の崎で釣りをしていたということから、海神とくに漁業に関係する神とされたこと
 ・エビス神も、今は商売繁盛をもたらす福神として信仰されているが、本来は、海の彼方から幸をもたらす海の神・漁業の神であって
 ・両神がもつ海の神・漁業の神と神格からエビス神を事代主命としたものだろうが、
 ・本来の事代主命は、神の意思を伝える託宣の神であって、エビス神との接点はない。

 天照坐皇大御神以下の4神が当社に祀られる由縁は不明だが(素盞鳴命が事代主命の祖先であることから、明治になって賢しら人が記紀神話の三貴神を持ちこんだのかもしれない)、庶民にとっては、当社は商売繁盛の神・エベッサンが祀る神社ということだけで充分であって、他の祭神については関心はないだろう。

 なおエビス神としては、事代主命の他に兵庫県西宮市の西宮神社が主祭神とする“ヒルコ神”(蛭児・蛭子)がある。
 ヒルコ神とは、記紀によれば、イザナギ・イザナミの第一子だが、3年経っても足が立たなかったことから葦の船に乗せて海に流したといわれ、西宮神社に伝わる伝説では、その昔、大阪湾の和田岬の沖から出現し、ご神託により西宮の地に祀ったという(ヒルコ系戎社の総本社という)

 このように、阪神間では東と西にエビス神が祀られているが祭神は異なっており、当社が何故ヒルコ神ではなく事代主命をエビス神として祀ったのかは不明。社運隆盛なる西宮神社の向こうを張って事代主命としたのかもしれないが、はっきりしない(大阪市内には、堀川戎神社などヒルコ神を祀る戎社が数社ある)
 なお、島根県美保関の美保神社は、事代主系戎社の総本社と称しているが、当社と美保神社との関係はみえない。


※社殿等
 南側道路(幹線道路の一本北の道路)脇に鳥居が入って境内に入る(東側にも小さい門がある)
 境内のほぼ真ん中に〆鳥居が立ち、その奥に唐破風向拝を有する入母屋造の拝殿が、その奥の瑞垣内に三間社流造の本殿が鎮座するが、瑞籬・樹木に阻まれて全景は見えない。

 訪れたのは連休明けの平日だったが、境内は十日戎の賑わいが嘘のように静まりかえっていた(1時間ほどの間に参詣人3・4人ほど)

 
今宮戎神社・境内図
 
同・鳥居
 
同・〆鳥居
 
同・拝殿
 
同・拝殿側面

同・本殿 

 本殿の裏に回ると、本殿真後ろの瑞籬に注連縄を張った拝所があり、中に大きな木の板が架かっている。
 この板が何のためのものかは不祥だが、俗信では、エベッサンは耳が遠いので、人々は正面で参拝した後、裏に回って瑞籬やそこに吊した鉦(十日戎の時のみらしい)を叩きながら、「お参りしてまっせ 聞こえまっか」と叫んで、念を押す人もあるというから(神社紀行50・2003)、鉦のない普通の日には、鉦のかわりにこの板を叩くのかもしれない。

 
本殿裏手の瑞籬
 
拝 所

木 板

 境内北東隅に「乙姫稲荷社」との小祠が鎮座する。
 この乙姫さまは諸芸発達の神といわれ、それは、近松門左衛門が今宮戎の森を舞台とした浄瑠璃“今宮心中”を書いて以来、作風が飛躍的に充実したことに由来するという(神社紀行50)

 境内右側(東側)に横に長い社殿が建ち、扁額には「大黒社」とある。
 社名からみて、エビス神と対となって“エビス・ダイコク”と呼ばれる大黒さん即ち大国主命を祀る社と思われるが、案内等はなく鎮座由緒等詳細は不明。

 
乙姫稲荷社
 
大黒社

◎十日戎
 大阪でエベッサンといえば当社の祭礼・十日戎が有名で、1月9・10・11日の3ヶ日で、毎年100万人を越す参詣人が押しかけるという。

 十日戎について、参詣の栞には
 ・豊臣時代の頃から、庶民のエビス信仰はより厚くなった
 ・この頃から市街の発達とともに大阪町民の活躍が始まり、江戸期になると商業の町として一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商売繁盛を守る神様として篤く崇敬されるようになった
 ・十日戎の行事も、この頃から賑わいをみせ、江戸前期の地誌・葦分舟(1675)にも十日戎の盛況のありさまが描かれている
 ・昭和20年の戦災で神社はことごとく焼失したが昭和31年には復興し、あわせて十日戎も活況を呈するようになり、現在では年の最初のお祭りとして3日間で約100万人を越える参詣者がある
とある(大意)

 十日戎では、大勢の参詣人が“商売繁盛 笹もてこい”と唱和するなか、人々は争うように“吉兆”(キッチョウ)を吊した“福笹”を買い求めるのが恒例となっており、またその福笹を人々に授ける福娘(巫女さん)も大人気で、毎年多くの応募者があるという。

 吉兆とは、銭袋・末広(扇子)・小判(金貨)・丁銀(銀貨)・米俵・小槌(打出の小槌)・鯛といったミニチュアの縁起物で、人々は好みと懐具合(けっこう高価らしい)にあわせてその幾つかを買い求めて福笹に吊し、その年の來徳を念じながら家路につくといった、商売人の町・大阪ならではの風物詩となっている。
 

福笹授与の場(資料転写) 

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