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久 保 神 社
大阪市天王寺区勝山2-189
祭神--天照皇大神・速素盞鳴尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊・宇賀御魂神
                                              2020.06.16参詣

 四天王寺東門の南東約250m、市街地のなか寺田町公園の北隣に鎮座する。
 目印となるものなく、地図必要。

※由緒
 社頭に掲げる御由緒には
 「当社は、天照皇大神を祀る旧久保村の産土神なり。
 往昔、四天王寺建立の際(伝593)、其の守護鎮守の神として創建せられ、四天王寺七宮の一つとして、また境内には願成就宮として聖徳太子の深く信仰あらせ給い、御願の成就を遂げ給うにより願成就宮と称え、今に庶人の信仰絶えず霊験あらたなりと言われる。

 又、当社は浪速神楽の家元である。
 明治5年(1872)村社に列し、同40年(1907)10月14日東成区生野村大字国分字東の村社・稲生神社、生野国分町字西の熊野大神宮を合祀し、同43年(1910)11月17日、神饌幣帛供進社に指定せらる。

 境内は897坪にして、本殿・弊殿・神庫・社務所を存していたが、昭和20年(1945)3月13日の戦災のため焼失。
 現在の社殿は、昭和27年(1962)再建したものである」
とある。

 大阪府全志(1922)には
 「久保神社は同町同字にあり、天照皇大神を祀る。もと天王寺七社の一にして、旧久保村の産土神なり。
 明治5年村社に列し、同40年10月、東成郡生野村大字国分字東の村社稲生神社(宇賀御魂神)・生野国分町字西の同熊野大神宮(伊邪那岐尊・伊邪那美尊・須佐之男命)を合祀す。末社に稲荷神社あり」
とある。


 当社は、四天王寺の守護鎮守として創建された四天王寺七宮の一社というが、6世紀初頭での神マツリが如何なる形だったかは不祥で、当社創建を聖徳太子に仮託した伝承か、ともおもわれる。

 中段にいう浪速神楽とは、民間の神社等で奉納される里神楽(宮中の伝わる御神楽に対する呼称で、石見神楽・伊勢神楽など幾つかの流れがある)のうち、関西地方の神社等で奉納されるもので、江戸時代から当社社家・守山家に伝わるというが、詳細は不詳。

※祭神
  主祭神--天照皇大神
  相殿神--速素盞男尊(ハヤスサノオ)・伊邪那岐尊(イザナギ)・伊邪那美尊(イザナミ)・宇賀御霊神(ウカノミタマ)

*天照皇大神
 伊勢神宮(内宮)の祭神で皇室の遠祖。
 古代の伊勢神宮では“私幣禁断”といって天皇以外からの奉幣を禁止していたが、中世以降、次第に崩れて一般にも祀られるようになったというから、当社が天照皇大神を祀ったのは中世以降のことかと思われる。
 とすれば、それ以前の祭神は?となるが、その祭神は不明。

*速素盞鳴尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊
 案内に、明治40年に合祀したという生野国分町字西の熊野大神宮の祭神で、嘗ては3座合わせて熊野大神と呼ばれていた。
 なお、熊野三山においては、
  素盞鳴尊--熊野本宮大社の主祭神
  伊邪那岐尊--熊野速玉大社の主祭神
  伊邪那美尊--熊野那智神社の主祭神
 が祀られている。

 熊野大神宮について、大阪府全志(1922)には
 「熊野大神宮の址
  (久保神社の)境外乾位に聖武天皇塔と称するものあり。元禄3年(1690)光嚴和尚の当寺草創の恩を慕ひて之を建て、以て其の冥福を祈りしものなりといふ。
 寺脇に熊野大神宮の址あり。社は熊野王子記に見ゆる所にして、摂津志に上野王子社と記せるは之を指せるなり。
 然るに社は明治40年10月久保神社に合祀せられて今はなく、址には同43年8月1日碑を建てて之を表せり」
とある。

 熊野大神宮の旧地について、上記案内には“生野国分町”、全志には“久保神社の乾位”とあるが、其処が何処なのかは不明。
 また、上野王子址について、摂津志には「天王寺東北に在り」とあって、今、当社北方の上之宮町に跡地を示す石碑があり、全志がいう当社乾位(西北)とは方角が異なる。

*宇賀御霊神(倉稲魂とも記す)
 案内に、明治40年に合祀したという生野村大字国分の稲生神社の祭神で、嘗ては稲荷大神と呼ばれていたという。
 ウカノミタマの出自について、古事記にはスサノオと神大市比売(カミオオイチヒメ、大山祇神の娘)の御子、書紀ではイザナギとイザナミが飢えて気力がないときに生まれた神(5段・一書6)とある。
 両書共に事蹟の記述はないが、穀物・食物の神、特に稲霊の神という(ウカ・ウケ・ケ--食物を意味する古語)


※社殿等
 当社は南北道路の南東角に位置し、南側道路に面して鳥居が立ち、西側道路にも鳥居が立つ。

 
久保神社・社頭(南西方より)
(右の南側が正面)

同・鳥居(正面)
 
 
同・鳥居(西側)

 南鳥居を入った 正面に入母屋造・瓦葺きの拝殿が南面して建ち、その奥に本殿が南面して鎮座する。
 ただ、拝殿後ろへは入れず、左側の建物越しに屋根の一部が見えるだけ。

 
同・拝殿
 
同・本殿

◎境内社
 社殿左に境内社が、右(社殿側)より白玉稲荷・方除・白龍・大岩小岩・願成就と並ぶ。
*白玉稲荷大明神
  朱塗りの鳥居・社殿をもつ小祠だが、由緒等は不明。


末社・白玉稲荷大明神
   
同・社殿

*方除神社・白龍神社
  やや小型の鳥居の奥、簡単な覆屋の中に一間社流造・銅板葺きの小祠2社が並ぶ。右:方除神社・左白龍神社
 鳥居前の案内には、
 ・方除神社、
  「方災除けの神として知られていますが、新築・転宅などを司るということで信仰されている」
とある。
 方災除けとは、陰陽道で八方に居るとされる方位神の禍を防ぐために祀る神で、知らずして時期・方位等を犯す前に、この神に参ることで、そこから発生する禍が防げるという俗信をいう。

 ・白龍神社について
  「女人の守護神として崇められ、子宝にも恵まれ、商売繁栄など心願成就の霊験あらたかなことで知られています」
とある。
 白龍と称することから祀られる神は龍神(水神)だろうが、龍神が如何なる由縁で女人守護に結びつくのかは不明。

 
末社・鳥居
 
末社 左:白龍神社 右:方除神社

*大岩小岩大明神
 古代の磐座信仰に連なる祭所で、基壇の上に二つの岩が並置されている。
 側らの案内には、
 「最も古い自然信仰の姿を今に残し、岩そのものを御神体とした頭脳の神様をお祀りしている神座です。
  近年では、頭に持病をある方、又学生諸君に至るまで、広く信仰を集めている神です」
とある。

*願成就宮
 朱塗りの鳥居と社殿を有する小祠で、側らの案内には
 「聖徳太子の深く信仰あらせられ給い、御願の成就を遂げ給うにより願成就宮と称し、今に庶民の信仰絶えず霊験あらたかと伝えられている」
とある。
 聖徳太子が四天王寺建立という願いを成就したことから祀られた宮であろう。


願成就神社・鳥居 

同・社殿 
 
大岩小岩大明神

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