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長柄八幡宮
大阪市北区長柄中 3-3-1
主祭神--八幡大神
相殿神--大己貴大神・少彦名大神・住吉大神
                                                      2020.10.27参詣

 大阪メトロ堺筋線・谷町線の天神橋六丁目駅(通称:天六駅)の北北東約600m強、駅から天神橋筋を北上、天神橋8丁目交差点を右折、城北公園通りを東へ進み、阪急千里線のガードをくぐった北側に鎮座する。

※由緒
 頂いた由緒略記には
 「本社は永仁4年(1296)2月、人皇92代伏見院御宇、山城国鳩峰鎮座、男山八幡宮より勧請創祀す。
 氏地一円は奉祀日を弓の日と号し、又春祭と定め休日とし、永くこの風を伝う。

 御神体は今を距る710余年前、即ち八幡神崇敬の最も盛んなる、鎌倉時代の特徴を表現せる、優秀にして、国宝的価値ありと謂わる僧形八幡像を安置す。

 往時、社頭に近接せし道路あり。この道牛馬車通行するとき、忽ち神威にふれ、前進するを得ず、引き返して他の道へ迂回したりしと謂う。

 口碑、本社と表裏一体の関係ある社に、相殿出雲神社(旧薬師堂)あり。創建年代不詳と雖も、往古より左側に南面して存し、地方民は雷除に霊験灼かなりと信仰勢至と古老申し伝う。
 これ鎮護国家を標榜して諸国特殊著名神社に建てられし神仏習合による神宮寺なりしこと明らかなり。(以下略)
とある。

 当社御神体は、鎌倉時代作の僧形八幡神像という。

 一般に僧形八幡神像とは、右図(東大寺蔵)にみるように、頭を丸め身には袈裟をかけ、手に錫杖をもつ僧侶像として造られており、神像というより仏像と見間違うもので、これは八幡神が当初から神と仏とが習合していて仏教色が強いことによる。
 ただ、当社の僧形八幡神像がどのようなものかは不明。

 略記に、
 「鎮座地長柄地方は、往昔中津川・淀川の分岐点にありて、交通の要衝となり、早くより韓半島の文化を摂取、此の地に居住するもの多く、中世にその子孫と覚しき者の中には、華麗なる家軒を連ね、その当時を偲ぶに足る長柄長者の名は多くの人々の知るところなり」
とあるように、当地一帯は古くから拓けた土地で、中世の頃には長柄村と呼ばれ、それが江戸初期に北長柄村・南長柄村に分割され、当社は北長柄村の氏神として崇敬されたという。(別稿・南長柄八幡宮参照)
 当社が鎌倉時代創建ということは長柄村時代に勧請されたことを示唆し、その後も長柄村北部一帯の氏神として崇敬されてきたことを示すといえる。

※祭神
 *八幡大神--京都男山の石清水八幡宮からの勧請
 *大己貴大神・少彦名大神--略記にいう曾ての神宮寺・薬師堂(出雲神社)の祭神で、神仏分離によって薬師堂が廃却され、相殿神として本殿に合祀されたものであろう。
 *住吉大神--大正3年に合併された北長柄村末広在の住吉神社の祭神という(略記)

※社殿等
 城北公園通りの北側に鳥居が立ち境内に入る。境内は南北に長く、当街区の東半分を占めている。

 
長柄八幡宮・鳥居
 
同・境内 

 境内北中央に千鳥破風付き屋根に唐破風向拝を有する入母屋造の拝殿が、
 その背後、塀に囲まれた中に本殿が南面して鎮座する。
 本殿は一見して切妻造平入りの社殿とみえるが、全体は実見できず建築様式等詳細は不明。

 
同・拝殿
 
同・拝殿(側面)
 
同・本殿

 境内に建つ社殿は拝殿・本殿のみで末社等はみえず、境内左には社務所と、それに続く幼稚園があるが、略記がいう出雲神社(旧薬師堂)は見あたらない。

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