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成小路神社
大阪市淀川区新北野1-12-24
祭神--素盞鳴尊・豊受皇大神
                                                     2020.11.17参詣

 阪急電鉄・十三駅の西南西約1.1km、駅南から西へ出て、新北野交差点から淀川通りを西へ、府立北野高校西側の角(交番あり)を左折して南へ、すぐの三叉路を右へとった左手に鳥居が見える。
 社名は“ナルショウジ”と称するが、これは当社旧鎮座地の地名を引き継いだもの。

※由緒
 境内に立つ「遷宮記念碑」には、
 「当神社は、その昔鷺嶋神社と称し、素盞鳴尊と豊受皇大神の二柱を主祭神とした由緒ある神社でありましたが、新淀川の改修で氏子の大半が淀川河川敷となりました。
 明治42年(1909)の勅令により同じ中津村の富島神社(現北区中津2丁目鎮座)に合祀され、爾來七拾余年同神社の境外神社として現在に至り、当地には御旅所がおかれて、『大松っさん』の愛称で親しみ信仰をあつめてまいりました。

 昭和20年(1945)6月戦災に遭い、戦後の都市計画で宮地の一部が十三バイパスの用地に接収されたので、当時の総代は現在地に代替地を購い、神社再建用地として確保されました。

 私共は、この地に住民が久しく渇望していた氏神を迎え祀り、町の発展と子孫繁栄の礎として後世に残すため、昭和52年(1977)神社再建委員会を結成し、翌年6月、先祖の残された旧御旅所の玉垣と鳥居柱を復元、新北野全住民の奉賛を得て、同年10月21日神殿と拝殿を完成して遷宮奉祀祭を執り行い、町の鎮めである成小路神社再建の事業を完遂いたしました。 昭和53年10月吉日
とある。

 当社の前身・鷺嶋神社の創建由緒・年代等は不明だが、旧淀川から分流して当地辺りを曲折しながら大阪湾に流入していた旧中津川左岸にあり、境内の北側は中津川の堤防で樹木が茂っていたという。

 その成小路村の大半が新淀川開削工事(明治29--43)により河川域に入ったことから、新淀川北側付近に移転したものの(現十三バイパス付近らしい)、明治42年(1909)に富島神社(北区中津2丁目)に合祀され、旧地は同社の御旅所となり、そこに旧鷺嶋神社にあった御神木(大松)の切り株を移されたことから『大松さん』と呼ばれたいう。

 右絵図は、当地附近の古絵図に新淀川河川敷を書き入れたもので(赤破線)、十三渡し下流の旧中津川左岸脇に『鷺嶋神社』とあり、赤破線によって、そこが新淀川河川敷になったことを示す。

 

 その後、昭和20年6月の空襲で社殿を焼失し(鳥居と玉垣だけが残ったという)、昭和37年からの十三バイパス(新十三大橋)の架橋により土地を収用され御旅所もなくなったが、同53年に現在地に再建されたという。

※祭神
   素盞鳴尊・豊受皇大神

 今の主祭神は素盞鳴尊というが、曾ては強力な疫病神であり防疫神であった牛頭天王を祀っていた神社で、明治初年の神仏分離に際して牛頭天王が仏教色として排斥されたことから、同じ神格をもつとされる素盞鳴尊に変わったものであろう。

 豊受皇大神は伊勢外宮の祭神として知られるが、穀物神・食物神であることから、当社では稲荷神として祀られたものであろう。

 今の当社はトヨウケ・スサノオという著名な神を祀っているが、元々は人々の生活に必要な疫病除けの神と豊饒祈願の神を祀っていたといえる。


※社殿等
 道路脇に南面して立つ鳥居をくぐって境内に入る。
 三方を民家に囲まれた狭い境内の左側(東側)に、切妻造平入りの簡素な拝殿が西面(正確には西南方)して建つ。


成小路神社・鳥居 
 
同・拝殿
 
同・。内陣

 拝殿背後、弊殿を介して切妻造妻入りの本殿が鎮座するが、これは覆屋で、拝殿内陣から見ると、奥に一間社流造の本殿(小祠)が鎮座している。

 本殿・拝殿・手水舎以外は何もない簡素な神社である。

 
同・本殿(覆屋)
 
同・本殿社殿(拝殿内陣より) 

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