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野江水神社
(正式社名:水神社)
大阪市城東区野江4-1-39
祭神--水波女大神
                                                     2020.06.27参詣

 大坂メトロ谷町線・野江内代駅の東、駅南の交差点を東へ入ってすぐの北側に鳥居が立つ。
 正式社名は「水神社」(スイ)で「野江水神社」(ノエスイ)は通称。

※由緒
 境内に立つ案内には
 「昔このあたりは土地が低く、再々水害を被る事がありました。そこで水害から逃れようとして水の神様がお祀りされました。
  天文2年(1533)三好宗三(政長)が、この付近に榎並城築城の際、水害を被ったので水火除難の守護神として城内に社を建てて篤く祀られたのが現在の社殿の位置と言われています。
 天正11年(1583)豊臣秀吉も大阪築城に際し、水火除難の守護神として近隣の諸社中最も崇敬篤く、社殿を修復し幣帛を奉り、国家泰平を祈願いたしました。
 元禄16年(1702)の大洪水では、一面水海と化し住民がことごとく困窮の日を重ねていた時に快晴を祈願したところ、雨がやみ洪水は減退したと伝えられています。
 享和2年(1803)の大洪水にも、当社は無事であったことを榎並八箇洪水記の中に絵で記録されています」

 また、東成郡史(1922)には
 「榎並町大字野江字中の町に鎮座す。祭神は彌都波能売神(ミズハノメ)なり。
  本社創祀年次詳ならず。元来此の地方は地盤平低にして淀川或は其支流氾濫の災害を被ること頻繁なるより、自ずから住民の崇敬する所となりしなるべし。
 或は伝ふ。天文年間三好宗三が榎並城築城と同時に此社を奉祀せしが、其後水害終息せるより若干の神田を寄進せしことありと。然れども未だ其確証を得ず。村社に列せられし年月祥ならず。(以下略)

 大阪府全志(1922)には、水神社との社名で、
 「水神社は野江中之町の字宮浦にあり、彌都波能売神を祀れり。
 伝へいふ、天文年間三好宗三は榎並城の水害を蒙ることすくなからざるを以て、家臣に命じて神籬(ヒモロギ、仮設の祭場)を起し、彌都波能売神に水害除難の祈祷を行ひしに、神徳顕著なりしかば、小祠を建営して同神を祀りしもの当社の起源なり。
 後、豊臣秀吉も崇敬厚く、時々幣帛を奉りて国家泰平武運長久を祈り、元禄16年9月降雨日を累ね、洪水大いに臻りて海と化し、里人悉く困難しければ、鈴木九太夫なる者当社に快晴を祈りしに、霊験顕著にして降雨頓に熄み洪水減退せりと。
 邑の産土神にして明治5年村社に列す」
とある。


 当地一帯は茨田堤築造(仁徳朝)によって陸地化した処で、平安時代には榎並荘との荘園があったが、旧淀川と旧大和川の合流点近くにあることから氾濫原・低湿地が広がっていたといわれ、その中のわずかな高地に三好宗三(1508--49、細川晴元に仕えたという戦国時代前期の武将)によって築かれた榎並城(1532--49)が水害にあったので、神籬を設けて祈ったのが当社の前身という。

 榎並城について、東成郡史には
 「榎並城址  榎並町大字野江336番地(小字渡守)に在り。今遺址存せず。
  天文17年(1548)10月、三好宗三及子・政勝、此に拠り三好長慶に抗す。翌年6月、宗三江口に敗死し、政勝 城を棄てて去る」
とある。
 この辺り一帯は、元禄以降の大和川付け替え等より大きく変貌していることから城跡の確定はできないが、今、当社北に隣接する榎並小学校(野江4-1-28)の東門前に「榎並城跡伝承地」との石碑が建っているという(不参)


※祭神
   水波女大神(ミズハノメ、古事記:弥(彌)都波能売、書紀:罔象女)

 その出生について、記紀には
 古事記--火の神・カグツチを生んで病んだイザナミが、漏らした尿から成った神の名はミズハノメ神
 書 紀--同じく、小便をされ、それが神となった、名をミツハノメという
とあり、水の神、特に灌漑用水を司る神という。

 当社参詣の栞には、
 「天にあっては太陽の光、地にあっては雨、水の恵みがあればこそ生命があり生活があるのです。
 この万物生成の根本を主宰されているのが当神社の御祭神です」
とある。

 当社が低湿地にあることから、洪水防御・五穀豊穣を願っての奉斎であろう。


※社殿等
 鳥居を入り短い参道の奥が境内で、正面に入母屋造・瓦葺きの拝殿が、その奥に流造・銅板葺きの本殿が南面して鎮座する。
 拝殿裏に回り込んだところから本殿屋根が見えるだけで、本殿全体の実見は不能。

 
野江水神社・鳥居
 
同・拝殿
 
同・本殿

◎境内社
 社殿の左、樹林の中に『野江稲荷神社』が鎮座する。
 朱塗り木柵の中に一間社流造・朱塗りの社殿が鎮座し、赤地に白抜きで「野江稲荷大明神」の幟が立つだけで、案内等なし。

 
野江稲荷神社・全景
 
同・社殿

◎境外社
 正面鳥居の右・玉垣の外に『野江水流地蔵尊堂』がある。
 簡単な覆屋の中に小堂が鎮座するだけで、案内には、
 「明治18年(1885)、未曾有の大洪水が大坂北部一帯を襲った際に、当地に流れ着いたと伝わるお地蔵さんです。
 城東区民にとっては忘れてはならない出来事の証人として、地元町会の人達に大切に守られ、地蔵盆などの行事は毎年欠かさず行われています。
 なお、野江水流地蔵尊は、平成24年(2012)に大阪市の都市景観資源に登録されています」
とある。

 
野江水流地蔵堂
 
同・内陣
(左の幡には「ぼけよけ地蔵」とある)
 
明治18年に漂着したという「地蔵像」
(内陣の左下に祀られている-案内より転写)

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