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さいのき神社
大阪市淀川区西中島 7-7
祭神--行者神変大菩薩(役行者)
相殿--西尾六右衛門・澤田久左衛門・一柳太郎兵衛
                                                    2020.11.17参詣

 大阪メトロ御堂筋線・新大阪駅の南南西約200m、駅南の改札から新御堂筋西側歩道へ出て南下、新大阪ドイビル南の門を西へ入ったすぐの小路を右折してすぐの左側に位置する。

※由緒
 社頭の案内には、
 「徳川四代将軍家綱の時代(1651--1680)、低湿地の西成郡23ヶ所村が、幾度の淀川の洪水によって荒廃した。
 疲弊した農民を救うため、封建の世に一介の庄屋の身を犠牲にし京都郡代所の反対をおして、延宝6年(1678)4月8日中島大水道を開削し、その責めを負って当地にて自決され、農民の神として当地の発展に寄与さる。
 その遺徳を讃え当社に合祀」
とある。

 中島大水道とは、大阪市北部の現東淀川区淡路付近から此花区伝法に至る延長約9.5km、幅平均約22mの大水路で、明治の新淀川開削によって役目を終え、今は埋め立てられて新幹線用地あるいは道路等と化し、その痕跡は殆ど消えている。

 今、起点に近い東淀川区西淡路5丁目地先(新幹線ガート下の小公園内)に「中島大水道顕彰碑」との石碑が立ち(未見)、そこには

 「中島大水道は、北中島地区の農民が、度重なる水害と水はけに堪えかねて切り開き、東は西成郡増島村(現東淀川区淡路地区)から西は甲新田(現此花区伝法地区)に至る9.5kmに及ぶ大用排水路であった。

 延宝2年(1674)から同4年にかけて三義人と云い伝えられている北大道村の一柳太郎兵衛などを先頭に、22ヶ村の庄屋や村民が幕府に公儀普請による水道開削の願いを繰り返したが、莫大な工事費がかかるので、幕府は百姓自前の普請として水道開削を許可した。

 庄屋たちは22ヶ村の村民を説得し、資金約二千両を募って延宝6年の春わずか50日で水路を貫通させるという偉業をなしとげた。

 以来、明治32年(1899)の淀川改修に至るまで、たゆまぬ維持・補修により220年にわたって、その機能を果たし続け、地域の人々にはかりしれない恩恵をもたらした。

 ここに、今日の東淀川区・淀川区及び西淀川区の発展の礎を築いた先覚者の義挙を末永く顕彰するため、この碑を建立する。 昭和63年5月吉日
とある(ネット資料)

中島大水道・略図
(右上から左下へ続く黒線)

 碑文にいう三義人とは、当社相殿に祀られている
  西尾六右衛門(山口村庄屋) ・澤田久左衛門(大道村庄屋) ・一柳太郎兵衛(新家村庄屋)
の庄屋3人を指す。

 社頭案内には「責めを負って自決」とあり、
 ・社頭の案内に「京都郡代所の反対を押し切って・・・」とあるように、幕府の意に逆らって工事を強行したことの責めを負ってのことと思われるが、
 ・顕彰碑によれば、幕府から百姓普請としての許可を受けたとあり、これだと幕府に対する責めはないはずで、あるいは、この普請が地域住民の多大な犠牲によって行われたことへの責めを負っての自決かもしれない。
  (ただ、管見した中島大水道関連資料には、庄屋3人の自決についての記述はみえない)

 今の当社は、中島大水道開削の責任をとって自決した庄屋3人を祀る神社として知られているが、
 ・社頭の案内に、庄屋3人を当社に合祀とあること、
 ・主祭神が行者・神変大菩薩(役行者)であること
 ・境内に立つ「さいのき神社移転30周年紀年祭施行」との石版に、修験道にいう大先達・中先達・小先達の氏名が列記されていること
 ・境内に、「大峰 六拾渡 先達倉田・・」との大峯行道60回を記念する石碑があること
などから、本来は修験道に関係する社祠かと思われるが、当社本来の創建由緒は不明で、江戸時代という創建年代も不祥。


※祭神
   祭神・行者神変大菩薩とは、修験道開祖とされる役行者を指し、寛政11年(1799)、光格天皇が、この年が役行者没後1100年との上申を受けて、役行者に神変大菩薩の諡を贈ったという。

  相殿の3柱については上記。

※社殿等
 新大阪ドイビル裏側(西側)の小路を北に入ってすぐの左側、三方をビルに挟まれた狭い区画に鎮座し、社頭に「さいの木神社」との表示と上記案内板があるだけ。。

 
さいの木神社・社頭(右の白い建物は地蔵堂)

同・境内 

同左・御神木(ニレノキ) 

 境内左奥(南西隅)に一間社流造・瓦葺きの小祠が東面して鎮座するが、中の様子は暗くて見えない。


同・社殿 
 
同 左 

 社殿右手の簡単な覆屋の中に、半肉彫りの石像1基が鎮座している。
 首から下が赤い前垂れに覆われているため全体像は不祥。
 ネットでみる当石像は錫杖を持った役行者像であり、本来は主祭神として社殿内に坐すべきものが、何らかの理由で外に出されたとも思われる。


役行者堂 
   役行者像

 入口右(北側)に片流れ屋根・白壁の地蔵堂があり、中に石の地蔵像4躰(日光地蔵・首無地蔵・辻地蔵・子授地蔵)が納められている。

 
入口右の地蔵堂
 
地蔵像

地蔵像 

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