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桜 宮 神 社
大阪市都島区中野町1-12
祭神--天照皇大神
                                                    20.09.02参詣

 JR大阪環状線・桜ノ宮駅の南約560mほどの大川左岸・桜宮公園沿いの道の東側に鎮座する。

※由緒
 頂いた由緒書には、
 「旧東生郡野田村『小橋』櫻の馬場字『宮田』に氏神として奉斎せしが創祀の地にて、豊臣氏が桜を愛し、馬場に馬を進めて落花の下に勇壮なる流鏑馬式を行ひたりと云ふ。

 斯くして慶長18年(1613)冬再建せられしも、元和6年(1620)大和川の洪水により社殿流出して、中野村(現JR環状線・桜ノ宮駅直下の地)に漂着、この地に祀りしも、爾後寛文6年(1666)・延宝2年(1673)の水禍に罹り、社域低地なりしを以て社地に適せず、城代の允許(インキョ)を得て現在地(此の地『神風抄』に摂津中野村厨にして伊勢神宮の旧由緒地なりと云う)に遷座し給へり。
 『宮田』に鎮祭の時代より、大阪城守護社として豊臣氏・徳川氏の崇敬を受け、しばしば祈祷供御の儀あり。惜しむらくは、兵火洪水の難に遇い神宝記録散逸せるを以て創祀の年代詳かにせず。(以下、当社曾ての花見時の繁盛・周囲景観さなどを記すが略す)
とあるが、その創建由緒・時期等は不祥。

 また大阪府全志(1922)には、
 「桜宮は淀川(現大川)堤防上の字宮脇にあり。天照皇大神を祀れり。
  建設の年代は詳ならざるも、もと東成郡野田村の内字宮田といへる所に鎮座ありしが、同所は其の創建の地なりといふ。
  後、慶長18年(1613)の冬再建せられしも、元和6年(1620)大和川の洪水により社殿流出して本地なる社有地に漂着しければ、其の地に社殿を建てて祀りしも、低地なりしを以て宝暦6年(1755)更に今の地に遷座し給へり。
  然るに明治18年(1885)の洪水に際して社殿大破し、同24年(1891)再建せられたるもの現在の社殿是なり。

 明治5年(1872)郷社に列し、同40年(1907)11月、北区兎我野町の無格社若宮八幡宮(応神天皇・仁徳天皇・菟道稚郎子命)・同41年5月東成郡鯰江町大字新喜多字島崎の村社新喜多神社(仁徳天皇)・同42年6月同郡城北村大字毛馬字溝口の同八幡大神宮(応神天皇)・同年7月善源寺町八幡の産土神社(応神天皇)を合祀せらる。

 合祀社中、若宮八幡神社は、社記に依れば聖徳太子の初めて其の地に祭り給ひし旧社にして、河原左大臣源融の貞観年間(859-77)太融寺を建立あるに際し、中嶋庄の悉民眼疾を患ふもの多く、同古宇も亦眼疾ありける折柄、八幡大神の霊告に依りて同社祭神に参拝ありしに、眼病忽ち平癒したるを以て、喜びの余り目神と書したる大額を奉納せられ、石の鳥居に掲げらる、故に世人目神社と称するに至れり。
 摂津名所図会に目神八幡宮と記せるは即ち当社にして、暦応年中以来数度の類焼に罹り、神宝・旧記等悉く烏有と化せり。(中略)
 摂津名所図会には、「眼神八幡宮 諸人眼病平癒を祈るに土細工の鳩を備ふ。霊応いちじるしくして常に詣人たえず」とある。

 又毛馬の八幡大神宮は、同社記に依れば貞観元年8月(866)南都大安寺の行教和尚、宇佐八幡宮よりの帰路、暴風雨の為め澱川洪水漲りて浪波高かりしかば、毛馬村の地に上陸して茅屋に入り、以て風雨を凌ぎたるも容易に息まざりしかば、神籬を立てて八幡大神に懇禱ありしに、神感ありて次第に鎮静せり。
 依りて同和尚は船に乗りて上洛し、奏聞の結果男山に八幡の鎮座ありければ、里民同和尚の神籬を立てし大樹の下に社殿を建立し、同八幡大神を勧請して産土八幡宮と崇敬し来りしものなりといふ」
とあり、当社由緒と共に合祀2社の由来をも記している。

 因みに、合祀されている毛馬の八幡大神宮について、府全志以外には東成郡史(1922)
 「八幡神社(廃)  大字毛馬に鎮座したりき。祭神・応神天皇、 社格村社。創建詳ならず。
             明治43年、大坂北区皇大神宮(桜宮)に合祀す」
とあるだけで他に資料なく、詳細は不明。

 当社について、摂津名所図会(1798)には、
 「櫻野宮  中野村にあり。旧地は野田小橋、故(フルキ)大和川の堤、字櫻野といふ所にあり。故に名とす。
   祭神 天照大神。
 此社頭に神木として櫻多し。彌生の盛りには浪花の騒人ここに来りて幽艶を賞す。
 淀川の渚なれば、清らなる花の色 水の面にうつる景色 塵埃を避けて神慮をすヾしめ奉るなり」
とあり、絵図には、堤上の桜とおぼしき木々に囲まれた境内の左に社殿が描かれ、
 上には、上島鬼貫(1661--1738、江戸中期の俳人)
   『咲くからに 見るからに 花の散るからに』
との句が記されている。 

櫻宮(摂津名所図会)

 当社の旧社地については資料少なく不祥だが、図会にいう「野田小橋・古大和川の堤字桜宮」とは、都島区と城東区境の“桜小橋”の辺りか、という。
 今、JR大坂環状線・京橋駅の北を通る国道1号線の東約300mに“桜小橋”との交差点(当社の東南東約1.2kmほどの、都島区東野田町と城東区蒲生の町界、桜小橋は旧大和川水系の榎並川に架かっていたという)があり、当社の旧社地・野田云々はこの辺りかというが、交通量の激しい密集市街地の真ん中で、川があったような面影はない。

 
桜小橋・交差点
 
同・標識 

 なお、旧社殿が漂着した中野村とは、当社の少し上流の大川左岸にある毛馬桜宮公園の辺りと伝えられ、旧社地との位置関係からみて、旧大和川の洪水により流失した社殿がこの辺りに漂着したというのは有り得ることかと思われる。



※祭神
 参詣の栞には
  祭神--天照皇大神・八幡大神・仁徳天皇
とある。

 天照皇大神は、上記由緒に“当地は伊勢神宮の旧由緒地だった”とある縁により祀ったと思われ、
 八幡大神・仁徳天皇は、明治末年に合祀された諸社の祭神であろう。


※社殿等
 大川左岸沿いの桜之宮公園に沿った道路の東側に位置する境内の西南角に正面鳥居が南面して立ち、長い参道を通って境内に入る。

 
桜宮神社・鳥居(南側)
 
同・参道

同・境内 

 境内正面の小さい鳥居の奥に拝殿が南面して建ち、その奥に神明造・銅板葺きの本殿が鎮座する。

 千鳥破風向拝を有する拝殿は、両側に翼廊がつきだし、背後の弊殿・本殿が一体となった特異な建築様式で、全体像は掴みにくい。社殿はコンクリート造・銅板葺き

 本殿は神明造らしいが、西側から屋根の一部が見えるだけで、全体像は不明。

 なお、境内西側の道路脇にも鳥居があり、入ると拝殿側面に出る。

 
同・拝殿正面
 
同・拝殿

同・内陣
 
 
同・本殿(西側より)

同・社殿・航空写真
(社殿下部が拝殿、上部が本殿) 

同・西側鳥居と拝殿側面
 

◎境内社
*祖霊舎
*八神社
 境内西側にある社殿で、祖霊舎の左に続いて八神社が東面して鎮座する(社殿はコンクリート造)
 八神社とは一棟の社殿に8柱の神々を祀り、右(北)から
  目神八幡大神・恵比須大神・菅原大神・玉津嶋大神・琴平大神・住吉大神・春日大神・八幡大神
と並ぶが、その勧請由緒・時期等は不明。


祖霊舎、左に八神社が見える 

祖霊舎・祠 
 
八神社

*早馬稲荷神社
 境内北東隅・本社殿の右に鎮座する稲荷社。
 朱塗り鳥居列奥の社殿(コンクリート造)に「早馬稲荷神社」との扁額があるだけで、社名の由来・鎮座時期等は不明


早馬稲荷神社・鳥居 
 
同・社殿

同・内陣 
*遙拝所
 境内東側・社務所の北側に隠れるように「「遙拝所」があり、丸い穴の開いた石碑が立っている。

 その前に立つ〆柱に「昭和十五庚辰年紀元節」と刻されているから、この遙拝所は皇紀2600年奉祝事業の一環として建立されたと思われる。 
 (昭和15年-1940は、神武天皇建国から2600年の記念すべき年として、全国的に奉祝事業が行われたという)

遙拝所


【桜宮神社御旅所】
   都島区善源寺町1-11(善源寺楠公園内)
 当社の北北東約1.3km、大坂メトロ・都島駅の北北西約400m・楠公園の一画に『桜宮御旅所』との小祠があり、明治42年、桜宮神社に合祀された八幡神社の旧蹟という。旧八幡神社の由緒等は不明。

 善源寺町1-11街区の西南角、こんもりとした叢林の下が境内で、正面鳥居の奥、柵で囲まれた中に神明造・銅板葺きの小祠が鎮座し、小祠の右手に「八旛宮旧蹟」との石碑が立っている。
 境内には樹木が密集していて見通しがきかず、全体像の把握は難しい。

◎駒つなぎの樟
 また、小祠の後ろに楠の巨木が枯木の状態で聳えており、「渡辺綱・駒つなぎの樟」と称する。
 これについて、境内の案内には
 「このあたりは、かつて善源寺荘と呼ばれ、大江山の鬼退治で有名な源頼光が支配する荘園でした。
 長徳年間(995--98)頼光は源氏の八幡大神を祀り、この地に産土神社を創建しましたが、その時、頼光自らが、この樟を植えたといわれています。

 駒つなぎの呼び名は、頼光の四天王の一人で、この荘園の管理をまかされていた渡辺綱が、この神社に詣でるとき、いつも馬をこの樟につないだためであると伝えられています。

 樹齢900年と推定される樟は、昭和のはじめに大阪府の天然記念物第1号に指定されましたが、残念なことに戦災のあい現在は枯死状態になっています」

 また、桜宮神社参詣の栞には
 「当地氏地善源寺町御旅所に、武将渡辺綱駒をつなぎし由緒正しき樹齢推定800余年の稀に見る大楠樹あり。
 昭和の当初、大阪府が天然記念物保存法に則り、第1号を以て指定せられしも戦災のため枯死し、遺憾ながら指定を解かれ、現今幹と太枝を遺し名木の名残を停め、郷土史蹟の誇りを後世に伝ふるのみ」
とある。


桜宮神社御旅所・全景(西南方より) 
 
同・正面
 
同・鳥居

同・小祠 
 
同・駒つなぎの樟(東側より)

同・八幡宮旧蹟の碑 

◎楠玉神社
 御旅所東側に接して朱塗りの鳥居が立ち、その奥に背の高い社殿が南面して建ち、中に一間社流造の小祠が鎮座している。

 これは「楠玉神社」と称するお宮で、側らの案内には
 「この楠玉神社は、神乃子稲荷大神・楠玉龍神・八幡龍神・都島龍神・出雲大神を合祀しており、日本製紙㈱都島工場・日本板紙㈱大阪工場の守護神として祭祀していた。
 平成12年両工場の閉鎖に伴い、氏子崇敬者の安全と商売繁盛を祈願するため、ここ桜宮御旅所の一角に遷座された」
とある。
 この楠玉神社と御旅所(桜宮神社)との間は柵で区画され、両社間には直接的な関係はないようで、工場の閉鎖に伴い祀られていた神社を近傍の御旅所の地に移したものであろう。

 なお、楠玉神社社殿の右側に「楠街道開鑿記念碑」(大正元年8月建立)との石碑が立つ。
 楠街道とは、御旅所南側を東西に通る道を指すらしいが詳細不明。


楠玉神社・鳥居 

同・社殿 
 
同・内陣の小祠
 
楠街道開鑿記念碑

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