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素盞鳴尊神社
別名:鷹合神社)
大阪市東住吉区鷹合4-5-22
祭神--素盞鳴尊
                                                         2020.09.14参詣

 大坂メトロ御堂筋線・長居駅の東約2.6km、長居交差点から国道479号線(長居公園通)を東へ、鷹合4丁目交差点を北へ、鷹合公園の南西角を東へ入った北側に鎮座する。
 近鉄南大阪線・針中野駅と矢田駅の中間、線路西側にあり此方からが近いが、目印となるものなし。

※由緒
 頂いた参詣の栞には、
 「当神社は往古地名に因んで鷹合神社と称し、また牛頭天王とも称し、鷹合村の東方に鎮座していたのを後年(年次不祥)現在のところに遷座したものである。
 天正年間(1573--92、室町後期)に武田信玄の臣・沼田重光が老僧となってからこの地に来たり住み村民の信頼を得て、当神社の社務一切を委任されたが、数年と経たないうちに大坂に移り住んだ際に、当神社の旧記全部を持ち去ったため由緒は不明である。
 しかし、住吉神社の旧神官青蓮寺という家の記録の内に、『延徳元年(1489・戦国時代)8月云々、一昨13日鷹合の祭り也云々』とあるので、当社創建の時期はそれより以前であろう。
 明治5年(1489)村社に列し、同42年(1909)6月神饌幣帛料供進社に指定された。
 なお、遙拝所横にある楠の大木は、昭和55年(1980)大阪市条例により保存樹の指定を受け、さらに平成10年3月には他の楠等を加えて保存樹林の指定を受けた」

 東成郡史(1922)には
 「大字鷹合字居村に鎮座す。祭神は社号標する所に同じ。本社創祀の年次詳ならず。
 天正年中武田信玄の臣沼田重光と云へる者僧となりて此地に来り住し、村民の信頼をうけ、此社務一切を委任せられて居りしが、数年の後大阪に移居せし際、本社に関する旧記を携へ往きたりと云へり。
 旧事は地名に因み鷹飼堂と称し、祭神は元より牛頭天王にして、明治維新以前は御神体として木像を奉置したりと云ふ。
 旧社地は本大字の東部神所と云ふ地点なりしが後年現地に移転せしなりと伝ふ。

 大阪府全志(1922)には、
 「素盞鳴命神社は鷹合字居村にあり、速素盞鳴命を祀れり。もと鷹合神社とも呼び、一に牛頭天王とも称せしと。
 東方に神所と字せる田畑あり、社は同所にありしが、後今の所に遷座せりと伝ふ。(以下略)

 東住吉区HP(東住吉100物語)には
 「鷹合神社は、当初、鷹飼堂と呼ばれ、祭神は牛頭天王でした。
 明治5年村社の資格が与えられ、地名にちなんで鷹合神社と改められました 。
 住吉神社の旧神官・青蓮寺という家の記録の中に延徳元年(1489・室町前期)8月云々、鷹合の祭り云々とあるので、創祀はそれ以前と考えられます。
 神社東南の房本宅内に鏡池という池があります。ある日、酒君が鷹の行方を見失い、各地を探しあぐねこの池のそばで思案にくれていたところ、かたわらの椎の大樹にとまる鷹の姿が水面にうつり、喜んで捕らえたという伝説があります」
とある。

◎地名・鷹合の由来
 書紀・仁徳41年春3月条に、
 ・紀角宿禰を百済に遣わした。このとき百済王の王族・酒君(サケノキミ)に無礼であったので、宿禰は王を責めた。
 ・王は畏まって酒君を縛り襲津彦(ソツヒコ)に従わせて日本に送った。
 ・酒君は石川錦織首(イシカワニシキオリノオビト)の家に逃げ隠れ、偽って「天皇は私の罪を既に許してくださった」といった。
 ・久しくして、天皇はその罪を許された。
とあり、同43年秋9月1日条に。
 ・依網(ヨサミ)の屯倉の阿珥古(アビコ)が変わった鳥を捕らえて、「初めてみる鳥です」として天皇に奉った。
 ・天皇は酒君を呼んで何の鳥かと尋ねると、酒君は『この鳥の類は百済には沢山いて、馴らすと人によく従います。また速く飛んでいろいろの鳥を取ります。百済の人はこの鳥を倶知(クチ)といいます』といった。これは今の鷹である。
 ・それで酒君に授けて養わせた。いくらも経たぬうちに馴れた。酒君は鞣し革の紐を足につけ、小鈴を尾につけ、腕の上に留まらせて天皇に奉った。
 ・この日、天皇は百舌鳥野においてになって狩りをされた。その時、雌雉が沢山飛び立った。そこで鷹を放って捕らせると、たちまち数十の雉を得た。
 ・この月、はじめて鷹甘部(タカカイベ)を定めた。時の人はその鷹を飼うところを鷹飼邑といった。
とある(大意)
 また、摂津名所図会(1798)に、「鷹甘部旧蹟  鷹合村をいふ。・・・(仁徳43年条を略記)・・・その鷹を飼ふ所を鷹甘邑といふ」とあり、鷹甘邑(鷹飼邑)は鷹合村、今の東住吉区鷹合町付近という。

 これらからみると、当社は酒君あるいは鷹飼部に関係する神社かと推測されるが、それを示唆する資料なく、また創建由緒・時期等も不明。

 なお、当社の北約700mに酒君に関係するかと思われる「酒君塚」がある。(別稿・酒君塚参照)

※祭神
   素盞鳴尊

 上記由緒からみると、かつての当社は防疫神・牛頭天王を祀っていたが、明治の神仏分離によって牛頭天王が排斥されたので、同じ神格をもつ素盞鳴尊に変わったのであろう。
 ただ、牛頭天王が創建当初からの祭神かどうかは不祥で、上記由緒等からみて、本来の祭神は鷹甘部の祖・酒君だったかもしれない。


※社殿等
 境内南東の角を北へ入った左(西側)に正面鳥居(東側)が立ち、社頭には楠の大木が茂っている。
 また、境内南の東西道路沿いにも南側鳥居が立つ。
 両鳥居とも「素盞鳴尊神社」との神額を掲げるが、傍らに立つ青色の幟には「鷹合神社」とある。

 
素盞鳴尊神社(鷹合神社)・南側社頭
 
同・鳥居(東側)
 
同・鳥居(南側)

 東側の正面鳥居を入った境内中央に、千鳥破風を有する入母屋造・銅板葺きの拝殿が東面して建ち、左から楠の大木が枝を伸ばし屋根の半分ほどを覆っている。

 
同・拝殿(正面)
 
同左(側面)

同・内陣 

 拝殿の背後、弊殿を介して流造・銅板葺きの本殿(RC造・昭和40年再建)が東面して鎮座するが、高い塀と樹木に阻まれて全体は見えない。


同・本殿 
 
同 左(側面) 

◎境内社
*白姫社
 境内南東隅に鎮座する小社で、北西向きに立つ鳥居の背後に一間社流造の社殿が鎮座するが、案内等なく由緒等詳細不明。
  祭神--白姫さん(当社HP)、巳之神白姫大明神(Wikipedia)
 祭神名からみて、水神としての蛇神を祀る社であろう。

 
白姫社・鳥居
 
同・社殿

*鷹合稲荷社
 本殿の南側に東面する稲荷社だが鎮座由緒等不明。
 当社HPには、「社殿は、昔、本殿として使われていた」とある千鳥破風・唐破風を有する立派なもの。
  祭神--稲荷大明神(Wikipedia)

*伊勢神宮遙拝所
 拝殿の南、稲荷社の東、低い玉垣に囲まれた中に西面して立つ。

 
鷹合稲荷社・鳥居

同・社殿 
 
伊勢神宮遙拝所

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