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田 島 神 社
大阪市生野区田島3-5-34
祭神--少彦名命・菅原大神・事代主命・八幡大神
                                                  2020.07.22参詣

 JR大阪環状線・寺田町駅の東約1.7km(JR関西本線・東部市場駅の北約1.2km)、生野区の主要南北道路・今里筋の田島4丁目交差点を東へ約160mほど行った北側に鳥居が立つ。
 JR関西本線・東部市場前駅の東を南北に走る今里筋を北上し、田島4丁目交差点を右折した方かわかりやすい。

※由緒
 境内の案内には、
 「御由緒
  当社所蔵の社記録等は明治初期まで伝わっていたが、洪水などで散逸し、創建年代等不詳である。
  古来、人々が住みはじめると清浄なる場所を設けて天地の恵みに感謝し、その地の収穫・安寧を祈願した事なとから、かなりの早い時期から当地が祈りの場としてあったのではないかと推量される。

 現存する遺物等により徴すれば、石燈籠に貞享元甲子歳(1684)とあり、少なくともこれ以前から現在のような神社としての態を成していたことが伺われる

 又、社宝の後陽成天皇(在位:1586--1611)御宸筆の軸や神額などには、現主祭神である少彦名命の御神名がみえず、『南無天満大自在天神』や『天満宮』・『天神社』とあり、その裏書や少彦名命の御樋代(櫃代か)には『寛政四年壬子年』(1792)とあること等から、寛政4年まで菅原大神を主祭神に、事代主命・八幡大神を相殿神として『天満宮』と称していたが、この年少彦名命を合祀して『天神社』と称していたものであろう。

 後、明治42年(1909)4月に現社号に改称したが、この頃までは境内地も広大で、裏山には千数百年を経た古松、数百年の老杉が繁茂し昼尚暗く狐や狸が棲息する様(サマ)であった。

 現御本殿(流造)創建の年代も審らかではないが、明治27年(1894)檜皮葺屋根、昭和35年(1960)銅板葺屋根に葺替修築。
 平成2年(1990)御大典を奉祝して本殿屋根葺替、弊・拝殿改築、末社二社、石鳥居、銅製御牛舎及び玉石垣を新築」
とある。

 東成郡史(1922)には
 ・本社所蔵の文書は今(1922)から約80年前(1840頃)までは伝わっていたが、保管所屋根の雨漏り又は洪水等で全部腐滅したため之を微知するに由なく、遺物宝物等にて考ふる。
 ・遺物
  拝殿前の石灯籠刻銘--戎三郎大菩薩八幡大菩薩 (背後)貞享元甲子年吉日
 ・社宝
  後陽成天皇御筆の一軸--南無天満大自在天神 (裏面)元禄14年辛巳六月吉日大阪住平野屋與右衛門為諸願成就寄附之
  一軸(筆者不明)--天満宮 
  一額--天満大自在天神 (裏面)摂州東成郡田島村改懸神額紀 明和七庚寅年夏模写天(元か)先祖命禅師直筆 敬奉掲氏神前・・・
 ・按ずるに、此等は何れも今の主祭神・少彦名命に関係なきを以て、昔は菅原大神を主祭神とし、事代主命八幡大神を相殿とし、天満宮と称せしならん。
 ・此の三神の御神体は古き木像にして、少彦名命のみは御幣なり。櫃代(収納容器)には「寛政四壬子三月吉祥日別当大阪大学院」と記せり。
 ・蓋し此頃より少彦名命を加へて主祭神とし、前の三神を相殿に更へ奉りて天満宮を天神社と称せしものなるべし。
 ・明治41年(1908)5月、本村無格社八坂神社を当社境内に合併移転して末社と称す。
 ・明治42年(1909)4月、天神社を改めて現社号とせり。(以下略)

 大阪府全志(1922)には
 「田島神社は字神子田にあり、少彦名命を主神とし、相殿に菅原道真・事代主命・八幡大神を祀れり。
 創建の年月は詳ならざれども、拝殿の前なる石灯籠には、表面中央に天神大菩薩、左側に戎三郎、右側に八幡大菩薩、裏面に貞享元甲子大吉日と記し、神宝の軸には、後陽成天皇の宸筆・大坂住人平野屋與右衛門寄進・元禄14年辛己6月8日と書して、宸筆には天満大自在天神と見え、主神少彦名命の御神體を覆い奉れる御櫃には、寛政4壬子年3月吉祥日・別当大坂大学院の文字ありといふ。
 是に依りてみれば、社の創建は貞享以前にありて、初めは菅原道真を主神に、事代主命・八幡大神を相殿に祀れしも、後事情ありし為め寛政4年に至りて新たに少彦名命を勧請し、同神を主神として従来の三神を相殿に祀りしものならんか。
 天神社と称し来りしが、明治5年に至り手村社に列せられ、同年字坪の内の無格社八坂神社(速素盞鳴尊)を境内に移し、同42年4月16日今の社名に改む」
とある。


 これらからみると、当社の創建由緒・年代等は不明だが、
 ・社宝の一軸が後陽成天皇の御宸筆であれば、天皇の在位期間が豊臣時代から江戸初期(1586--1611)にかけてであること
 ・現存する最古の遺物である石灯籠の奉納が貞享元年(1684)であること
などから、江戸前期以前(16世紀末~17世紀初頭)にあったのは確かだろうが、その創建年次を推測できる史料はない。


※祭神
 社頭の略記には
  少彦名命・菅原大神・事代主命・八幡大神
とある。

*少彦名命
 少彦名命には国土造営・医療・薬・酒の神など幾つかの神格があるが、当社が如何なる経緯でこの神を主祭神として奉祀したかは不明。
 ただ、由緒に寛政4年(1792)頃の勧請とあるが、江戸中期末の安永5年(1776)に痲疹(ハシカ)が、天明4年(1784)に風邪(インフルエンザ)が大流行したというから、その終息を願って医療神として少彦名命を勧請したのかもしれないが、確たる資料はない。

*菅原道真
 少彦名命勧請以前の主祭神で、当社蔵の後陽成天皇御宸筆には「南無天満大自在天神」とあるという。
 天満大自在天神とは、天候を司る雷神としての天神と道真の御霊などが習合した神格で、怨霊神・御霊神としての道真を指し、学問の神というのは、江戸時代になって寺子屋の神として祀られるようになった以降に特化された神格という。
 後陽成天皇の在位が16世紀末から17世紀初頭であることからみて、当社における道真は未だ学問の神としてのそれではなく、畏るべき怨霊神・御霊神としての道真であったと思われる(今は学問の神としての道真であろう)

*事代主命
*八幡大御
 拝殿前の狛犬台座に「戎三郎大菩薩八幡大菩薩」とあることからみて、貞享元年(1684・江戸前期)にエビス神と八幡神が祀られていたのは確かだろうが、この2神と道真の祭祀時期の前後関係は不明。
 また、エビス神と八幡神と当社の間に接点はなく、如何なる由縁でこの二神が奉祀されたのかは不明。 
 なお、「戎三郎」とは所謂・エビス神の別名で、当社の事代主命とはエビス神としての事代主を指す。

※社殿等
 田島4丁目交差点からの道路の北側に立つ鳥居を入って長い参道を進み、〆鳥居をくぐった先が境内。

 
田島神社・社頭

同・鳥居 
 
同・参道

 境内正面に、唐破風向拝を有する入母屋造・瓦葺きの拝殿が南面して建ち、その奥に本殿がある。
 資料には本殿は流造というが、周囲の建物に阻まれ、拝殿横から屋根の一部が見えるだけで詳細は不明。


同・拝殿 
 
同 左

同・本殿(屋根の一部のみ) 

◎境内社
*素盞鳴尊神社
*伊弉奈岐命神社
 拝殿左(西側)に、それぞれ鳥居をもった小祠2社(一間社流造、2社とも同形)が鎮座するが、社名表示なく、どちらがどの神社か、又この2社の鎮座由緒・時期等は不明。


同・末社2社 

末社・社殿(他の一社も同形) 
 
同 左

◎その他
 参道途中(〆鳥居脇)の西側に『眼鏡レンズ発祥之地』との記念地があり、案内の石碑には
 「わが国の眼鏡レンズ発祥之地は、生野田島町であります。
 安政4年始祖石田太二郎翁がレンズ研磨を手工業として当地に伝え、農家の副業とし、明治時代を経てきました。
 大正5年本格的生産に乗りだし生産高50万ダースの規模となり、昭和10年には、わが国眼鏡レンズ産地を確立しました。(中略)
 ここに135年の歴史と産業の礎を記念し新たなる決意を後世に伝えます。平成4年11月吉日 大坂眼鏡レンズ製造工業協同組合
とある。

 区画の中央に石田翁の経歴を記した顕彰碑が立ち、碑前の鳥居には二つの輪をもつ眼鏡型の注連縄が掛かっている。


全 景 
 
顕彰碑
 
案 内

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