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徳 井 神 社
神戸市灘区大和町4丁目
祭神--応神天皇
                                                  2018.11.10参詣

 JR東海道本線・六甲道駅の東約300m。
 駅南へ出て線路沿いに東へ進んだ右手(南側)、マンションに挟まれて鎮座する。
 なお神社は南面しており、線路沿い北側道路の一本南の小道に面して鳥居が立つ(北側道路から境内北へ入れる)

※由緒
 当社の創建由緒・時期等は不明。

 社頭の案内には
 「祭神  品陀和氣命(第15代応神天皇)
 境内社  八幡神社  息長帯比売命(神功皇后)
       廣目稲荷神社  宇迦之御魂神
 [由緒]
  往昔、この徳井の地では八幡社三社(上宮・中宮・下宮)が祀られていましたが、当社はこの中の上社にあたります。
  創建年代は定かでありませんが、天和年間銘の石灯籠が据えられてがいることから、江戸初期にはほぼ現在の境域が定められていたと考えられます。
  明治44年には中郷の地に祠られていた中宮がこの上社に遷されて現在に至ります。(下宮は現東明八幡神社-当社の南約800m)
  また昭和36年の社名変更までは『応神天皇神社』と尊称されておりました。
 [応神天皇さまの御神徳]--略
 [神功皇后さまの御神徳]--略

 [箒の宮の由来]
   当社には古来、産婦の陣痛が始まると社より荒神箒を借り受け、その箒にて腹を撫で安産を祈願するという伝えがあり、現在も安産祈願者には小箒を授けます。
   民俗学的にも希有なこの神事は、地元民のみならず全国的にもしられ、信仰を集めております」
とある。

 当社は、当地区にあった八幡社三社の上宮で、応神天皇社と呼ばれていたという。
 当社の前身が八幡宮であったとすれば、その創建は、早くとも鶴岡八幡宮の創建(1180)以降、八幡神が武家の守護神として各地に勧請された中世以降と思われるが、当社が如何なる由縁で勧請されたのかは不明。


※社殿
 南側道路の北側に立つ鳥居を入った正面に入母屋造の拝殿が、その後ろに接して本殿が建ち、拝殿左前に境内社・八幡神社、右奥に同・廣目稲荷神社が鎮座する。


徳井神社・鳥居 
 
同・拝殿
 
同・境内
(左の小社は八幡社、右には廣目稲荷社が鎮座)

 社殿は平成7年(1995)の阪神大震災によって倒壊、同13年(2001)コンクリート造にて再建したという。

 なお、鳥居脇の「箒の宮 安産箒」との案内には
 「安産祈願者に小箒を授与するといった行事は現在も絶えることなく続いています」
とあるが、社務所は閉まっていて授与の手続きは不明。前もって安産祈願を申し込んだ人にのみ授与されるらしい。

※境内社
◎八幡神宮(境内社)
  祭神  息長帯比売命(神功皇后)
  通称  箒の宮

 境内の西側、拝殿左に鎮座する小祠。
 社頭の案内には、
 「当社は古来、徳井の地に祀られていた八幡三社(上宮・中宮・下宮)の中宮にあたり、中郷に鎮座していたものを明治44年(1911)に上宮であるこの地に遷座され、現在に至ります。
 御祭神・神宮皇后さまの御神徳を慕い詣でる安産祈願の人々に小箒を授与さる全国的にも希有な風習があることから、『箒の宮』と尊称されています。
 旧来の社殿は、平成7年の大震災により倒壊しましたが、14年(2002)9月に至り、この元の場所に新社屋が再建されました」
とある。 旧鎮座地・中郷の位置は不明。

 また、箒授与の由来として、兵庫県神社庁HPには
 「箒授与の由来は定かでないが、皇后さまは身重の身でありながら、三韓征討の大事をなされた雄々しい御心を手本として、妊娠中といえども主婦の努めを疎かにせずといった教えを、箒に託したものと考えられる」
として、神功皇后に付託しているが、これは阪神間で多々みられる神功皇后伝承に連なるもので、賢しら人(サカシラビト・利口ぶった人)によってつくられた虚言であろう。


境内社・八幡神社 
 
授与される箒
(鳥居脇の案内より転写)

 境内に入ってすぐの右手に、注連縄を巡らした高木が枝葉を張って聳え(右写真)、傍らの案内には
 「箒の宮の御神木
 神霊の宿る樹木、降りる樹として、今も地域や外の人々から大切にされている樹齢約300年といわれる榎(エノキ・ニレ科の落葉樹)です。

 往昔、『聖塚』と呼ばれていた徳井の北方に位置するこの鎮守の社から、この高木は地域の変遷を見てきました」
とある。

 高木を神の依り代とする古代の樹木信仰を引き継いだ聖な樹木であろう。

 

 今の出産は病院で医師の介護のもとでおこなわれるのが殆どだが、嘗ての出産は家の中で(地方によっては、家の外に設けられた産屋-ウブヤ-と称する簡単な小屋で出産していた)産婆さんの介護によっておこなわれていた。
 為に、産婦死亡などの事故が起こりやすく、女性にとっての出産は命がけの仕事であり、そこには神々の守護が求められていた。

 一方、神道では神は穢れ、特に死と出産・女性の生理を“三不浄”として忌み嫌われたが、これは仏教の穢れ観念からくるもので、仏教では、人畜の死や出血・出産など異常な事態を穢れとして忌避し排除されたが、それは穢れが共同体に不幸や災厄をもたらす危険な力または性質をもつと見られたためで、死穢(シエ・黒不浄ともいう)や血穢(ケツエ・赤不浄ともいう)が生じた際には、喪屋や産屋を別に建てて穢れとの接触を厳禁したという(仏教辞典・岩波)
 平安時代になると、この死あるいは出血を不浄とする観念が神道にも滲透し、そこから、○○神といった名のある神々がこれにかかわることは堅く忌避されたという(出産は血を伴うもので、場合によっては死に至るものであった)

 しかし、箒神(ホウキガミ)・厠神(カワヤカミ)・山の神といった神々、すなわち産神(ウブガミ)と呼ばれる神々は(特定の名をもたず、家の裏側に坐して、けっして表舞台には立たない精霊的な神)、血穢を忌み嫌わず、産婦の傍らにあって出産を見守り妊婦を守護するとされ、
 俗信では、これら産神がこないと出産が始まらないともいわれ、妊婦の足下に箒を逆さに立てて速やかな出産を促したり、難産の時には箒で妊婦の腹をさすったりしたという。

 当社が安産の御守りとして箒を授けるのは、これらの産神信仰を引き継いだもので、ここでの箒は出産の守護神としての箒神の依り代であって、神功皇后云々というのはこじつけでしかない。

 ・箒神--古語拾遺(802)に、「彦火火出見命の后・豊玉姫が海辺の産屋で出産した時、掃守連の遠祖・天忍人命が、箒を作って蟹を掃った・・・」とあるように、箒とは異物を祓い出す呪具であることから、妊婦の胎内から胎児を速やかに掃きだしてくれるとされたのだろう
 ・厠神--この世とあの世の境界とされる厠に坐す神で、人の生死・幸不幸にかかわるとされた
 ・山の神--山に坐す神で、春先になると里に下りて田の神として豊穣を見守るとされるが、子沢山の女神でもあることから、安産の守護神ともされた

◎廣目稲荷神社
 境内の北東角・社殿の右奥、大樹の下、玉垣内に立つ朱塗りの鳥居の奥に鎮座する小祠だが、通常の稲荷社にみえる狐の置物等はなく、朱塗りの鳥居に「廣目稲荷神社」の神額が掛かるだけで、案内等なく鎮座由緒・時期等は不明。

 
廣目稲荷社・社頭
 
同・小祠

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