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摂津(住吉郡)の式内社/止杼侶支比売神社
付記−−天水分豊浦命神社
大阪市住吉区沢の町1丁目
祭神−−素盞鳴尊・稲田姫尊
                                                                2009.5.14参詣

 延喜式神名帳の摂津国住吉郡条に『止杼侶支比売神社』(トトロキヒメ)とある式内社で、今は「止止呂支比売神社」と記し(読みは同じ)、通称を「若松神社」ともいう。境内社として、同じ式内社・『天水分豊浦命神社』(アメノミクマリトヨウラノミコト)を祀る。

 南海高野線・沢の町駅の南約200m、国道26号線に面して鎮座する。周りを商店を含む住宅地に囲まれている町中の神社。

止杼侶支神社/社頭
止止呂支神社・社頭
止杼侶支神社/拝殿
同・拝殿
止杼侶支神社/本殿
同・本殿

※祭神
 今の祭神はスサノヲとその后・クシイナダヒメを祀るが、これは後世(明治以降か)になってのことで、本来の祭神は社名と同じ、トトロキヒメと思われるが、その名は記紀・風土記に見えず、出自不明。
 住吉松葉大記(18世紀初頭・江戸中期初・成立)には
 「神名未詳」(若松社条)
とあり、また
 「今の若松社が是也。昔この社の前に堀ありて、それに渡せる橋を止杼侶支橋と云へるは社号を以て橋に名付けたるにやと。この説少し故あるに似たり。止杼侶支(トゝロキ)は迹驚(トゝロキ)に同じ。・・・止杼侶支比売の御名に依れば、この社は姫神也。今俗に若松を牛頭天王(ゴズテンノウ)と申すは伝聞の訛謬か」(止杼侶支比売社条)
とあり、18世紀初頭の頃には、女神とは推察されるものの、すでに神名はわからなくなっていたらしい。ただ、“迹驚”(トトロキ)を“轟き”(トドロキ)と解すれば、農耕に必要な水を司る雷神と解することもできる。
 また、“俗信にゴズテンノウというは訛謬か”とあることをみれば、江戸時代には、祭神は防疫神・ゴズテンノウとみるのが一般的な理解で、明治初年の神仏分離令でゴズテンノウが邪神として排斥されたことから、神名を異名同神とされるスサノヲに変更したのかもしれない(祇園の八坂神社を初めとして、こういう事例は各地に多い)
 ゴズテンノウ・スサノヲ、いずれも後年になっての祭神であって、本来の祭神は今もって未詳というのが実態であろう。

※鎮座由緒
 神社略記には、
 「延喜式神名帳に止杼侶支比売神社とある式内社で、古来真住吉国の氏神として齋き祀る。創建年代は不詳」
とあり、スサノヲ・クシイナダヒメの出自・事蹟については記すものの、本来の神名・創建時期などについての記載はなく、他に鎮座時期などについての資料は見当たらない。
 なお“真住吉国”とは、摂津国風土記・逸文に残る
 「沼名椋(ヌナクラ)の前(現住吉大社の地)においでになった住吉大神が、『真住み吉(エ)し住吉(スミノエ)の国』(まことに住むべきに好い土地だ)と褒めたたえて神の社を定めた」
との伝承からのもので、かつての住吉郡の辺りを指す佳称。

◎若松神社
 今、当社は止杼侶支姫神社というより、“若松神社”の方が通りやすく、玉垣上に「若松神社」と大書した社額があがっている。
 当社略記によれば、若松神社とは、
 「承久3年(1221)、後鳥羽上皇(院政・1198〜1221)が倒幕の軍を起こすために、熊野詣に名を借りて、浪速住吉の豪族津守一族の勢力並びに大和河内の兵をも集めようと墨江の里に行幸されたとき、(住吉大社の神主津守経国が)当社の松林中に若松御所を造営し、行宮として渡御を迎えた。この時、上皇は国家安寧武運長久を祈らせた」
ことによるとある(後鳥羽上皇は、承久3年5月倒幕の軍を起こし、敗れて隠岐に移されている−承久の変)

※天水分豊浦命神社(アメノミクマリトヨウラノミコト)
 境内の西北隅に、境内社・『霰松原神社』が鎮座し、その右前に『天水分豊浦命社』との石碑が立っている。
 式内社は、江戸時代中期の儒学者・並河誠所(1688--1738)が、18世紀初頭、すでにわからなくなっていた近畿地方の式内社を研究して、当時存在していた神社に比定したもので、その目印とするため、幕府の協力を得た誠所の弟子・菅博房が立てた大阪周辺20基の石碑のひとつが、この石碑である(1736)
 元は天水分豊浦命社の旧鎮座地(現住之江区安立)にあったが、明治40年(1907)、同社が止杼侶支比売神社に遷座されたため、石碑もこの地に移された、という。
 明治40年の遷座とは、明治の神社統合によるものだろうが、この政策は、維持が困難な弱小神社を大きな神社に合祀したものだが、合祀される弱小社の祭神・鎮座由緒などは考慮されなかったようで、止杼侶支比売社に水分豊浦彦社を合祀する必然性はない。今、当社境内に天水分豊浦命社独自の社殿はなく、霰松原社に合祀されているらしいが、その詳細および両社の関係は不明。
 なお当社の西約800mの住之江区安立にある『霰松原神社』が旧鎮座地とされている(別稿・天水分豊浦命神社参照)

止杼侶支神社/天水分豊浦命社の碑
天水分豊浦命社の碑

霰松原神社

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