トップページへ戻る

豊﨑神社
大阪市北区豊﨑 6-6-4
祭神--孝徳天皇
                                                2020.10.27参詣

 大阪メトロ御堂筋線・中津駅の北東約600m、駅上の広い道路を北東方へ道なりに進み、新御堂筋線を越えた先の豊里4東の交差点を左折(北へ)、JR線ガードをくぐった先に正面鳥居が立つ。

※由緒
 境内に掲げる由緒には、
 「当社は孝徳天皇の御旧跡にして、日本書紀に大化元年(645)冬12月、都を難波長柄豊碕に遷すとあり。
 其後一条天皇正暦年中(990-95)藤田重治なる人、孝徳天皇故宮の煙滅せんことを恐れ、林中に祠を作り、皇蹟を崇敬追拝し奉る、是則豊﨑神社の創祀である」

 当社公式HPには、
 「当社は、大化の改新(645)の後、遷都された難波長柄豊﨑宮の旧跡地とされております。
 孝徳天皇の崩御(654)後、松林となり果て、八本松と呼ばれたこの地を哀れんだ一条天皇(在位:986--1011)が、藤田重治にこの地の開発を命じ、孝徳天皇の故宮を忘れてはいけないと松林に小さな祠を建て、孝徳天皇をお祀りしたことから始まりとされております。

 明治5年(1872)村社に社格が上がり、明治41年(1908)に村社・南長柄八旛宮を合祀し、次いで本庄村にあった東照宮社・厳島神社を末社に合祀されました。(以下略)

 また、大阪府全志(1922)には、
 「豊﨑神社は、西方中津川の南岸字宮ノネキにあり。孝徳天皇を主神に、相殿に須佐男命を祀れり。
  由緒によれば、豊碕宮の廃されし後、星霜を経るに従い荒蕪の地となりしを、藤原重治の此の地を開墾するに当り、宮地の空しく煙滅せんことを恐れ、樹林中に小祠を建立して同天皇を祀れるに起り、後村民の望によりて須佐男命を合祀せしが、明和9年(1876)火災に罹りて社殿及び旧記等悉く焼失といふ
 明治5年(1872)に村社に列し、同41年(1908)大字南長柄の村社・八幡神社(応神天皇を祀り、神体は丈一寸五分の金像にして、水中八幡宮と称したりと)を相殿に合祀し、本地字宮ノネキの無格社東照宮社(徳川家康)を境内に合祀し、更に同字の厳島神社(市杵島姫命)を東照宮社に合祀せり。(以下略)
とある。


 上記由緒は、当社地を孝徳天皇の難波長柄豊﨑宮(通称:難波宮)跡というが、今、宮跡は大阪城南の難波宮跡史跡公園(中央区法円坂)の地下に眠る前期難波宮跡とするのが定説で、当地を難波宮跡というのは否定されている。
 因みに、難波宮跡は孝徳天皇の前期難波宮跡の上に聖武天皇の後期難波宮跡とが重なる重層遺蹟で、発掘調査等により1960年に難波宮跡として認知され、その後、1964年に国の史蹟に指定されている。

※祭神
 境内の案内には、
  主神  孝徳天皇
  相殿  素盞鳴尊・応神天皇
とある。

 孝徳天皇--当社創建時からの祭神
 素盞鳴尊--創建後、村民の要望により合祀されたものだが、あるいは最初は防疫神・牛頭天王であったものが、明治の神仏分離の際に素盞鳴尊に変わったのかもしれない
 応神天皇--明治末の神社統合令によって南長柄村の八旛宮を合祀したものだが、その後、現長柄中1丁目の旧地辺りに複社して、今は南長柄八旛宮と称している(別稿・南長柄八幡宮参照)


※社殿等
 JR線ガードをくぐってすぐの角、境内の南東角に正面鳥居が東面して立ち、境内に入る。
 なお、東側道路沿いにも、やや小振りの東鳥居が立つ。


豊﨑神社・社頭 
 
同・鳥居(正門)
 
同・東鳥居

 少し長めの参道奥、境内正面に千鳥破風を頂く大屋根に唐破風向拝を有する入母屋造の堂々たる拝殿が東面して建つ。


同・参道 
 
同・拝殿
 
同・拝殿

 拝殿背後、透塀に囲まれた中に、弊殿を介して一間社流造の本殿が東面して鎮座する。
 境内からは側面・背面が実見できるのみで、社殿の詳細は不明。


同・本殿(側面) 

同・本殿(背面)
 
拝殿から本殿正面を望む

◎境内社
*鹿島神社(摂社)
   祭神--鹿島大神 (相殿)豊受大神

 本殿右、樹木に囲まれて鎮座する摂社。
 鳥居の奥に千鳥破風を有する一間社流造の社殿が東面して鎮座する。

 案内等なく鎮座由緒等は不明だが、摂津名所図会(1798)
 「鹿島神祠
 本庄村にあり。祭神・武甕槌命、今天王と称す。
 寛永の初め(1624頃)、諸国疫病流行(ハヤ)りて常陸の鹿島神を勧請し、御輿を此処に渡す。
 又、村中をどりを催す、これを鹿島踊りといふ。
 此地の生土神とす」
とあるのが、当社と思われる。


鹿島神社・鳥居 

同・社殿 
 
同・社殿(側面)

*恵美須神社(末社)
   祭神--恵美須大神

 境内右側(北側)に並ぶ末社3社のうち、最も本殿寄り(西側)に南面して鎮座する。
 社頭に掲げる提灯には「豊﨑えびす」とある。

*東照宮社(末社)
   祭神--徳川家康公
   相殿--厳島神社 祭神--市杵島姫命

 恵美須神社の右に南面して鎮座し、社殿扁額には「東照宮社」、吊された提灯には「東照宮社」・「厳島神社」とある。


豊﨑えびす社 
 
東照宮社 

*稲荷神社(末社)
   祭神--宇賀之御魂神

 東照宮社の右、末社3社の東端に鎮座するが、案内なく当社の鎮座由緒・年代は不明。いつの頃かに氏子らの要望によって勧請されたものであろう。
 朱塗り鳥居列の奥に、柱・梁部のみ朱塗りの社殿(RC造でまだ新しい)が南面して建つ。

 なお、当社と東照宮社の間に一間社流造の小祠があるが、社名表示なく如何なる神を祀る祠かは不明。

 
稲荷社・鳥居
 
同・社殿

不明社 

トップページへ戻る