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塚本神社
大阪市淀川区塚本 2-2-7
祭神--建速素盞鳴尊
                                                 2020.11.17参詣

 JR東海道本線・塚本駅の東約600m、駅北の淀川通りを東へ、北側にある塚本小学校を過ぎた角を右折(南へ)、次の角を左折、東へ入った道の北側に鎮座する。

※由緒
 頂いた参詣の栞には、
 「現在の神社がある辺りには、慶長14年(1610)近在の人々よって創建されたと伝えられる『牛頭天王社』の祠がありました。
 牛頭天王というのは、京都の八坂神社のご祭神で、病気や厄災を除く神様でありますが、後に神仏習合で素盞鳴尊と合体して農村の守り神として信仰されるようになりました。

 しかし明治の初めにはこの考え方が禁止となり、牛頭天王を名乗ることが出来なくなったので、以後、塚本八坂神社と改め、昭和5年、社格は村社に列格されました。
 江戸時代から明治にかけて石の鳥居を構え、本殿・絵馬堂など整った立派な神社となっておりました。

 ところが、明治39年に出された神社を整理統合する法令により、塚本八坂神社は、中津の富島神社に合祀されることになりました。以来50数年もの間、塚本八坂神社の跡は富島神社の御旅所として僅かに名残を止めておりました。

 戦後、町の人々の神社への熱意が稔り、昭和37年7月富島神社から独立して『塚本神社』と改められ、新たに町の守り神として社殿・社務所も新築され見事に蘇りました。
 翌年には『伏見稲荷』の分霊を頂き『塚本稲生社』も建立され、名実ともに町の人々の信仰の場となっています」
とある。

 これによれば、当社は江戸時代前期の創建で、疫病除けの牛頭天王社として崇敬されていたが、
 明治初年の神仏分離によって牛頭天王が仏教色が強いとして排斥されたことから、祭神を同じ神格をもつとされる速素盞鳴尊に、社名を塚本八坂神社に変更
 その後、明治末の神社統合令によって富島神社(現北区中津)に合祀され、跡地は同社の御旅所となったが、
 昭和37年に富島神社から分離し「塚本神社」として独立している。


※祭神
   速素盞鳴尊(ハヤスサノオ)
 当初は、由緒にいうように疫病除けの神・牛頭天王を祀っていたが、明治初年に現祭神に変更したもの


※社殿等
 周囲を高層マンションなどで囲まれた一角、玉垣に区画された中が境内で、南側道路に面して鳥居が立つ。


塚本神社・社頭 
 
同・鳥居 

 東西に長い境内の右側(東側)に、唐破風向拝を有する入母屋造の拝殿が西面して建つ。
 背後に本殿があるが境内からは見えず、拝殿内陣からは一間社流造と見えるが前面の簾に遮られてはっきりしない。

 
同・拝殿

同左(右に稲荷社が見える)
 
同・内陣

◎境内社
*塚本稲荷神社
   祭神--正一位塚本稲荷大神

 社殿右の狭い区画に鎮座する稲荷社で、朱塗りの鳥居列の奥、簡単な覆い屋の中に一見市流造の社殿が西面して鎮座する。
 参詣の栞には、「昭和39年、京都・伏見稲荷からの勧請」とある。

 なお、稲荷社参道の左右に小祠2宇が鎮座し、一社は戎・大黒面を掲げているから恵美須社と思われ、
 もう一社の社名は不明だが、花立に“うろこ紋”がみえることから水神(龍神)を祀る祠かと思われる。


塚本稲荷社・鳥居 
 
同・社殿
 
恵美須社
 
不明社

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