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若宮八幡大神宮
大阪市城東区蒲生4-3-1
祭神--仁徳天皇
付--若宮八幡大神宮御旅所
                                                     2020.06.27参詣

 大坂メトロ長堀鶴見緑地線及び今里線の蒲生4丁目駅の南南西約300m、民家等に囲まれた中に鎮座するが、道路が輻輳しているため地図必要。
 社域は街区の西寄りに鎮座し、正面鳥居は社域西側に立つ。

※由緒
 境内に立つ 案内(石版)には、
 「若宮八幡大神宮は、当地域の土地柄が寝屋川(古くは大和川)鯰江川の二川、また古街道東西に貫通し、低地であり地味砂土に富み、農耕に適し、水運の便多く、浪速における庶民生業の中心地として繁栄して参りました。
 その関係上、浪速に都を定められ、御製『高殿に登りてみれば煙たつ 民の竃は賑わいにけり』に示された仁徳天皇の御遺徳を偲び、村民こぞって神祠を勧請創建せしに始まると伝えられて居ります。

 摂津名所図会によれば、蒲生とは名産に蒲穂あり、色美しく、尺長く、良質のものが出来たと記されております(管見した摂津名所絵図には見えない)。蒲生の地名もここから出たものでしょう。

 社伝によれば、人皇103代後土御門天皇の御宇、文明14年(1482)8月、畠山正長が畠山義就を河内守口城に攻めたる時、村民の崇敬篤く、神域広大なりし当地の神祠に武運成就を祈願したと伝えられ、難波戦記によれば、大坂冬の陣(今福蒲生の戦い)において、佐竹義宣、当地境内に本陣を構え戦勝を祈願したとあり・・・。
 その時、心なき軍兵共のため、神木たる楠の大樹は地上より伐り倒され篝火の料に用いせけぬ。惜しむべき事なり。

 戦後、佐竹家より矢を献納して贖罪の祈願をなす。其の矢は伝わりて明治に至りしも、18年の洪水に社と共に流失せり。
 楠の根幹は其の後芽を吹き出し300年間三本の大樹と生長し、明治まで繁茂して樹下は村童の遊び場なりしが、20年頃樹勢頓に衰え3本共終に枯死せるを以て其の後絵馬堂を建設せり。
 従って樹齢も他の例に推算すれば一千数百年前のものなることを認むべし。

 以上の如く蒲生郷一帯の守護神として、世に蒲生の西向き八幡さまと絶大なる信仰を集めて参りましことを散見されてあります。
 昭和45年社殿修営の大事業、並びに昭和45年御鎮座1500年記念参集澱御造営事業も竣工せしにより、佐竹義宣の本陣跡を表記として碑を立つるものなり。   平成27年6月吉日
とある。

 他に、境内に立つ案内
 「創建年月は定かでありません。
 社地は、昔から村内の小さな丘にあって、楠や榎などの大木が鬱蒼と繁り、昼なお暗い感があったと伝えられています。
 中でも楠の老大樹は、明治18年(1885)まで神木として崇敬されていました」

 東成郡史(1922)
 「鯰江町大字蒲生字北向に鎮座す。祭神若宮八幡大神。由緒詳ならず。
 社殿は本殿〔桁四尺梁四尺〕雨覆〔桁二間梁二間〕拝殿〔桁三間梁二間半〕等にして其他冠木門〔明治21年10月新設〕神具所あり。
 境内神社一社稲荷神社、祭神宇賀御魂神、本殿〔桁三尺梁三尺〕は明治18年流失し、其後再建せり」

 大阪府全志(1922)
 「若宮八幡大神宮は鯰江町字北向にあり、八幡大神を祀れり。
  創建の年代は詳ならざれども、其の霊代は高さ一尺五寸許の乗馬し給へる古木彫りにして、風丰煥発神威凜然たる優秀の作なりといふ。
  明治5年村社に列せらる。末社に稲生神社あり」
などがある。

※祭神
   仁徳天皇

 仁徳天皇の御詠を以て奉斎由緒とするが、境内の案内にみる「昭和12年以前の絵図」の右上の書き込みに、『蒲生村氏神 八幡神社』とある(右絵図、左が北)

 これによれば、本来は八幡宮であって、何時の頃かに祭神を仁徳天皇と特化し若宮八幡と称したのかもしれない(八幡信仰における若宮は仁徳天皇をいう)

 



※社殿等
 境内西側に鳥居が立ち、階段を上って境内に入る。

 
若宮八幡大神宮・社頭
 
同・鳥居 

 境内正面に、唐破風向拝を有する拝殿が西面して建ち、その奥に流造(間口4間らしい)の本殿が鎮座するが、境内が狭く且つ樹木に囲まれていて側面・背面の一部がみえるのみ。
 また、この本殿は覆屋のようで、内部に本殿の社殿(彩色された社殿がみえる)が鎮座するとみえる。


同・本殿 
 
同・拝殿(側面)
 
同・本殿(側面)
 
同・本殿(背面) 

◎境内社
*豊受稲荷社
 境内北側(社殿の左)に「玄武館」と称する横長の建物があり、その左端部に『豊受稲荷社』が南面して鎮座するが、社前に朱塗り鳥居が立つことから稲荷社と知れるのみ。
 参詣の栞には、「昔から五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・福徳招来の神様として信仰されています」と記されている。
 内陣には豊受稲荷大明神と墨書した提灯がぎっしりと下がり、白狐像一対が置かれている。
 豊受稲荷大明神とは宇賀御魂神(ウガノミタマ・食物の神)であろう。

 
豊受稲荷社

同・内陣 

左:玄武館(奥に祖霊社が見える) 


*乾の社
 境内の乾方(イヌイ・北西)角に「乾の社」との小さな石祠が鎮座し、側らに『金運の神様 乾大神』とある。
 陰陽道では、乾(戌亥とも書く)の方角は災いをもたらす悪神・邪霊などが住むとして忌むべき方角とされるが、逆に、この方角に社を設けて祀ることで、乾方からやってくる悪神・邪神の侵入を遮ることができるという。
 今、当社は「乾の社」と称しているが、本来は邪霊排除の神格をもつ「道祖神」として祀られたのかもしれない。

*祖霊社
 境内北東隅に「祖霊社」が鎮座する。玄武館前を通って参詣するが、案内なく詳細不明。

 なお、正面鳥居の右手に『大阪冬の陣 佐竹義宣本陣跡』との石碑が立つ。
 大阪冬の陣(今福蒲生の戦い)で当地附近で戦ったという佐竹義宣が、本陣を置いたことを顕彰しての設置であろう。


乾の社 
 
祖霊社

大坂冬の陣の碑 

 上記絵図には、社殿左(北方)に朱塗り鳥居2基と横長の建物がみえる。
 昭和初期には豊受稲荷社・乾社(覆屋の中にあったか)・玄武館があったとみえる。


【若宮八幡大神宮御旅所】
  城東区中央1-11
 当社の北約400mに御旅所がある。
 当社東の今宮筋を北上、蒲生4丁目交差点を越えて二つ目の辻を左(西)へ入った左側(南側)、駐車場の北西隅に位置し、拝所の右前に「若宮八幡大神宮御旅所」と墨書した木柱が立っている(道路からはみえない)

 昔は駐車場全体が御旅所境内だったのが、駐車場設置に伴って片隅に押し込められたという印象で、今、神輿渡御などの神事がおこなわれているかどうかは不明。
 道路沿いの金網塀のなかにある小さな社で、注意しないと見落とす。


御旅所・全景 

同・拝所 
 
同・社殿

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