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八阪神社
通称:大仁八阪神社
大阪市北区大淀中3-1-23
祭神--素盞鳴尊
                                                         2020.10.20参詣

 JR大阪環状線・福島駅の北約650m。駅東の“あみだ池筋”を北へ、大淀南交番前交差点を過ぎてすぐの西側(左)に鳥居が立ち、交差点を左折してすぐ北側に南入口がある。

※由緒
 境内に立つ「大仁八阪神社御社殿復興記念碑」には
 「沿革
 紀元12世紀建久年中約700年以前、当地域は摂津国西成郡大仁村(ダイニムラ)と呼称され、6世紀513年百済国聖王より我朝に献ぜらる五経博士の文章博士たりし王仁公(ワニノキミ)の所縁の地なり。
 天変地異700年の星霜を経て、之の地を開拓中に埋没せる大なる祠址を発見し、人々大いに恐れ畏み、速素盞鳴尊(ハヤスサノオ)を奉祀し鎮守之神と崇敬して連綿として今日に至りしなり。

 天保6年(1835)新たに社殿を造営し天照皇大神・豊受皇大神二座を奉斎し神徳弥々燎かならしめ、又風雪百年の後、皇紀2600年記念事業とし(昭和15年)、当時の氏子諸賢巨費を投じ荘厳なる社殿を出現仰向せり。
 惜しむべし、戦災の迦倶土(カグツチ・火の神)荒びて社殿灰燼に帰せり。
 後假宮に奉祀して春風空雨27年を過ぐ、神慮の程如何が在らん、相省みて思ふに耐えず。今般氏子相計画り神殿の御造営に微力を致さんとす。(以下略) 昭和53年12月建之
とある。

 なお、この記念碑の右に、昭和16年建立の記念碑があるが、文字が摩耗していて判読困難。

 復興記念碑


 これによれば、当社は、かつて当地開拓中に発見された祠址を神の形代として祀ったことに始まるとなるが、資料によれば
 ・当地辺りは、かつて大仁と呼ばれ(大仁町との町名が昭和30年代まであったという)、大仁とは王仁に因むと伝わっていた
 ・室町時代・寛正の頃(1460--66)に当地を開墾中、地中から石棺の一部(石棺の蓋ともいう)が発見された(石棺現存せず、その信憑性は不祥)
 ・当地名・大仁が王仁に因むことから、この石棺を王仁に結びつけ『王仁の墓』という伝承が生まれた
 ・また、そこに一本の松の木があったことから、一本松大明神あるいは王仁大明神と称して祀られた

 ・この石棺出土地は、当社の北にあるスーパー・marushige(旧店名:viva大淀店)の辺りというが、いま現地には住宅が密集していて、出土地らしき痕跡はない

 ・王仁大明神は現大淀南にある素盞鳴尊神社(通称:浦江八坂神社)に合祀されたようだが(末社・王仁神社)、一本松大明神は当社の末社・稲荷社の祭神の一柱として祀られている
とある。

 

伝石棺出土地

 王仁とは、応神天皇16年に百済国から招聘された文章博士で論語・千字文を伝えたというが(ただし、千字文は王仁の時代には未だ成立しておらず、千字文伝来はありえないという)、半ば伝説的な人物で、この王仁が当地附近に住んていた痕跡はなく、当地の旧地名・大仁が王仁に因むという根拠は不明。
 なお上記沿革は、王仁の渡来を6世紀・513年というが、記紀によれば王仁の渡来は5世紀前半といわれる応神朝でのことで、6世紀・513年というのは誤記であろう。

 これからみて、当地に一本松大明神を祀ったというのは理解できるが、石棺を王仁と結びつけたのは、後世の賢しら人による付会であろう。

 これにかかわって、摂津名所図会(1798)には
 「大江殿古蹟  難波旧図・田蓑島(大仁・浦江の地という)にあり、此所斎宮女御御禊の地、今大仁村の北端に古松一株あり。其下に石造の宮の屋根なるもの見ゆる。余は土中に埋れたり。是祓除の地の古蹟なるか」
とあり、これが上記石棺出土地を指すのであれば(大江殿とは大仁殿の誤記かもしれない)、この地は斎宮祓除の跡であって王仁の墓ではないことになる。

※祭神
 境内に立つ昭和16年建立の記念碑には、
   主神--素盞鳴尊
   相殿--天御中主神・天照皇大神
とある。

 今の祭神は素盞鳴尊というが、資料によれば、当社は古く牛頭天王社(祇園社)で称したといわれ、とすれば、当社本来の祭神は疫病除けの神・牛頭天王だっが、明治初年の神仏分離に際して牛頭天王が仏教的色彩が強い邪神として排斥され、祭神を同じ神格をもつという素盞鳴尊に、社名も八坂神社へ変わったと思われる。

 天御中主神・天照皇大神は天保6年合祀されたというが、合祀に至る由縁は不明。

※社殿等
  境内東側・あみだ池筋に面して東鳥居(正面鳥居)が立ち、大淀南交番前交差点から西へ入った北側に、沢山の提灯を連ねた南入口がある(入った両側は貸駐車場になっている)
 なお境内北側にも、民家と玉垣に挟まれてやや小さい鳥居が立つ。

 
大仁八阪神社・東鳥居
 
同・南入口
 
同・北鳥居

 境内奥に、ベンガラ色の屋根に白壁の切妻造平入りの拝殿(鉄筋コンクリート造)が南面して鎮座する。
 上記案内から推察すると、昭和42~3年頃頃の造営らしいが、近年修築が行われたようで外観は美しい。
 境内は狭く、北側中央に拝殿・本殿が、左側に稲荷社が鎮座するのみで、社務所は無人。

 
同・境内
 
同・拝殿

同・拝殿(側面)

 拝殿奥に、弊殿を介して本殿が南面して鎮座するが、樹木及び隣接民家が邪魔して境内から見えるのは屋根の一部のみで、その社殿様式は不明。
 なお拝殿内陣から、奥に本殿の正面部が見える。


同・本殿(屋根部のみ) 
 

同・拝殿内陣
(奥に本殿正面が見える) 

◎境内社
*稲荷神社
  境内西側、樹木に覆われて稲荷社が東面して鎮座する。
  祭神--九重大明神・清高大明神・一本松大明神
  ただ、昭和16年の石碑には一本松大明神の名はない。
  代わって熊野神社祭神(豊受大神・熊野大神)が記されているが、今の境内にそれらしき社は見当たらない。


 稲荷神社・鳥居 
 
同・社殿 

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