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八 坂 神 社
大阪市城東区天王田10-19
祭神--素盞鳴尊

 JR学研都市線・鴫野駅の東南東約650m(八劔神社の南東約250m)に鎮座する小社。
 小さい神社のため、見落とす怖れあり。 

 
附近略図
(左上:八劔神社、右下:八坂神社)

※由緒
 境内に案内はないが、城東区役所HP(名勝・旧蹟)には、
 「素盞鳴尊をお祀りしています。
 大正2年(1913)10月14日に永田村の水神社とともに八劔神社に合祀されるまで、天王田の氏神でした。
 合祀されたあと、神社の跡地は長い間荒れ放題でしたが、昭和55年に天王田地区の人々の強い懇願と協力により、元の場所に再建されました。
 境内に銀杏の大木があり、その横にお稲荷さん『稲香大明神』が祀られています」
とある。

 資料によれば、当社創建由緒として
 「昔、村の側を流れていた楠根川の上流から金色に光るものが流れて来るのを、当地の庄屋さんが網ですくいあげ家に持ち帰ってみると、牛頭天王と墨書された木簡であり、これをお祀りしたことに始まるという」
とある。

 東成郡史には、「城東村大字天王田に鎮座せり。村社なりき」とあるのみで、詳細不詳。
 境内隅に『大正四年四月八日 天王田・・・ 鴫野八剣神社へ合祀・・・』との石碑があり、この小社が八剣神社へ合祀されていたことを証している。

 因みに、地名・天王田の由来について、城東区役所HP(地名の由来)には
 「寛文7年(1667)に本庄村(現東成区)から分かれて天皇田と称した。
 その後、天王田と改められたが、初め天皇田と称したのは、当地が用明天皇を祀る鵲森神社(カササギモリ、現中央区森の宮中央)の神領であったことからという」
とある。


※祭神
 今の祭神は素盞鳴尊というが、掬い上げた木簡に「牛頭天王」と墨書してあったことから、本来の祭神は行役神・牛頭天王であったが、明治初年の神仏分離に際して、牛頭天王が仏教色が強いことから排斥されたことから、同じ神格をもつ素盞鳴尊に変え、社名も八坂に変えられたのであろう。


※社殿等
 西から南東に延びる小道の南側、小道に沿ったほぼ三角形の境内の西寄りに注連縄を渡した〆柱がたち、その奥に唐破風向拝を有する切妻造・平入りの社殿が西面して鎮座する。
 小さいながらも堂々たる社殿で、当社に対する信仰の篤さを物語っている。


八坂神社・全景 
 
同・社殿(正面)
 
同・社殿(側面)

 社殿左前に、頭部の欠けた狛犬が鎮座し、側らには
 「此の狛犬さんは霊験あらたかな狛犬さんで、昔から失物をお出しくださる事で今に伝わっております」
とある。
 ただ、頭部の欠け部は平らで人の手で打ち欠いたようにもみえる。
 当社が現在地へ複社するまでは、狛犬だけが転がっていたというから、その頃に欠けたものであろう。

 また境内北側、樹木に隠れるように(稲荷社の右奥)の中に
 「『大正四年四月八日 天王田・・・ 鴫野八剣神社へ合祀・・・』
との石碑があり(・・・部分は土中のため見えず)、当社が曾て八剣神社へ合祀されていたことを示している(ちょっと気づきにくい)

 
狛犬(正面)

狛犬(側面) 
 
合祀を示す石碑

◎稲秀稲荷社
 社殿の右手(境内南側)に東面して鎮座する稲荷社。
 同じ社域内にあるが、南側小路沿いに鳥居が立ち、その前に「天王田 稲秀大明神」との社標が立つ。
 八坂神社とは無関係ともみえるが、鎮座由緒等は不明。

 
稲秀稲荷社・社頭
 
同・鳥居と社殿 

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