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摂津(川辺郡)の式内社/小戸神社
兵庫県川西市小戸1丁目
主祭神−−大山津見命
合祀神−天児屋根命・素盞鳴命

                                                             2011.08.03参詣

 延喜式神名帳に、『摂津国川辺郡 小戸神社』とある式内社。社名は“オベ”または“オオベ”(地名と同じ)と読む。

 阪急電鉄宝塚線・川西能勢口駅の東約400m。

 駅から線路北側の道を東へ、交差する小川(巾1〜1.5mほどのコンクリート張り水路)の角を左折(北へ)、住宅地の中を流れる小川の左側(西側)、こんもりとした鎮守の森の中に鎮座する。



                                                小戸神社・入口
小戸神社・入口

※由緒
 当社の創建年代・由緒など詳細不明。
 社頭に掲げる由緒には、
 「当小戸神社は、延喜式摂津国川辺郡七座の内一座として国史にも現存し、大山津見命・天児屋根命・素盞鳴命を奉斎し、昔より小戸の大神と称され、小戸・小花・栄根・寺畑等の氏神として尊崇せられたことは摂津絵図にも記録され近郷著名な旧社」
とあり、川西市史(1974)には
 「祭神は不明であり信奉していた氏族も分からない。小部天神とも称している」
とあるが、兵庫県神社誌(1937)
 「創立年月不詳なるも、当小戸郷は応神天皇の皇子大山守命の後なる榛原公の居住地なりとの説もあれば、公の一族に因って始めて祭祀せしものか。
 古事記・応神天皇の段に、天皇が、『大山守命は山海の政(マツリゴト)せよ。大雀命(オオサザキ・後の仁徳天皇)は食国(オスクニ)の政を執りて白(マオ)したまへ、宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)は天津日継(アマツヒツギ・皇位)を知らしめせ』と詔りたまひき、とあれば、大山守命は諸国の海人部山守部の統領なれば、其の子孫たる榛原公も山守部として当地に来り、其の職掌山守部なるが故に大山津見神を奉斎せしものなるべし」
という。

 当社が延喜式内社であることからみて、その創建が10世紀以前であるのは確かとしても、その年代は、神社誌によれば仁徳天皇期以降(5世紀中頃か)となるが、確実な年代は不詳。

 神社誌にいう大山守命とは、応神天皇の皇子で皇位継承有資格者3人の一人で、応神の死後、オオササキとウジノワキイラツコとが皇位を譲り合っている間隙をぬって皇位を狙い反乱を起こすが、ウジノワキイラツコに殺されたという(古事記)

 神社誌で当社の創建氏族とされる榛原公とは、新撰姓氏禄(815)
  「摂津国皇別 榛原公 大山守命之後也」
とある氏族だが、その本拠地など詳細は不明。神社誌は、その祖先・大山守命が山守部を統率したことから、山の神・オオヤマツミを奉斎したというが、その一族が当地に居住したことを含めて確証はない(式内社調査報告・1977)

 なお、河内・摂津国には“○○戸”と書いて“○○ベ”と称する氏族が散見される。資料によれば、“戸”とは渡来系氏族に与えられた姓の一種で、各地に地所を与え、まとめて居住させたという。当社が“小戸”・オベと称することから、渡来系氏族とのかかわりも想像されるが、それを証する資料も、関係ありと記した資料もみあたらない。

 当社に対する神階授与等の記録もなく、創建以降の経緯は不明。
 江戸時代の古書・摂陽群談(1701)
 「小戸神社 川辺郡小部村にあり 土俗小部天神と称す。天降りの神を以て号す」
とあり、中近世の頃には天神と解されていたらしい。“天降りの神云々”とあるから、所謂天神さん・菅原道真ではなく天つ神(アマツカミ)としての天神らしいが、何故そう称したのかは不明。

 また摂津名所図会(1798)に「小戸・栄根・小花等の生土神なり」とあるように、古くから猪名川西部一帯の生土神として崇拝されていたらしいが、当地が猪名川河畔の低地にあることから、創建当時からの社地かどうか疑問が呈され、「旧地は現在花屋敷と称される釣鐘山の山麓にあった」との古老の言が紹介されている。
 釣鐘山とは、当社の北西約1.5km(花屋敷荘園2丁目)にある小山(標高183m)で、今、その付近に旧社地跡を求めても確認不能というが、山の神・オオヤマツミを祀ることからみると、釣鐘山山麓鎮座説も無視できないという。(以上・式内社調査報告)

※祭神
 主祭神の大山津見神(大山祇・オオヤマツミ)とは、イザナギとイザナミの国生みによって生まれた神で、“津”は助詞の“つ”、“見”は“神霊”で、オオヤマツミとは“大いなる山の神”を意味する。
 ただ、当社がオオヤマツミを奉斎する由緒は不詳。神社誌は、山守部・榛原氏が守護神として山の神を祀ったものというが、確証はない、という。

 合祀神のアメノコヤネ・スサノヲは、明治末期の神社統合整理によって、近傍の細川姫神社(アメノコヤネ・在花屋敷1丁目)と八坂神社(スサノヲ・在小戸3丁目)を合祀したもの(明治42年・1909)

※社殿等
 社頭の小川を渡った先に鳥居(宝暦10年・1760建立)が、境内中央に拝殿(千鳥破風・軒唐破風付き入母屋造・銅板葺)・本殿覆屋(切妻造妻入り・銅板葺)が前後に並ぶ。
 本殿は覆屋の中に収められていて実見できないが、
   一間社流造・柿葺き(コケラフキ)・正面に千鳥破風・軒唐破風付き、
   江戸時代初期の造営と思われ、付帯する釣り灯籠の紀年銘・寛文7年(1667)からそれ以前と推測され、
   その建築様式から室町時代の神社建築様式の流れを汲むもの、という(当社案内)
 拝殿・本殿覆屋共に阪神大震災に被災後大修理、平成20年竣工という。


小戸神社・鳥居

同・拝殿

同・本殿覆屋

◎末社
 社殿の左奥(境内北西隅)に末社合祀殿があり、鹿島神社・稲荷神社・藤森神社を合祀している。
 本来は、鹿島神社一社だったが(宝暦6年-1756-古文書に末社・鹿島神社とある)、明治42年の八坂神社合祀に伴い、その末社の稲荷神社をも合祀したもの。
 この時、小花藤木に鎮座していた藤森神社も合祀されたが、その後、元の社地に還り、今はその分霊が祀られているという。

 当合祀殿の背後に御神木・大楠が、その脇に大欅の大樹が並んで聳えている。大楠は推定樹齢約500年の古木で樹高約30m・根廻約12m。兵庫県指定天然記念物・昭和41年指定。

小戸神社/末社合祀殿
末社合祀殿
小戸神社/末社合祀祠
同・祠
小戸神社/大楠・大欅
大楠・大欅

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